チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

海保の暴力で転覆させられたラブ子---国賠訴訟で乗員4人が証言。まざまざと再現された当時の惨劇

2018年09月05日 | 沖縄日記・辺野古

 9月5日(水)は一日中、那覇地裁で開かれたラブ子転覆事件国賠訴訟の口頭弁論を傍聴した。審理もいよいよ最終局面に入り、今日は、事件当日、ラブ子に乗船していた4人の証人調べが行なわれた。

  (事件の概要については、8月10日のブログを参照してください。)

 

 証人のうちYさんは仕事の関係で沖縄に来ることができず、本土の裁判所とのテレビ映像を通した証言となった。傍聴席も10隻しかなかったが、幸い、抽選に当たった方に譲っていただき105法廷に入ることができた。(以下は、私のメモと記憶によるものであり、必ずしも正確でない部分もあるかもしれません)

 Yさんは当時、操船していたHさんと一緒にラブ子の操縦席近くにいた。海上保安官らが無理矢理、ラブ子に乗り込んできて、船首にいたKさんを抑え込んだ。そして別の海保がYさんのところに来て、サングラスを手で叩き落し、身体を後ろ向きにさせられて身動きもできなくなった。

 定員以上の海保が乗り込み、さらに海から一人の海保が船べりに手をかけて上がろうとしたため、船は大きく傾いた。そして、Yさんは海保に押さえ込まれたまま、船はそのまま沈んでしまった。

 海の中からやっと浮かびあがったとき、一人の海保に後ろから捕まり、前から来た別の海保が首をつかんで何度も海の中に頭を沈められた。身体が冷え、意識が遠のいていった。海保のボートにあげられた時は、声は聞こえるものの、意識があまりない。寒かったし、気分が悪く、吐き気を覚えた。次ぎに記憶があるのは、港で救急車の音を聞いた時だ。北部病院で電気毛布にくるまれ、海水を飲んだために咳き込みは続いたが、身体はやっと暖まったという。

 Yさんのテレビ映像による証言の後、広い101号法廷に移り、残りの3名が証言した。Kさんは船首にいて最初に海保に押さえ込まれたが、海保がYさんに暴力をふるっているため、声をあげて抗議している。

 操船していたHさんも、乗り込んできた海保に仰向けに倒され、そのまま押さえ込まれた。そして船が転覆するまで、仰向けに倒されたままだったという。もう一人の乗員のSさんは、乗り込んできた海保が、いつも暴力行為を続けている「海保太郎」(自称)だと思い、このままでは自分もケガをさせられる、怖いと思って、その時点で海に飛び込んだという。そして海から、ラブ子が転覆させられる状況をビデオで記録している。

 4人の証言を聞きながら、私も当時の状況を思い出していた。ラブ子が転覆させられた日に、私も別の船で海に出ていたが、大慌てで汀間漁港に戻り、曳航されてきたラブ子をみて、それこそ怒りに震えた。ラブ子が転覆させられる2ヶ月ほど前、私自身が船長として海に出ていた時、臨時制限区域の外であったにもかかわらず、乗り込んできた海保の暴力を受け、全治2ケ月の大ケガをさせられたことがある。抗議船「不屈」は、海保の船にぶつけられ、大きく破損した。当時は、本当にひどい状況が続いていた。

 なんとしてもこの国賠訴訟に勝利し、海保の責任を問いたい。次回の口頭弁論は12月7日(金)午前11時半から。次回でこの訴訟は結審する。

          (海保に転覆させられた後、汀間漁港に曳航されてきたラブ子)

 

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  今日も朝、国道330号線で知事選の街宣活動。裁判の傍聴後は、地域へのチラシ入れを行なった。

 

 

 

 

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