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レオナルド









レオナルドダビンチの全作品を集めた大型本。厚さ8センチ。


雑誌25ansは立ち読みができないことで有名だ(った)が、この本はテーブルに置いて読むのさえ辛い。
だからウチでは書斎の、空いているイーゼルに置いてあって、電話中にページをめくるのが好きだ。


.....


以下、moet's nonsense。


ハンブルグに出張中の夫とスカイプで長い会話をしながら、レオナルドの作品の全体と細部の拡大を交互に見ていたら、

記述するということは、まさに「現実」に分節を入れたり、切れ目を入れることであるのだ、と、(頭では分かっていたことが)突然すとんと入って来た。どこに入って来たのかは分からないけれど、わたしのおでこの斜め前くらいに。


そして、神を記述してはならないという掟があるのは、つまり神を包括概念たる「全」にとどめるためであり、

また、神には切れ目/分節を入れることができないとするから、なるほど「語ることができない」とされているのだ、

と思った。


芸術とは、語ることができない「全」を、語ることができる分節に区切って語ることである。だから人間は「全」に至ることはできない。例えレオナルドのような神業使いであったとしても。
このことが自ずから芸術とは何か、という問題に対して一つの回答になると思う。*

世界を説明するためにレオナルドの作品があるのであり、レオナルドの作品を説明するために世界があるのではないと言いかえてもよい。


ああ、すっきりした。これから着替えてブラッセルへ行く。王立美術館に立ち寄ろうかなと思う。


....


*芸術とは芸術家それぞれが「全」に向かい、それぞれのやり方で「全」を満たそうとするその「不完全さ」である...とか、どうでしょう。
「不完全」とは、神的「全」への対語であって、ネガティブな意味は込めていないので悪しからず。


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消えたゴールデン・フリース




娘が一週間、グルーニング美術館主催のサマースクールに参加した。


今年の夏は、グルーニング美術館で、ブルゴーニュ公国カール豪胆公を中心とした、比較的規模の大きい展覧会を開催中である。だからスクールでもその内容にちなんだ歴史や絵画を学び、甲冑ヘルメットや当時のスタイルを模倣したポートレイトなどを作成し、寸劇も練習したのだ。
最終日は保護者関係者が観覧する日だった。


彼女らが作った物の一つに、金羊毛騎士団の紋章があった。羊毛部分はでんぷん系の焼いて完成させる粘土製で、金色の鎖がかかっていて、よくできたものだった。



ところが今朝、羊毛が消えた。
飼い犬のベッドの上で金鎖だけ発見されたのが唯一の手がかりである。ゴールデン・フリース失踪事件発生。

イアソンに奪われたのか、アレスの火を吐く牡牛に食べられたのか...


真相は闇の中である(笑)。


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普請中









クリストのアート?



ああ、ただの普請中か...


聖母教会、2002年にブルージュが欧州文化都市に指定された時、大々的に修復されたばかりなのに...天国へのエレベーターでもつけているのだろうか(中央右寄りに赤文字で階数が記されている)。


クリスト参上?と思ったと同時に、おいしそう(やわらかいクリームがかかっているみたい)と思ったのは、きっと腹が減っていたからだ。



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人生の秋




学生時代の友人が、ブルージュへ立ち寄ってくれた。


当時、わたしは常に飲みながら、彼は常に素面で、真夜中過ぎまで話し続けたものだった。
いったい何をそんなにしゃべることがあったのか、今となっては断片すら思い出せないが、若さとは自分についてしゃべることである。特に酔っぱらいは自分の話しかしないものだから、おそらくわたしは糸を吐き出すように延々と自分の話をしていたのに違いない。

それから何十年という月日が経ち、われわれは晴天のブルージュで顔を合わせた。

今、共通の話題が何一つないということに気がつくのに、それほど時間はかからなかった。


学生の頃に比べたらわたしは格段に外出しなくなったし、学者と話す機会も減ったし、映画も見なくなったし、もしかしたら世界や自分に対する好奇心も減ったのかもしれない。つまり、わたしにおもしろみがなくなったのかもしれない。
たとえそれが寂しい現実であったとしても、わたしたちの間に広がる手の置き場所がないような感じはいったい何だったのだろう。

時間が来て、わたしは彼とザンド広場までそぞろ歩いた。

駐車場の入り口の前で別れを口にしたとき、

もう2度と彼に会うことはないだろう、と思った。


思えば、小学校のときにあれほど仲が良かった友だち、憧れた男の子、双子自己対象だった高校の同級生、大好きだった先輩(女性)、一緒に大人になったガールフレンド


人は別れる。


夏を飛び越えて秋が来たような。

と申しますか、わたしの人生は秋に突入したという感がする。


それもいいものである。

そこしうらめし秋山われは。などと言ってみる。


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有名人




日本人ばかりの食事会で、

どんなタイプが好きですか?たとえば有名人では?

と聞かれたので(よく聞かれますよね?有名人だったら誰々に似ているとか、日本人は有名人を引き合いに出すのが好きだな)、


「最近の有名人はあまり知らないんですけど...」
「じゃあ昔の人でもいいですよ」



「(長い沈黙)『一休さん』の新右衛門さん」

と、言ったら爆笑をとってしまった。ちゃんと昔の人やんか(笑)!



そんなにおかしいだろうか(おかしいよ)。

新右衛門さん、かっこいい。顔が濃すぎるのには目をつぶろう。
文武両道、特に武道は超一流、しかし知性面では子どもの一休さんを自分より優れていると確信して、知ったかぶりをしたり、年長だからと尊大な態度をとったりしない。かっこいい。誠実だし。マンガなのがつくづく残念である。

しかしまあ、ある実在の有名人が好みだからといって、その人物と親しくなれる確立も低いので、対象としては同格だと思うんだけど(笑)。



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