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免税店の怪から考える




以前から気になっていることがある。

なぜ人は免税店でああも気が大きくなるのか。


昔、免税店の品物が正直に安かった頃は、免税店でまとめ買いをすることには意味があった。
え?どれくらい昔かって?
そうですな、例えば神戸で舶来化粧品を買おうと思ったら、百貨店へ行って不当に高い買い物をするか、「みっちゃん」へ行くかしかチョイスがなかった頃。だからわれわれは海外へ行く人には必ず化粧品をお願いしたものだ。

それも今となってはすっかり昔の話だ。近頃では神戸で化粧品を買うとしたら、ネットで買うのが一番安いだろうし(最近の日本の事情はよく知らないが、おそらく)、ベルギーではブラッセルの空港で買うより、街の化粧品屋で買った方が安価である。

酒類にしたところで、ベルギーでは街の量販店の方が安いし、
サングラス等の値段設定も微妙。免税店の方がかえって高いかもしれない。


それなのに免税店をのぞくことを旅の楽しみのひとつに数え、ラウンジで快適に過ごす時間を削ってまであちこち見て歩きたくなるのはなぜなのだろうか。

買い得でないことが分かり切っているにもかかわらず、熟考もせずに必需品以外を手にしたり、化粧品の新ラインを試し買いしたり(しかもまとめて大人買い)できるのは、いったい免税店にどういう条件が揃っているからだろうか。
また、わたしが免税店側の人間だとしたら、どういう要素を取り入れた場合、旅行客の財布のひもをユルユルにすることができるのか。


もちろん読者の方の中には「わたしは免税店の罠にかかったりしません」という賢いトラベラーもいらっしゃるのだろう。が、わたしは毎度免税店の思うつぼにハマる愚かな消費者なのである。



免税店にいるわたしには、なぜか買い物万能感がある。まるで金銭の介在なしに好きな品物を持っていくだけ(最高ですな)のような気がするのだ。

たとえばラスベガス等では、客に湯水のように金を使わせるため「時間」の存在を完全に消しているそうである。
カジノにはなるほど、昼夜の時間変化をうかがえる窓もなければ時計もない(あそこは年中青空が広がっているにもかかわらず、ショッピングモールのヴォールト(穹窿)に青空を描いているという不気味な街である)。

空港免税店に時間の要素がないかと言えばそうではない。電光掲示板には次々と時間が表示されるし、アナウンス嬢は間断なく搭乗案内を読み上げる。
そして胸に込み上げてくる、これから時間と空間の編み目を渡って飛ぶ、というワクワク感。
...でもそれらはかなり抽象的な「時間」だ。



ここまで書いてみて、人の購買力を最大限に引き出すためには「時間の感覚を撹乱する」ことにあるのかも...と思い至った。

そうだとしたら、今後、ネットショップ等は増々成長するに違いない、という予想を立てられるのだが、皆さんどう思われるだろうか。ええ、愚かな消費者代表のワタクシは、その罠にはまっています。すっかり。


ここまで引っ張って、オチはそこかい!という突っ込みはメールでお願いいたします(笑)。




毎度のことだが、ブログの記事を書き始める時に「だいたい最後はこの辺りにオチがつくだろう」と考えていることと、つらつら書いた終わりに実際書くこととが全く違うことに驚くのである。でも考えてみたら、初めから書くことが分かっていることを書くほど退屈なこともないと思う...からこれでいいのだろうか。


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