![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/58/8d7d8e1d4bb5c9e97c9bcdaee06f22fa.jpg)
■メイン写真
矢田山展望台から生駒山を望む
■今回のコース
法隆寺門前バス停→法隆寺→斑鳩神社→松尾寺→松尾山→国見台展望台→矢田峠→
矢田山展望台→矢田山最高点→小笹峠→榁木峠→神武峰→椚峠→展望橋→ムノ池(阪奈道路)→
ドンデン池→生駒市体育協会総合S.C.(旧生駒市総合公園)→饒速日命墓→白谷バス停
奈良県北西部、生駒山系の東側に、南北約20kmにわたる低山帯、矢田丘陵。
普通は法隆寺から榁ノ木峠または霊山寺へと、丘陵の南半分を歩くことが多いようが、
今回、榁ノ木峠からさらに北へ足を延ばし、地形的に丘陵地帯が終わる白庭台まで
完全縦走してきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/53/14adda0c4ebce24287e923cbc8406246.jpg)
法隆寺の参道で見つけた、ポケモンデザインのマンホール。何種類かあらしい。
法隆寺観光の新たな集客アイテムとなるか!?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/a5/7ea28b32082edab0d1cc2bb5540ad1e1.jpg)
法隆寺。あまりに有名なため説明は割愛。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/35/d8dbeea97942b2885e10550077624f63.jpg)
東大門を経て天満池を回り込む。法隆寺CCの真ん中を突っ切る道を進み、
いよいよ山道に入る。昨日の雨の影響はそれほど感じない。よかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/02/5587f4000740d53a7913e24786992337.jpg)
ひと登りで、日本最古の厄除けの寺・松尾寺に着く。
養老2年(718)、天武天皇の皇子舎人親王が、勅命による
日本書紀編纂の折、42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの
願をかけて建立された、日本最古の厄除霊場という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/65/069713fed73b8372e484e30ab4b55769.jpg)
管理道に入り、NHKの電波塔が建つ松尾山の山頂へ。
北西の角にひっそりと三角点が埋まる。北東の角からは、若草山など青垣北部の山々が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/59/8bf37a524fc06227717bd4a29d9d2470.jpg)
国見台展望台。改めて青垣の山々を展望する。
少し雲がかかっていたが、若草山、春日山、龍王山、三輪山、大和三山などが
見渡せて爽快だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/d2/034b4fffe437c5ef71e217058b27cc72.jpg)
矢田山展望台。先日まで板の一部が破損して立入禁止だったが、修理されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/47/5bab46c72a410c2a7185bdb10c2b313b.jpg)
アオモジの花が満開。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/a8/5c62580cb553224c7b2f82e540d03c9f.jpg)
遊歩道を歩いていて、ふとガス臭を感じる。そうか、もうヒサカキが咲いたのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/90/b8de3e5536717296ecdfaa6f5a010001.jpg)
榁ノ木峠に立つ五尺地蔵。かつての旧伊勢街道がここを通っていた。
大阪から暗峠を経て、ここから奈良盆地に入ったのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/64/f3a5f7b25348710bcba5939afb385a69.jpg)
北へ続く山道に入るとすぐに、美しい竹林中にミニ八十八ヶ所めぐりの石仏群がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/02/56adffdc9d310c92e38629b55cae64c3.jpg)
のどかな雑木林の道。歩きやすい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/9b/4ba8a57a157834ff56b56858b02c6726.jpg)
登山道を少し外れて、神武峰の三角点「山ノ奥」に寄ってみる。
ササの中で展望はないが、「神武」の名に免じて。
即位前の神武の名は、磐余彦(イワレヒコ)尊とされる。イワレヒコが東征の序盤に、
鳥見(とび)の豪族・長髄彦(ナガスネヒコ)に破れる。
その長髄彦の本拠地がこのあたりの麓(現在の富雄あたり?)なのだそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/51/9aab2cfc0c2b34b54a904aa9e8e5103c.jpg)
しばらく進むと、若草山方面が開けた。雲が消えて稜線がハッキリ見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/3c/27113d74c41753a10ca875cf674073a4.jpg)
椚峠へ下る。ここは交通量が多く、横断するのがたいへんだ。
親切なBMWが停まってくれて渡ることができた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/4b/169cb445bb84ec2a6ffcca63b90e6029.jpg)
清掃リレーセンターの横を抜け、電波塔の管理道から遊歩道を下っていく。
木製の展望橋が突然現れる。バックに生駒山を入れて記念撮影。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/9b/2eb5cf585e8a22f0d4acfa9a3d76c846.jpg)
道の脇に、発芽したてのコナラが多数見られた。赤くってかわいい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/e5/81057a7781c3fca82ffc14e14949f462.jpg)
この時期、花はまだ少ないが、スミレが健気に咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/7e/312cf7ee34c9f53c99054f32fc9bf1a1.jpg)
ムノ池のほとりから、阪奈国道を歩道橋でまたぎ、庄六池横のお地蔵様の先で
右へ折れる。静寂のドンデン池のウッドデッキを歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e8/a3ed34434b55f3d5786128f9a9e1a95a.jpg)
コナラの広場を経てとバス道に出ると、しばらく舗装道を歩く。
生駒市体育協会総合S.C.(旧生駒市総合公園)に入り、グランドの北端へ。
ここからは矢田丘陵遊歩道の範囲外になるので、道標は皆無になる。
踏み跡はハッキリしているが、細かい分岐がややこしいかも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/a1/1dd667cbd924763cda46df32dc9fa3be.jpg)
最後の分岐を右に入ると、饒速日(ニギハヤヒ)命墓に着く。
ニギハヤヒは、神武東征よりも先の時代に、天照大神から十種の神宝を授かって
天磐船に乗り、河内に降臨してきた。
長髄彦に王として迎えられ、その妹を妃として鳥見に住むことになった。
のちにイワレヒコと戦う際に、神宝を「見せあいっこ」して神(王)の正統性を
互いに証明することになり、どういうわけか殺し合いをせずに、磐余彦に
「国譲り」を行うのだ。隠棲の地が、この鳥見の丘だったという。
買ったら高そうなユリの花と地酒がお供えされ、手厚く祀られている。
関電巡視路を下って、白谷バス停近くの畑の裏に出る。
この日は完全縦走するために、やや早めに歩いたが、ご参加の皆さんも健脚ぶりを
発揮され、見事33.000歩の完歩となった。
矢田山展望台から生駒山を望む
■今回のコース
法隆寺門前バス停→法隆寺→斑鳩神社→松尾寺→松尾山→国見台展望台→矢田峠→
矢田山展望台→矢田山最高点→小笹峠→榁木峠→神武峰→椚峠→展望橋→ムノ池(阪奈道路)→
ドンデン池→生駒市体育協会総合S.C.(旧生駒市総合公園)→饒速日命墓→白谷バス停
奈良県北西部、生駒山系の東側に、南北約20kmにわたる低山帯、矢田丘陵。
普通は法隆寺から榁ノ木峠または霊山寺へと、丘陵の南半分を歩くことが多いようが、
今回、榁ノ木峠からさらに北へ足を延ばし、地形的に丘陵地帯が終わる白庭台まで
完全縦走してきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/53/14adda0c4ebce24287e923cbc8406246.jpg)
法隆寺の参道で見つけた、ポケモンデザインのマンホール。何種類かあらしい。
法隆寺観光の新たな集客アイテムとなるか!?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/a5/7ea28b32082edab0d1cc2bb5540ad1e1.jpg)
法隆寺。あまりに有名なため説明は割愛。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/35/d8dbeea97942b2885e10550077624f63.jpg)
東大門を経て天満池を回り込む。法隆寺CCの真ん中を突っ切る道を進み、
いよいよ山道に入る。昨日の雨の影響はそれほど感じない。よかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/02/5587f4000740d53a7913e24786992337.jpg)
ひと登りで、日本最古の厄除けの寺・松尾寺に着く。
養老2年(718)、天武天皇の皇子舎人親王が、勅命による
日本書紀編纂の折、42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの
願をかけて建立された、日本最古の厄除霊場という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/65/069713fed73b8372e484e30ab4b55769.jpg)
管理道に入り、NHKの電波塔が建つ松尾山の山頂へ。
北西の角にひっそりと三角点が埋まる。北東の角からは、若草山など青垣北部の山々が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/59/8bf37a524fc06227717bd4a29d9d2470.jpg)
国見台展望台。改めて青垣の山々を展望する。
少し雲がかかっていたが、若草山、春日山、龍王山、三輪山、大和三山などが
見渡せて爽快だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/d2/034b4fffe437c5ef71e217058b27cc72.jpg)
矢田山展望台。先日まで板の一部が破損して立入禁止だったが、修理されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/47/5bab46c72a410c2a7185bdb10c2b313b.jpg)
アオモジの花が満開。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/a8/5c62580cb553224c7b2f82e540d03c9f.jpg)
遊歩道を歩いていて、ふとガス臭を感じる。そうか、もうヒサカキが咲いたのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/90/b8de3e5536717296ecdfaa6f5a010001.jpg)
榁ノ木峠に立つ五尺地蔵。かつての旧伊勢街道がここを通っていた。
大阪から暗峠を経て、ここから奈良盆地に入ったのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/64/f3a5f7b25348710bcba5939afb385a69.jpg)
北へ続く山道に入るとすぐに、美しい竹林中にミニ八十八ヶ所めぐりの石仏群がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/02/56adffdc9d310c92e38629b55cae64c3.jpg)
のどかな雑木林の道。歩きやすい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/9b/4ba8a57a157834ff56b56858b02c6726.jpg)
登山道を少し外れて、神武峰の三角点「山ノ奥」に寄ってみる。
ササの中で展望はないが、「神武」の名に免じて。
即位前の神武の名は、磐余彦(イワレヒコ)尊とされる。イワレヒコが東征の序盤に、
鳥見(とび)の豪族・長髄彦(ナガスネヒコ)に破れる。
その長髄彦の本拠地がこのあたりの麓(現在の富雄あたり?)なのだそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/51/9aab2cfc0c2b34b54a904aa9e8e5103c.jpg)
しばらく進むと、若草山方面が開けた。雲が消えて稜線がハッキリ見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/3c/27113d74c41753a10ca875cf674073a4.jpg)
椚峠へ下る。ここは交通量が多く、横断するのがたいへんだ。
親切なBMWが停まってくれて渡ることができた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/4b/169cb445bb84ec2a6ffcca63b90e6029.jpg)
清掃リレーセンターの横を抜け、電波塔の管理道から遊歩道を下っていく。
木製の展望橋が突然現れる。バックに生駒山を入れて記念撮影。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/9b/2eb5cf585e8a22f0d4acfa9a3d76c846.jpg)
道の脇に、発芽したてのコナラが多数見られた。赤くってかわいい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/e5/81057a7781c3fca82ffc14e14949f462.jpg)
この時期、花はまだ少ないが、スミレが健気に咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/7e/312cf7ee34c9f53c99054f32fc9bf1a1.jpg)
ムノ池のほとりから、阪奈国道を歩道橋でまたぎ、庄六池横のお地蔵様の先で
右へ折れる。静寂のドンデン池のウッドデッキを歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e8/a3ed34434b55f3d5786128f9a9e1a95a.jpg)
コナラの広場を経てとバス道に出ると、しばらく舗装道を歩く。
生駒市体育協会総合S.C.(旧生駒市総合公園)に入り、グランドの北端へ。
ここからは矢田丘陵遊歩道の範囲外になるので、道標は皆無になる。
踏み跡はハッキリしているが、細かい分岐がややこしいかも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/a1/1dd667cbd924763cda46df32dc9fa3be.jpg)
最後の分岐を右に入ると、饒速日(ニギハヤヒ)命墓に着く。
ニギハヤヒは、神武東征よりも先の時代に、天照大神から十種の神宝を授かって
天磐船に乗り、河内に降臨してきた。
長髄彦に王として迎えられ、その妹を妃として鳥見に住むことになった。
のちにイワレヒコと戦う際に、神宝を「見せあいっこ」して神(王)の正統性を
互いに証明することになり、どういうわけか殺し合いをせずに、磐余彦に
「国譲り」を行うのだ。隠棲の地が、この鳥見の丘だったという。
買ったら高そうなユリの花と地酒がお供えされ、手厚く祀られている。
関電巡視路を下って、白谷バス停近くの畑の裏に出る。
この日は完全縦走するために、やや早めに歩いたが、ご参加の皆さんも健脚ぶりを
発揮され、見事33.000歩の完歩となった。