



彼女にも逃げられ、親からも勘当された無職の青年、坪木仁志は謹厳な金貸しの老人、佐伯平蔵の運転手として、丹後・久美浜に向かった。乏しい生活費から毎月数千円を三十二年に渡って佐伯に返済し続けた女性に会うためだった。そこで仁志は本物の森を作るという運動に参加することになるのだが―。若者の再起と生きることの本当の意味を、圧倒的な感動とともに紡ぎ出す傑作長編。

”見えるものしか見ないタイプと、見えないものを見ようと努力するタイプだ。きみは後者だ。”
”世の中で、というよりも、我々ひとりひとりの身の廻りで起こることに、偶然てものはないってことだよ”
”上にはへりくだり、下にはいばり、底意地が悪くお天気屋で、手柄はじぶんのもの、失敗は部下のせい。”
”自分を磨く方法を教えるよ。・・・働いて働いて働き抜くんだ。これ以上は働けないってところまでだ。もうひとつある。自分にものを教えてくれる人に、叱られつづけるんだ。叱られて、叱られて、叱られて、これ以上叱られたら、自分はどうかなってしまうっていうくらい叱られつづけるんだ。このどっちかだ。”
悪く変わるのは簡単だが、良く変わるのはじつに難しい・・・と。
借りた物を返すのは当たり前だけれど、出来ない、しない、って人がいるわけで、貸した人は困るわね。でも夫の借金を幼い子を抱えて少しずつでも返し続けている北里千満子がいた。
佐伯平蔵が過去を語り始め、坪木仁志は佐伯平蔵に言われていることがわかるのかな・・・きっと大丈夫。
百年前の植物の種・・・のお話にふむふむ
引き込まれて 下にいく・・・


十年後も十光年先も、百年後も百光年先も、百万年後も百万光年先も、小さな水晶玉のなかにある。―与えられた謎の言葉を胸に秘め、仁志は洋食店のシェフとして、虎雄は焼き物の目利きとして、紗由里は染色の職人として、それぞれ階段を着実に登り始めた。懸命に生きる若者と彼らを厳しくも優しく導く大人たちの姿を描いて人生の真実を捉えた、涙なくしては読み得ない名作完結編。

人とのつながりだった。
つながってつながって・・・若い頃読んでいたなぁ~って、読み終わって解説にいったら、最後に「三十歳前後の青年が本書を手にされんことを切に望む。間違いなくなんらかの指針を得られるはずである。」」と書かれてあった。
”正直で潔癖な青年は山ほどいる。磨かなければ原石のままだ。”
”善良な心で一生懸命生きようとしている真面目な人たちのつながり、輪、連帯”
”自分の身の回りで起こることは、すべて何か大きな意味があります。”
騒音でしかなかった近所のアマチュアチェリストが自宅で小さなリサイタルを開く。あんな騒音を近くで聞くのはとためらっていても行くの。そのときアマチュアチェリストが話したことは・・・そして感動的な演奏だった。
三十年後・・・自分に何が起きているか・・・今、三十の若者だったら・・・今って、今六十代の人よりずっとずっと大切よ。
「人間は変われるんだ。悪く変わるのは簡単だが、良く変わるのは実に難しい」 でも、やってごらん。
