遠藤良宏
の話を読み聞き(なんかしたくなかったのに)するたび、40年も前のことなのに、やられた事って鮮明に思い出せるもんだ、というのは、嫌なもんです。
本当にあれはなんだったんだろう?と思い返すわけですが。
そもそも、所沢に引っ越してから、いい思い出ってばザリガニ取りくらいなんですよ。取れた田んぼも次々埋め立てられて住宅地になっちゃうし(で、埋め立てられた後に建った住宅は、地盤不良のせいで床が傾くんだそうな。埋められたザリガニの呪いだ。田んぼだったなんて、見た目全然分からないもんね、新築時は所沢は地盤調査した方がいい)。
とかく不機嫌、というのが教師・保護者・子供の基本だったんじゃないかな。今となれば、理由は大体分かる。北小学校というとこに通っていたのだが、そこの校歌に集約されてるかもね、問題が。
要は「ニュータウン」か。違和感ありまくりの校歌。これ、ニュータウンの歌であって、校歌と呼べる代物じゃない。のに、未だ使われている違和感。自分は「団地の子」じゃなかったから(戸建て人間だった)、なんかこう疎外感があったような気がするんだけども。ニュータウン(というか、公団住宅ね)の当時の大人どもの意識は「横並び&妬み嫉み」って奴。そりゃそうで、収入がほぼ同じような人たちが入居したから。どちらかというと中の下。だから、今となっては大笑いだが、やれあっちはテレビだ、こっちは洗濯機だっていうのを噂にしては足を引っ張り合う、てな話を教師が小学生にしてましたね。話してどうなるというのだ。そんなもん、大人同士で解決しろよと思うのだが。一方、収入以外はなんら共通点がない連中が集まってた、ともいえる。
ただ、子供という生き物は、放り込まれてる環境でも状況でも、とにかく適応して生き延びようとする。問題意識なんか持つわけもない。暴力やいじめは小学生の頃からはびこっていた。それを解決する策もその気もないのは教師も保護者も同じだった。共通ルール的なものが存在しないのがニュータウンの特徴ですもんね。そういう場所は、ガッコが荒れるんだって。だから、「六むし」の遊び程度で毎度殴り合いのケンカが勃発する。大人同士のイライラが子供に伝染してたんじゃないかな。
その集大成が中学で起きたってことみたいだったんですけど。遠藤を筆頭に、体育教官が幅を利かせてて、気に食わないと暴力を振るう。殴る蹴るが日常的に起きてて、更に言うと、女子生徒に対して、性的な嫌がらせをする教師もいた。ガッコの無法地帯ぶりは凄まじくて、しかし、事あるごとに「内申書」をちらつかせては生徒を押し込めてたな。部活動を長時間やらせて生徒をガッコに縛り付けることもやってた。暴力振るいまくって生徒を追い込めば成績は伸びる、で、陸上部が全国1位なんてやってたわけ。それが自慢だったようですけどね。そりゃ生徒の手柄であんたの手柄じゃないっての。そんな事も分からん連中ばかりというのは、奴の講演とやらの内容でよく分かる。偉そうに。聴く側がヘイコラしてるのが見え見えなんですよ。
だもんだから、告発者が出て、ワイドショーで取り上げられても、その実績とやらが大好きな保護者がガッコ&教師を支持したってこと。何やられてもいいわけだ。
今ならわかる。もうね、社会全体がそれを肯定する「おじさん文化」にどっぷりだったってこと。更には、子供も洗脳した。当時はやってたマンガといえば「巨人の星」だの「エースをねらえ」だの。大人の道具に成り下がって、自分の頭で考えず、罵詈雑言に耐えてせっせせっせとやれば出世できます、みたいな価値観の刷り込みを図ってたんでしょ。暴力礼賛者を増産・複製し続けてたってこと。こういう人間はしかし、昭和の会社組織ではかなり重宝。そんなのが未だにずるずる続いちゃってるってわけ。
今でも、自分にはこの辺の刷り込みが事あるごとに顔を出してきて、まともな価値感がどこにあるのか、苦労させられることが多い。自分の思考を信用できない。当時の所沢向陽中学校卒業生は、知らず知らずのうちにDV加害や被害を繰り返してるのではないか、と心配している。それが当たり前みたいな思考を刷り込まれてるから。目の前で繰り広げられる無意味な暴力が及ぼす影響ってこれほどに恐ろしい。
ということで、所沢には絶対住みたくないわいと思うんだけど。いやなのは、将来、老人施設に入ったら、当時の卒業生どもがうじゃうじゃいて、小中学生の頃の関係性に逆戻りさせられる可能性。ジョーダンじゃないです。そんなら、どっか世界の端っこで野垂死ぬ方がマシだ。