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Brugge Style
オックスフォードの塀
先週から今週末にかけてはほんとうにゴージャスもゴージャスな五月晴れだった!
どこが五月晴れ?
という上の写真は、夜8時頃撮ったものだ。
遊びに行ったのでは決してなく(笑)、娘がGCSE(16歳の義務教育終了時にイングランド共通試験を受ける。この結果は一生モノ)のオランダ語を受験するため、試験会場のオックスフォードまで泊まりがけでやってきたのだ。
オックスフォードまではうちからは一時間半の距離、泊まりがけするほどではないのだが、天気がいいのに娘の試験のせいで遠出することもできず、でもこの天気がいつまで続くのか保証はないし、今をちょっとだけ楽しみたかったという...
どんだけ欲望に忠実やねんということですな。
しかしこのプランは大正解で、天気のいい中、テラス席でお茶を飲んでいるだけでも楽しかった。
オックスフォードにはこの超有名大学が鎮座しているせいだろうか、知的な会話をする外国人と居合わせることが多く、「知」に異常に憧れるわたしは妙に落ち着く。
街なかは、道側から眺めているとベージュの石で建てられた五風堂々たる塀がずっと続き、ああこれはカレッジの建物なのだな...ということはわかるが、ここがオックスフォードでなかったら素通りしてしまうかもしれない。
「バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする」と
養老先生(バカの壁)を思い出す。
そういえば以前このように書いたことがあった。
”知のメタファー”な街”
「威厳に満ちた頑丈そうな建物が次の角まで続いている。その壁の連なりの一部に小さめのドアが口を開けている。かすかに光が漏れている。そのドアを入ると暗い渡し部分があり、その先には日に満ち満ちた明るい中庭が相当の広さで広がっているのだ。
これは絶対「知」のメタファーである。」
「「知」の外側は、手がかりのないどこまでも続く頑丈でのっぺらな壁のような風体をしており、のっぺらであるがゆえにその向こうに何かがあると気がつかないこともあれば、素通りして済ますこともできる。
(だからしばしば「自分はよく知っている」と自己申請する人ほど世間が狭くものを知らないという矛盾が起こるのだ)
しかし志次第では「知」への「入り口」を見つけられる。
そして蒙昧な状態(暗い渡し)を通過すると、その向こうに別の世界が開けていると知ることができるのである(「知」はカバラを持ち出さないまでも常に神を中心にした強烈に明るい光で表現されるのであるからして)。
この入り口を見つけられる能力を「学力」と言うのだと思う。
オックスフォードはこういう街である。
学力の高い生徒が集まっているのもなるほどと思うのである。」
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