(梅里雪山の最高峰・カワクボ(6740m))
3月11日から31日まで、中国雲南省にある梅里雪山(6740m)を訪ねた。
以前のブログにも書いたように、この山はちょうど20年前、京大学士山岳会の日中登山隊が初登頂を目指したが、1991年1月3日の深夜、突然の大雪崩が第3キャンプを襲い、17人が死亡するという、日本のヒマラヤ登山史上最大の惨事となった。その時の登山隊の隊長が、私の山岳部時代の同期の友人・井上治郎だった。
遭難からちょうど20年、彼の死んだ場所に一度、行ってみたいと、いつも気になっていたが、今回、ふとした縁があって、やっと現地を訪れることができた。
その縁というのは、梅里雪山の麓・ミンヨン村のツァシ村長(当時)の娘さんと知り合ったことだ。
遭難から数年たって、第3キャンプ下にあるミンヨン氷河から、遺体や遺品が見つかりはじめた。京大学士山岳会の小林尚礼さんは、仕事を辞め、ミンヨン村に通い続けて、遺体の捜索活動に専念した。彼の活動をささえてくれたのが、当時、ミンヨン村の村長だったツァシさんだった。
その努力のおかげで、1998年から2005年にかけて、遭難した17人中、16人の遺体が見つかり、ご遺族のもとに返された。ヒマラヤの高峰で、遭難した行方不明者の遺体が見つかること自体、まさに奇跡的なことだが、それも、2人の努力のお蔭と言えよう。
こうした捜索活動を通じてできた、ツァシさんとの信頼関係によって、彼の娘・ペマツモさんが来日し、昨春からは、京都の同志社大学で学び始めた。そして、これも全くの偶然だが、彼女は、私の友人・Mさんが、職員として働いている同大学の女子寮に住み始めた。
そんなこともあって、ペマツモさんともすっかり親しくなり、この3月、彼女の一時帰省にあわせて、ミンヨン村を訪ねようという計画が実現した。京都新聞のF記者が同行され、昆明の大学での調査活動を終えた現役の山岳部員・T君が現地合流することになった。
3月11日、関空から中国東方航空で出発。やっと、あの梅里雪山に行けると思うと、胸が高まる。
(カワクボのお后と言われるメツモ峰(6054m))