私の不幸そして苦難。 そうなるのは、すべて私のわがままが原因です。 不自然な心を出して無理な行いをするから、苦しみがやってきます。
すべてが自分自身のわがまま勝手からきていることだと感じます。
わがままを取り去ることが、正しい心にもどることです。 同時に苦難を取り去る道となるでしょう。 このわがままを取り去った暮らし方をするために倫理を学んでおります。
それでも、わがまま勝手な心は簡単には取り去れません。 心を込めて掃除を行っているのは、わがままな心を取り去るための学びです。 特にトイレは素手で掃除することが学びになると感じます。
丸山敏雄先生は、「苦難は人を苦しめるためでも、殺すためでもない。 正しく生かし、ほんとうの幸福の道にたちかえらせるための鞭であり、照明(あかし)である」 と言われております。
苦難は、生活の不自然さ、心のゆがみの映った危険信号であり、ここに幸福に入る門があります。 苦難の原因になっている生活のあやまり、心意の不自然さを取り去ると、かつ然として幸福の天地が開けてきます。
苦難は幸福に入る狭い門。 その門は、苦しくて痛くて、みにくいのでしょう。
苦しいときこそ挫けずに自分の仕事に打ちこむとき、思いがけない道が開けることがあります。
わがままな心を取り去るのは、他人に責任転嫁せずに、自ら苦難に立ち向かう気持ちを養うためだと考えています。
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