9月4日、関空を出てマニラ経由でレイテのタクロバンに入った。翌日、車をチャーターして北レイテの戦跡を巡る。大岡昇平『レイテ戦記』の地図が参考になった。
(急峻なレイテ背梁山脈。米軍に追われた日本軍は、こうした山の中の行軍を強いられた。)
(リモン峠から北、カリガラ湾を望む。)
タクロバンから西に1時間半ほど走るとリモン峠に着く。この辺りでは、1944年の12月、レイテ西部のオルモクからきた第1師団と、タクロバンから西進した米軍が1ケ月にわたって激戦を続けたところだ。この辺りだけで、日本兵6000人が死んだという。
「壕の中にうずくまって火が頭の上を通りすぎるのを待っていた日本兵は、激しい息づかいを近くに聞いて、首を出して見た。まっ赤な顔をした兵士がはって通りすぎるところだった。声をかけたが聞こえないらしく、はあはあ息をしながら、両手で焼けた萱(かや)の根をつかんではって行った。腰から下もまっ赤だった。股から下に脚はなかった。」(『レイテ戦記』)
Break Neck Ridge はどう訳したらいいのだろう。ともかく、この付近は、フィリピン戦で最も血が流された戦場とのことだ。
第1師団の慰霊場
(リモン川)
この付近で多くの日本兵が死に、当時、この川は「血の川」と呼ばれたという。
(工兵第1連隊の碑)
工兵第1連隊は、軍用道路の開設にあたる部隊で前線には立たなかったはずだが、690名が全員戦死した。)
(野砲兵第1連隊碑)