昨年から実践を心掛けていること。 それは、脱いだ靴を揃えることです。
従来どうだったかは、家内の言葉が端的に表わしてくれました。 「その年になって、やっと判ったんやね。」
家に帰って、ついでに子どもの靴も揃えます。 確かに今までは、こんなことはしていなかった。 誰が揃えていたんだろう? と、言うまでもなく家内ですがな。
まぁ、返す言葉もありまへんなぁ。
毎日、子どもの靴も揃えながら、ふと考えます。 『きっと、子どもも判るはずや』 と。
ところがどっこい、これが違います。 まったく、変わりません。
最近、こんな話を聞きました。 「自分たちが靴を揃えても、子どもはいっこうに靴を揃えない。 それで嘆くとき、親は玄関だけを気にしているのではないかな? 勝手口やバルコニーの履き物はどうでしょうか? 親はそこでも揃えていますか?」
なるほど。 帰宅してから見てみると、バルコニーの履き物はそっぽを向いていました。
人を変えようと考えず、ひたすら自分を変えましょう。 そう学んでいても、つい結果を求めてしまいがちです。 先ず、自分が靴を揃える。 ひたすら実践です。
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