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Brugge Style
催涙雨
七夕前後にありがちな暴風雨のために、茎が細長くアンバランスに頭が重いあじさいがなぎ倒された。
そのままにしておいてもしょうがないので、extravagantな野性的生け花にしようと、一番大きい花瓶に投げ入れた(花の集合体一個は人間の顔ぐらいの大きさで、実物はもっと豪華!)。
残りをテーブルに生け、お玄関に生け...まだまだあるので義理の母に取りにくるよう電話をしようとしたが、22時を回っていたので止めた。
今夜は笹のかわりにこれを眺め、短夜を楽しもう。
泣いてもどうにもならないことばかりだし。天の川の両岸のあの人たちも同じ気持ちだろうよ。
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さらばシベリア鉄道
悲しみの裏側に何があるの...
受験生の時、深夜ラジオで聞いて、その歌詞の奇妙さから忘れることができない(大瀧詇一のバージョン)。
.....
友人と「死ぬまでに行きたいところ」について話していた。
「Moetさんってどんな人かって聞かれたから、『今日一緒にお茶をして、明日、アレキサンドリアから電話がかかってきても不思議ではない、そんな人よ』と言った。」
20代の頃、わたしは親友からそのように評された。
筋金入りおっちょこちょい(イラチ、と言った方がいいのだろうか)で、行きたいところがあったらとにかくそっちの方向に歩き始めるタイプである。だから、死ぬまでにぜひ行きたいところには、死ぬまでに...と夢想する以前にどんどん行ってしまう。
それでも再訪問をしたい所はたくさんあるし、いつか平和になったらメソポタミアの遺跡を見たいなどという類いの夢はあるが。
そんなイラチでもずっと気がかりで未だに実現していないのが、「シベリア鉄道でモスクワからウラジオストークまで大陸を横断する」ことだ。
シベリア鉄道は上記の大瀧詇一の歌により、ウラジオストークの神秘はNHK深夜ラジオ(<わたしの青春はこればかりだったのか...)により、わたしの中でネバーランドのような憧れになっている。
今もやっているのかどうかは知らないが、当時NHK深夜ラジオのシメで世界各地の天気の放送があり、緯度、気温、雨量などが粛々と読み上げられた。
放送局のスタジオ内のシーンという音が聞こえてくるかと思うほどの深閑に乗って、遥か彼方の闇から悪魔のように落ち着き払った声が、「ウラジオストーク、○○バーレル...」などと言う。地球の現実をすべて数字に還元し、手に取って見ているような感じがディアブロぽさを増長したのだ。
すべてが読み終えられると、その日の放送は終了し、その後、電波のテスト音(?)が高い周波数でキーンと流れる。
この一連の流れが10代のわたしを恍惚とさせたのである。
完全に頭のおかしい受験生である。
新潟から船で行けるというロシアの極東...ウラジオストーク...
....
あと一つ思いつくのは、クリステヴァ経由で読んだソレルスの小説の中に繰り返し出てくる「レ島(イル・ド・レ)」。
ここは実際訪れるよりも、小説の中のイメージに漂っていた方がずっと良いような予感がするので未訪問。
わたしにはソレルスのようなエロい愛人もいないし、フランス語で言語学を語ることもできないから、今後もたぶん行くことはないと思う。近いけど。
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失恋
今朝、失恋した。
庭に面したガラス戸を開けると、鳥のさえずりと教会の鐘の音にまじって、聖歌隊の発声練習が聞こえて来た。
とうとうわたしは天国に来たかと思った。
静止していると落ち着かないので、使いかけの化粧品や試供品などを5リットルの袋一杯に捨て、風呂場を掃除し、ちまちまと餃子を作った。
失恋したことに変わりはなかった。
わたしはいつまで乙女のつもりなのだろうか。
アホくさ。
いえ、本当はアホくさいなんて全然思っていない。
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失楽園鍋足スハリハリ割ル2ハ
水菜です。
ブルージュで水菜。
大好物です。
和食材店でも水菜はまだ見たことがない。
これはブルージュの若き日本女性が、義理のお父様の庭で作った水菜。ぴちぴちです。
水菜と言えばハリハリ...しかし、鯨肉など望むことも叶わず(鯨肉など食っていたらウチの裏の某政党党首に私刑にされるだろう)、鴨の胸肉で代用することにした。
失楽園鍋とハリハリを足して割ったような感じになるだろうか。
一人用の土鍋で、具材は水菜、鴨、絹ごし豆腐の三種。
マルゴーを合わせてシャレにしたいのだが、今夜の夕食は一人だから、一人でボケて突っ込むのは止めておこう。あまりの虚しさに心中...いや自殺したくなるかもしれないから(笑)。
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夏パリ miki mialy
今年の夏は春からすばらしい出だしであった。今日も暑い。
先日、東京の友人がパリコレで来ているので会いに行って来た。
彼女がこっちへやってくると、わたしは彼女の色香に誘われて、ふらふらとどこへでも出かけてしまうのである。
早朝のブルージュ/パリ間を走る特急電車(単なるタリスだけど)で夏の平原を渡る。国境を境に気候が変わるというのは本当で、車窓から見える景色は南下するにつれて増々くっきり浮かび上がってくる。
パリは大都市特有の、どこにも逃げ場のない空気でもうもうと熱を上げていた。
ハイヒールに押し込んだ足がむくんでいくのと、直射日光がつらく、ソルドのための試着であっても、コルセットの金具がついたワンピースをいちいち着脱するのがめんどうで、わたし、こんなに体力(気力も)なかったっけ...?と思った。
しかし、暑くとも異臭がしようとも、そこはパリである。
友人の仕事の関係で、マレのはずれの日本人デザイナーmiki mialy氏のアトリエへ伺った。
懐かしき関西弁を操るデザイナーは、冷蔵庫から冷えた桃を出してきて、冷たいうちに食べるよう勧めてくれた。
彼女はイタリアマダムのような筋ばった細い体つきをしておられ、クーラーのない部屋の中で汗も流さず、また、話す様子も、彼女のデザインする洋服も、「かっこええわあ~」...わたしなんかもう息も絶え絶えである。
バザールの香辛料商人の事務所のように、あちこちに様々なものがうずたかく積み重なっているアトリエで冷えた桃。
白く埃っぽい中庭を見下ろす2つの小窓の側の小テーブルの上の桃はセザンヌの絵のようだった。そりゃパリやから.,.(笑)。
その後、ショップへ移動し、曰く「美術館に入れたいくらい特別なデザイン」のシルクのドレスを買った。
パーティーをするときには招待します、とおっしゃったので、このドレスを着ていったら喜んで下さるだろうか(ええ、わたしは社交辞令の通用しない人間です)。
わたしみたいな中年女が着てもめちゃめちゃかっこいいところはぜひ見て頂きたいわあ。
モデルが着用してかっこいいのと、おばちゃんが着てかっこいいのとでは、デザイナーとしてはどちらが冥利と感じるのだろうか。
ラガフェールドだったら、間違いなく前者と言うだろうが。
パリに行くと普段使わない脳の回線が開く。
パリ楽し。パリ熱し。
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