がやったテロからもう23年もたったのか、という感慨。ただ飯を23年も食わせていたのか、という感慨です。
幹部と呼ばれていた人物は、自分とほぼ同世代・かつ、理系の人間も多かった。ので、この件は本当に他人ごとではなかった。まかり間違えば、自分もはまり込んでた可能性は十二分にあったと思っている。いったい、あれは何だったんだろう。
抑圧、だろうか、一言でいうと。子供の頃からそれは折々に感じていたことだったんだけど。今にして思うと、新興住宅地や団地が学校や地域を形成してたのがまずかったんじゃないかとも思う。そうそう、小学校の校歌、あれ、変な歌だったよなあ。オウムのヘンな歌と張るわ。「昔ながらの武蔵野に、並ぶわれらのニュータウン。団地の子らの良い学校、タウンとともに育ちましょう」ってこれ、タウンの歌だろが。ニュータウン団地なんぞに住んでいなかったので、強烈に違和感ありましたね。まあ子供だから、とにかく覚えて歌わないと怒られるから歌ってたけど。こういう強制、テロ組織と何ら変わらん。この歌、まだ使ってるのか?北小に聞いてみたいもんだ。この歌に代表されるように、訳の分からんものに帰順することを強く要求される。
色々言われたな、教師に。団地の大人は、お互いやきもちを焼くとか。その内容はTVだの洗濯機だのを誰かが買うと、問題になる、とか。あーこれも今なら分かるのだが、要するに、団地だのマンションだのという集合住宅って、世帯収入がほぼ横並びの人達が入居するんだよね、だから、その中で誰かが収入より外れたことをやると、なんだあいつ、となるわけだ。これは今でもあるそうですけどね、ばからしい。
最近聞いた話だが、新興住宅地というのはガッコが荒れるんだそうな。昔ながらの規範がないもんだから、どうしても力の圧力でゴリゴリやらないとまとまらないという事なのか。
あの当時、特に女子はうっとうしかったなあ。どこか全員イライラしていたように思う。男子はケンカばかりしていた。いじめなんか日常茶飯事。大人どもがイラついてたからじゃないかと思うんだけど。確か自分らが小学生の頃、ラジオでは不況だ不況だとオウムみたいに言ってた。金が稼げない、のに働かされる、すでに大人の状況がめちゃくちゃ歪んでたんだじゃないかな。
大人からすると、じゃあ、子供は何だったのか?邪魔だったんじゃないの。なぜそうか?多分全共闘が悪い。あいつら、親の金で大学=高等教育を受けたクセに、結局テロリストになり下がったわけで、これは当時の大人世代にはただただショッキングだったんじゃないかと。ので、教育はいいけど、なるべく従順な人間になるようにしよう、となったんじゃないですかね。勝手なことを言ったりやったりするのは、子供なら当たり前だけど、それがもう許せない、おっかない、というわけで。
バカバカしいけど、そこに変なあおりが入った。それが例の「ノストラダムスの大予言」ですねえ。ノストラダムスって誰だよ、と思うし、書かれてた内容は荒唐無稽の一言なんだけど、子供は軽くはまった。1999に滅亡というのは当時の子供にはものすごくシリアスな話だった。だから勉強やめた、なんて子も結構いたと思う。自分的には、なにかのCMで「21世紀をになう子どもたちのために」なーんてナレーションにケッとなってた。理由の一つ目は1999に滅亡すんだから、21世紀なんかないのにってのと、もう一つは21世紀になったら、結局はしょうもない事にこき使われるだけなんでしょ、という絶望と。仕事というのに全く魅力を感じることができなかったなー。
それに他のあおりが来る。「巨人の星」と「エースをねらえ」ですよ。この漫画の主人公は、どっちも基本的には「自分はダメな奴」で、周囲の人間のいう通りにあーだこーだやって、という、他力本願の塊みたいな人物。で、こういう自己卑下が妙にかっこいいとされた。これも全共闘の「自己批判」とやらの変形でしょうね。そうじゃない漫画も流行ったけど。それが「ベルばら」。ここに出てくる主人公は、自分の頭で考えて行動する。でも、そういう人間は最終的には死んじゃう結末で、いい事ないんですよ。
困ったことに、エリートとされるような理系の人間が自分に自信がなくなっちゃってたんだ。これは親が悪い。もっといいガッコ・もっといい成績とケツを叩きまくって(その理由は説明しないくせに)自分の問題を子どもにかぶせてたんだ。どこまでやっても、認めてもらえない、その渇望感にすぽっとはまってきたのがオウムだったんでしょ。一生懸命やれば認めてもらって出世できる、すごく分かりやすいものね、構図が。こういう団体って、どんどん過激なことを言ったりやったりする方が認められやすい。歯止めはまず効かない。止めようとしたらこっち、あいつは一生懸命じゃないじゃないかとなって、下手すると殺されますから。
こういう話は、ついこないだの日大アメフト部事件でも全く同じようなパターンで、監督やコーチの記者会見はホント、麻原みたいだなと思ったんだけど。今回違ってたのは、生徒側が、そういう洗脳を受けづらい、マトモなフツーの人だった、ということ。もう一つは、周囲。情報が即ネットで出回るようなスポーツだった、ということと。逆に言えば、そうじゃなければ、相変わらずそういう団体はあちこちにポコポコできてるんじゃないかと思う。DVなんかもその一種で、家庭というのも一種の団体だから。こういうの、どうすりゃいいんでしょうか?分からないんですよ。少なくとも、オウムが特別という事は絶対にないと言い切れるのだが。
幹部と呼ばれていた人物は、自分とほぼ同世代・かつ、理系の人間も多かった。ので、この件は本当に他人ごとではなかった。まかり間違えば、自分もはまり込んでた可能性は十二分にあったと思っている。いったい、あれは何だったんだろう。
抑圧、だろうか、一言でいうと。子供の頃からそれは折々に感じていたことだったんだけど。今にして思うと、新興住宅地や団地が学校や地域を形成してたのがまずかったんじゃないかとも思う。そうそう、小学校の校歌、あれ、変な歌だったよなあ。オウムのヘンな歌と張るわ。「昔ながらの武蔵野に、並ぶわれらのニュータウン。団地の子らの良い学校、タウンとともに育ちましょう」ってこれ、タウンの歌だろが。ニュータウン団地なんぞに住んでいなかったので、強烈に違和感ありましたね。まあ子供だから、とにかく覚えて歌わないと怒られるから歌ってたけど。こういう強制、テロ組織と何ら変わらん。この歌、まだ使ってるのか?北小に聞いてみたいもんだ。この歌に代表されるように、訳の分からんものに帰順することを強く要求される。
色々言われたな、教師に。団地の大人は、お互いやきもちを焼くとか。その内容はTVだの洗濯機だのを誰かが買うと、問題になる、とか。あーこれも今なら分かるのだが、要するに、団地だのマンションだのという集合住宅って、世帯収入がほぼ横並びの人達が入居するんだよね、だから、その中で誰かが収入より外れたことをやると、なんだあいつ、となるわけだ。これは今でもあるそうですけどね、ばからしい。
最近聞いた話だが、新興住宅地というのはガッコが荒れるんだそうな。昔ながらの規範がないもんだから、どうしても力の圧力でゴリゴリやらないとまとまらないという事なのか。
あの当時、特に女子はうっとうしかったなあ。どこか全員イライラしていたように思う。男子はケンカばかりしていた。いじめなんか日常茶飯事。大人どもがイラついてたからじゃないかと思うんだけど。確か自分らが小学生の頃、ラジオでは不況だ不況だとオウムみたいに言ってた。金が稼げない、のに働かされる、すでに大人の状況がめちゃくちゃ歪んでたんだじゃないかな。
大人からすると、じゃあ、子供は何だったのか?邪魔だったんじゃないの。なぜそうか?多分全共闘が悪い。あいつら、親の金で大学=高等教育を受けたクセに、結局テロリストになり下がったわけで、これは当時の大人世代にはただただショッキングだったんじゃないかと。ので、教育はいいけど、なるべく従順な人間になるようにしよう、となったんじゃないですかね。勝手なことを言ったりやったりするのは、子供なら当たり前だけど、それがもう許せない、おっかない、というわけで。
バカバカしいけど、そこに変なあおりが入った。それが例の「ノストラダムスの大予言」ですねえ。ノストラダムスって誰だよ、と思うし、書かれてた内容は荒唐無稽の一言なんだけど、子供は軽くはまった。1999に滅亡というのは当時の子供にはものすごくシリアスな話だった。だから勉強やめた、なんて子も結構いたと思う。自分的には、なにかのCMで「21世紀をになう子どもたちのために」なーんてナレーションにケッとなってた。理由の一つ目は1999に滅亡すんだから、21世紀なんかないのにってのと、もう一つは21世紀になったら、結局はしょうもない事にこき使われるだけなんでしょ、という絶望と。仕事というのに全く魅力を感じることができなかったなー。
それに他のあおりが来る。「巨人の星」と「エースをねらえ」ですよ。この漫画の主人公は、どっちも基本的には「自分はダメな奴」で、周囲の人間のいう通りにあーだこーだやって、という、他力本願の塊みたいな人物。で、こういう自己卑下が妙にかっこいいとされた。これも全共闘の「自己批判」とやらの変形でしょうね。そうじゃない漫画も流行ったけど。それが「ベルばら」。ここに出てくる主人公は、自分の頭で考えて行動する。でも、そういう人間は最終的には死んじゃう結末で、いい事ないんですよ。
困ったことに、エリートとされるような理系の人間が自分に自信がなくなっちゃってたんだ。これは親が悪い。もっといいガッコ・もっといい成績とケツを叩きまくって(その理由は説明しないくせに)自分の問題を子どもにかぶせてたんだ。どこまでやっても、認めてもらえない、その渇望感にすぽっとはまってきたのがオウムだったんでしょ。一生懸命やれば認めてもらって出世できる、すごく分かりやすいものね、構図が。こういう団体って、どんどん過激なことを言ったりやったりする方が認められやすい。歯止めはまず効かない。止めようとしたらこっち、あいつは一生懸命じゃないじゃないかとなって、下手すると殺されますから。
こういう話は、ついこないだの日大アメフト部事件でも全く同じようなパターンで、監督やコーチの記者会見はホント、麻原みたいだなと思ったんだけど。今回違ってたのは、生徒側が、そういう洗脳を受けづらい、マトモなフツーの人だった、ということ。もう一つは、周囲。情報が即ネットで出回るようなスポーツだった、ということと。逆に言えば、そうじゃなければ、相変わらずそういう団体はあちこちにポコポコできてるんじゃないかと思う。DVなんかもその一種で、家庭というのも一種の団体だから。こういうの、どうすりゃいいんでしょうか?分からないんですよ。少なくとも、オウムが特別という事は絶対にないと言い切れるのだが。