Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2017年5月18日(木)[湖北]行市山・美しい雑木林と、賤ヶ岳の戦いの痕跡を訪ねる

2017年05月19日 | 山登りの記録
■メイン写真
行市山山頂の三角点から、伊吹山など南東方面の眺めを見る


■今回のコース
毛受兄弟墓(駐車)→林谷山(徳山砦跡)→金森砦跡→中谷山(原砦跡)→林道横断→
別所山(前田砦跡)→行市山→(往路を戻る)→毛受兄弟墓


余呉湖周辺の山にも通い慣れてきたが、行市山は、羽柴秀吉と柴田勝家が戦った、
有名な「賤ヶ岳の戦い」で、勝家軍が多くの砦を設けた山だ。



登山口には、毛受(めんじゅ)兄弟の墓がある。主君・勝家への忠義を貫き戦死した
兄・茂左衛門、弟・勝助が眠っている。

戦いは、勝家軍が不利となり、勝家を越前まで撤退させるため、その身代わりとなり、
金の御幣の馬印を掲げ、わずかな手勢とともに秀吉軍を食い止めるも討死した。
秀吉は、その忠義と武勲を高く評価し、亡骸を丁重に葬り、遺族を厚く保護したという。



登山口の表示板には、それぞれの砦跡(山頂)までの距離が書かれている。
獣除けゲートを開けて、登山道に入る。



はじめは植林だが、すぐに雑木林に変わる。
涼しい風が抜けていく。ウリカエデのプロペラ種子が揺れた。



この日はすばらしい好天に恵まれ、強い光が新緑の葉を通り抜けて林床全体が
緑色に染まっている。



最初の小ピークの分岐で、右へ300m寄り道すると、林谷山(徳山秀現砦跡)に着く。
明らかに人為的な平坦地になっているので、山頂らしくない。

元の道に戻り、直下の金森長近砦跡を見てから、先へ進む。



新堂への分岐で、幅広の道に合流する。



この山は、ホオノキが多いのが印象的だ。



おっ、ハリギリもあるではないか。



三角点がある中谷山(原彦次郎砦跡)に着く。ここも、林谷山ほどではないが
平坦になっている。



そのすぐ先で、南側に展望が得られる。
直下の集落の中に、毛受兄弟の菩提寺・全長寺が見える。
また、向こうに余呉の町が見える。



すぐ横に林道が沿ってきた。これから登る行市山を背に、タニウツギが爛漫と咲く。



タニウツギはこのあたりに群生していた。



おもしろい形の作業小屋の横を通る。内部はタタミ1畳くらいの広さだろう。



林道を横断すると間もなく、別所山に着く。前田利家が造成したとの説があるそうだ。
縦横30数メートルの立派な土塁が築かれ、堀の跡も明瞭に残されている。
もちろん、これだけ広いと、山頂っぽくない。
ここで昼食とする。



ガマズミも綺麗に咲いていた。



青空が眩しい。今が、歩いていていちばん心地いい季節かもしれない。



しばらく先から、急登となる。
冬は雪が多いのだろう。多くの木の幹が倒されて曲がっている。



山頂手前で一度、南東方面に大展望が開ける。



カエデやミズナラ、たまにプナも混じるきれいな森林をもう一度見たら、
行市山の山頂だ。

行市山にも三角点がある。やはり南東方面の眺めがすばらしく、
小谷山、伊吹山、金糞岳、横山岳などが一望できた(メイン写真)。



山頂で見たカクムネベニボタル。
蛍の名があるが、これは光らない代わりに、身体に毒素をもつという。

山頂から先にも、ミヤコザサの薮の中に踏み跡が続くが、
少し分け入ってみただけで無数のダニがズボンについたので、潔く戻った。

下山は、もとの道を忠実に戻るのみ。意外に早く下山できた。


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