goo

frankenstein




ロイヤル・バレエの新作「フランケンシュタイン」。

ロイヤル期待の若き振付家、リアム・スカーレットが初めて製作したフルレングス・バレエだ。


ワールド・プレミア前のリハーサルを見た。


「え、ロイヤル・バレエは今夜これを公開していいの?」

と、いうのがわたしの感想...



ロイヤル・バレエ「フランケンシュタイン」は、多くの人がまずハリウッド映画の映像で知る、あのフランケンシュタインの話だ。

イギリスの小説家メアリー・シェリーのゴシック小説「フランケンシュタイン」が原作。

ちなみに緑の顔色で四角い頭をし、首にボルトがささっている怪物はハリウッド映画のイメージであり、またこの怪物自体をフランケンシュタインと呼ぶのも、「ヴィクター・フランケンシュタインが創造した怪物」が約まったものだ。この怪物に名前はない。



マッド・サイエンティストであるヴィクター・フランケンシュタインと、彼が創造した怪物を通して、神とは何か、人間とは、愛とは、死とは、創造とは、精神とは、家族とは、友情とは、社会とは、孤独とは、科学とは何か...を問う(問うことができる)話だ。

リアム・スカーレトはそこに目をつけたのだろう、古典バレエが今まで一貫して語り続けてきた「神とは、人間とは、愛とは、死とは...」という、人類にとって重要なメッセージを豊富に盛り込んだものの、盛り込みすぎて収拾がつかなくなったのか、盛り込み優先順位を間違えたのか、とにかくものすごく「薄い」出来。

それら全部を、制約のある容器(舞台というスペース、バレエというアート・フォーム、そして上演時間)の中に放り込み、どうでもいいようなことをくだくだ説明しすぎために、ひとつひとつが薄まり、ストーリー展開や登場人物像の魅力もうすーくなってしまっていうように感じた。
「説明しすぎ」はロイヤル・バレエの特徴のひとつで、時々それが悪い癖だと思う。


例えば神を演じて怪物を創造してしまったヴィクター・フランケンシュタインの動機や葛藤は、もっとファウスト的複雑さであるはずなのに、単に憂鬱で不安を抱えたつまらない男にすぎなかったし、彼の妻になるエリザベスにもこれといった役割がない(他の登場人物もみなそんな感じ)。

小道具も、人間らしさのシンボルに使われている「亡くなった母親の写真の入ったロケットペンダント」の使い方もゆるく、怪物をまさにクリエイトしようとする瞬間の、あの安っぽいカリカチュアみたいな装置には微苦笑を禁じ得なかった。



古典バレエが生き残ってきたのには理由があると思う。
上にも書いたように、神とは、人間とは、愛とはを問い、人間に成長を促すからだ。

その点でいうとストーリー的には「フランケンシュタイン」はものすごくいい作品になる可能性があると思う。
もっと焦点を絞って、登場人物も減らし、しょうもないワンパターンの舞踏会や酒場のシーンを削ぎ落としたらどうだろうか...と。


でもまた期待して見ると思います(笑)。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )