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子育てガイド




学校から定期的に配布されている「保護者への子育てガイド冊子」に、親の悩みに答えます!という威勢のいい特集があった。


良いテスト結果に対してお小遣いを与えるのは効果があるか

テスト結果が悪かったときはどうすればよいか

いつもテストの点が良い子にはどのような誉め方をするべきか

家庭学習をさせるには

忘れ物対策

などなど。

親の悩みは万国共通のようです。


ついに子育てのゾハールが明かされる日が来たか!とページを繰る手も急いたが、やはり目新しいことは何一つ書かれていなかった。親なら誰でも知っているような情報ばかりだ。

「怒ったり罰を与えても効果は全くありません。改善すべき点は何なのか、本人や担任と相談して、できたところを誉め、次回もっとがんばるように励ましましょう」
「よい結果に金銭で報いても効果はありません。ほどほどにしましょう。」
「忘れ物がないかどうか、常に声をかけてやりましょう」

こんな回答でいいんだったら、次回はわたしのところへインタビューに来てくれまいか。うん、無料にしとくよ。


問題は、子どもが好ましくないことをやらかした時にどう対応すればいいかを親が知らない、というところにあるのではなく、心理学者の先生方が推奨するような理想的な子育てはわれわれも情報としてよっく知っているけれども、実際現場で理想的な対応をすることは大変難しいことがある、というところにある。

そこらを教えてくれる先生はいらっしゃいませんか。


とは言え、子どもが好ましくないことXをしたときにはZという対応、Yという失敗をしたときはWというフォロー、という石板に刻まれた対応表が存在するのならば、親も子どもも決して成長しないのだ、ということくらいは未熟なわたしにでも分かる。

例えば一般的な進学塾で人間的な成長を誰も期待しないのは*、あそこが効率的にスコアを取ることのみを教えるところだからで(教習所も同じようなところと言えるだろう)、まさにシステムとしては「XにはZという対応」を教えることを「売り物」にしている。マニュアル本を人生座右の書にする人はいないだろう。

子どもは「なぜ親はこんなにも怒るのか」「なぜこんなことをしなければいけないのか」、親は「なぜ子はこんなこともできないのか」「なぜ言うことを聞かないのか」と悩む。それぞれが悩み分からなさを抱えながら、個人として成長していく過程こそが人間の厚みになるのだ。自分の人間性に厚みを付ける以外、人生にどんな意味があるというのか。


中東某国に住んでいたとき、腕にユダヤ人収容所の囚人番号の入れ墨があるユダヤ人がよく言っていたものだ。
「われわれ民族は、神から、決して人間理解の及ばない試練だけを与えられている。それはなぜか?理解が及ぶ極限まで成長せよ、というのが神からのメッセージなのだ」と。
おお、だからあなたがたは...あっ、いやいや...ユダヤ人優秀説はこのフレーズから一端を説明できる、と納得したものだった。

...こんなことを言うは安しなのだ。



理想的対応をするのが難しいと悩んでいるのはわたしだけで、世間の皆様は湖のように澄み切った穏やかな心と、山の世に雄大な度量をそなえた大人なのだろうか。

もっと成長しなければ。できたら試練抜きで...と、お茶をすすりながらつぶやくのである(笑)。




*世の中の進学塾には特殊な例もあるだろう。実際わたしが高校生のときに出会った予備校の英語講師はユニークな男だった。



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