長い闘病生活にもかかわらず、船長として海に出続けたSさんが12月11日に亡くなった。Sさんはさらに、逮捕者の救援活動や裁判闘争を一手に支えてくれていた。まさに辺野古に人生を捧げた男だった。
12月16日(土)、彼を忍んで、抗議船4隻とカヌー19艇で海上行動を行った。
まず、「Sさん、ありがとう」と書かれた横断幕を広げた「ブルーの船」を先頭に海上パレード。K1の工事現場で、やはり船長のK牧師のお祈り・黙祷の後、皆でフロートの内側に献花をした。いつもは騒々しい海上警備の連中も、我々が何をしているのか分かったのだろう、すぐに黙ってセレモニーの様子を見守っている。
Sさんは、5年間のうちに25回の入院、そして7回の手術を受けたという。それでも退院するとすぐに抗議船に乗っていた。時々は、船の上で横になっていたが、やはり辛かったのだろう。愚痴も泣き言も言わない男だった。
12月9日、奥さんからSさんが個室に移ったという連絡が入った。それでも未だそんなに深刻な事態ではないというので、11日にお見舞いに行きますと伝える。翌10日、突然、携帯が鳴った。発信者を見るとSさんと表示されている。慌てて電話を取るが、何も聞こえなかった。もう声が出なかったのだ。「明日、行くよ!」とだけ叫んだが、聞いてくれたのだろうか?
そして11日、病院に向かった。途中で、奥さんから彼が今、亡くなったという電話が入った。「ああ、間に合わなかった」と思うとさすがに足が震え、涙が止まらなかった。病院に着いてかけるように部屋に行く。Sさんは、少し口を開いたまま、いつもの顔で眠っていた。おでこを触ると、まだ温かく、とても死んだとは思えない。長い闘病生活を思うと、やはり「ご苦労さんだったね」という言葉が自然に出た。それでも、Sさんのいない海上行動、辺野古はやはり寂しい。
Sさん、心から冥福をお祈りします。