(2012.2.24 琉球新報)
(首里城地下の第32軍司令部壕、第1坑口付近)
25日(土)の夜から息子夫婦が孫を連れて来た。1泊して翌朝、息子は、平和ガイドがあるとして早くから出て行った。今日は、首里城の戦跡の案内からスタートするという。話題は、首里城地下にあった32軍司令部壕の説明板のこととなった。
24日(金)から、新聞は、32軍司令部壕の説明板について、県が、「検討委員会」の案にあった、「慰安婦」「住民虐殺」の記述を削除したことを大きく報じている。この間、県の環境生活部は、辺野古のアセス評価書への対応について、毅然とした知事意見をまとめたことで評価されたが、その一方で、とんでもないことをしていたのだ。
昨年11月末、「検討委員会 」が慰安婦や日本軍による住民虐殺を盛り込んだ文案をまとめ、県に提出した。ところが、その後、抗議のメールやファックスが寄せられたことから、県は、検討委員会のメンバーらにもはからず、「両論がある」として、一方的にその部分を削除してしまったのだ。自ら委嘱した専門家らがまとめたものを、委員らに相談することもなく、行政の判断だけで削除したのだからとんでもない。
1982年当時、文部省の検定で教科書から住民虐殺の記述がなくなった際、沖縄県民あげての運動で再び記述が復活した。また、1999年には、県平和祈念資料館の展示内容を監修委員に無断で変更したことがあった。住民に向けられていた日本兵の銃を抜き取り、「住民虐殺」の展示で、「虐殺」の記述を「犠牲」に変えたのだ。しかし、県内から「行政による歴史改ざん」と厳しい批判が上がり、当時の稲嶺知事は陳謝。展示も監修委員で決定した内容に戻された。
しかし、今回、県は、「文言をそのまま載せれば、説明板はこうした人々にすぐに壊されてしまうのではないかと、不測の事態を警戒した末の措置」(沖縄タイムス)と説明しているという。県内外から不当な圧力があったことが想像されるが、歴史の真実、沖縄戦の実相を伝え続けることが沖縄県民の使命だ。仲井真知事の歴史改ざんを許すわけにはいかない。
以下、問題の「説明板」。県による削除部分には抹消線が引かれている。