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パリの憂鬱 人生の憂鬱




何年か前は、パリに住みたい熱に冒されていて、家を見に行ったり、学校を調べたりもしたものだが、近頃は東南アジアに住むのが夢、などと浮ついたことを言っている。相変わらず。


昨日、蒸し暑いパリから大雨のブルージュへ帰るタリス車中で「わたしにはもうパリに住む根性はないかも」と思った。あそこは根性がないと住めない街だ。あるいは根性が好きなだけ買える潤沢な財産。わたしには両方ない。


常々「根性がないのは都会っ子の証」だと思っていた。事実わたしが生まれ育った神戸では、街の子どもたちはそういう感じだった。なんでもひと通り、並以上にこなすが、ディレッタント以上には決してなれない(ならない)そんな雰囲気。努力やド根性は、たとえしたとしても家の外に持ち出すのは大変格好悪いこと、と。ああ、あれはもしかしたら高度成長期ジャパンの空にかかった虹だったのかもしれない。


閑話休題。


パリはもちろん素晴らしい街で永遠の憧れだが、欧州に10年以上住んだ人生経験から、フィガロジャポンの記事のようにはパリを美化することはできなくなった。地上にガンダーラ(そこへ行けばどんな夢もかなうと言うよ~)はないのである。


「人生とは、病人の一人一人が寝台を変えたいという欲望に取り憑かれている、一個の病院である。或る者はどうせのことなら暖炉の前で苦しみたいものだと望んでいるし、また或る者は窓の側へ行けば良くなるだろうと信じ込んでいる」

パリの憂鬱、ボードレール。
(「パリの憂鬱」は大詩人のブログ、みたいである)


われわれは(わたしのことだ)は、ここではない別のどこかに行けば人生はもっと上手く回るに違いない、と思いながら生きている。


きっとそう思えるから人間はここまで繁栄したんだろうよ。
ポリネシアの島から島へ渡って行った人々や、南を目指した北方民族や、清教徒や...


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