(沖縄タイムス 1987.1.17~1.19)
東村・高江の北隣は、国頭村・安波地区。今年5月、突然、普天間基地の移設先として浮上し、注目を集めた。下地幹郎らの画策によって、6月10日の区民総会で、振興策を条件に受け入れ容認を打ち出したが、今のところ、県はもちろん、政府からも相手にされていないようだ。しかし、沖縄中が、県外移設で燃え上がっている今、県内にこのような動きがあることは、「沖縄はやっぱり金か」という間違ったメッセージを送りかねない。(沖縄タイムス 2011.6.12社説)
今は、基地誘致に走っているが、この安波地区は、1987年当時、米軍のハリアー攻撃機(垂直離着陸機)の基地建設を、住民らの身体をはった闘いで阻止するという輝かしい歴史を持っているところだ。
1987年1月、在沖米軍海兵隊は、北部演習場内の安波ダム近くで、突然、ハリアー基地建設工事を始めた。国頭村は、ただちに建設反対を決議、特に現場から1.7Kmしか離れていない安波地区では、「平和な生活が破壊される」「悪魔のハリアーを山に入れるな」と、地区ぐるみの反対運動に立ち上がった。
米軍は工事をいったん止めていたが、1月16日早朝から工事を再開した。しかし、ゲート前に座り込んでいた区民約150人が憲兵隊の阻止線を突破して現場に突入、米兵らと乱闘になって怪我人も出たが、こうした激しい住民の闘いによって米軍を工事中断に追い込んだ。
「ハリアー工事をめぐる混乱はついに最悪事態に---。安波区民の切実な願いを無視、工事を強行した米軍に対し、区民は工事現場になだれ込み、身体を張って阻止闘争。米兵と衝突、ついに数人のケガ人も出るという最悪事態になった。午前11時15分すぎ、工事の中止要請を聞き入れない米軍に対し、ゲート前に座り込んでいた区民約150人が、憲兵隊の静止を振り切ってゲートやゲートそばの小高い斜面から一気に工事現場になだれ込み、工事にあたっていた米兵と衝突、こぜり合いとなった。」、「安波区の住民150人余は現場入口で憲兵隊10数人のガードをかいくぐり、建設現場に突入、米兵と乱闘。作業中の重機前に立ちふさがるなどして工事を打ち切らせた。中止要請を聞き入れず住民無視を続けている米軍に区民らの怒りが爆発した」(沖縄タイムス 1987.1.17、1.18)
その後、米軍は、何回か工事再開の動きを見せたが、住民らは現地に監視小屋を建てて24時間の警戒態勢を続けるなど反対運動を強化した。そして、結局、米軍は安波地区でのハリアー基地建設を断念せざるを得なくなったのである。
このハリアー基地建設計画は、1988年に入って、東村・高江が代替地として浮上する。これも、高江の区民総会決議や東村議会の反対決議などで阻止。1989年には再度、安波での建設計画が発表されたが、3000人の村民決起大会、そして、6000人が集まった県民大会など、全県的な運動となって米軍の計画は破たんする。(その後、この計画は、伊江島に移された。)
こうした輝かしい基地建設反対運動の歴史を持つ安波の住民らが、いくら過疎に悩んだとはいえ、普天間基地代替施設の誘致に走り始めたのは残念なことだ。先のタイムス紙の社説は、「安波区の動きは、いたましくて、せつなくて、どうにもやりきれない。」と評しているが、本当にいたましい。
(安波地区の普天間代替施設誘致先) (川をはさんで静かなたたずまいの安波の集落)