Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2010年8月9日(月)~11日(水)いにしえの立山入りの道・立山新湯からザラ峠(廃道)に挑む(2)

2010年08月19日 | 山登りの記録
10日の朝をテントで迎えた。
地面がやや斜めになっていたので、なんとなく熟睡できなかった。
しかし、時間的には十分、休息できた。
既に朝風呂を楽しんでいるメンバーもいる。

今日は沢筋をひたすら詰め、ザラ峠に出る予定だ。
昨夜、ずっと焚き火にかざしていたはずの靴は殆ど乾いていなかった。



しかし、出発するや否や、沢の渡渉を何度も強いられたので、
実際には何も困ることはなかった。

水量が減ってきたら、今度は眼前にスノーブリッジが広がった。
どう見ても雪渓は痩せており、踏み抜かないか心配だ。
軽アイゼンを装着する。



イエティを先頭に、アンザイレンしてMr.Dashが続く。
彼が雪をもし踏み抜いたら、Mr.Dashはただちに後方に重心を振り、
ビレイしなくてはならない。
静かな緊張感の中、端を通らないよう、じわじわと進む。
他のメンバーが、後に続く。
濡れた登山靴に、雪の冷たさがじかに伝わった。



雪渓を抜けると、あとはガラガラの浮石帯が上まで続く。
さすがザラ峠の名に恥じない、すべて浮き石でできた斜面だ。
草付きに沿うと、若干なりとも地盤が安定している。
互いに20m以上距離を保ちながら、じわじわと登るしかない。
一歩、足を前に出せば7割方、崩れて戻される。これも立山地獄の一つか。

やがて、背の低いダケカンバやミネザクラの枝にすがりながらの
登高となる。足元は相変わらず崩れることおびただしい。
初めはポツリポツリだった雨が、昼過ぎには本降りになってきた。
雨具をまとい、昼食も満足に取れないまま、ひたすら登る。つらい行程だ。

いよいよ標高差にして最後の50m程度となる。
ここで、厳密なザラ峠から、枝沢を1本、北にそれたのに気づく。
しかし、ここで隣の赤い谷筋に移動するのはかなりのアルバイトを
強いられそうだ。
登るべき標高がやや増えるが、構わず登りきろう。



ハイマツ帯が目の前に立ちはだかるが、もう、稜線を歩く登山者も見える距離。
強引に、ハイマツの海を泳ぐ。
漕ぐのに慣れないメンバーは、かなり苦労をしており、先頭を行くMr.Dashとの
距離がみるみる開いていく。

稜線で休憩していたハイカーが、我々を見つけて、かなり驚いた様子。
ルートを間違え、さまよったしまったと思ったらしいが、
「いや、分かってますよ」と応える。

ともかく、ようやく14:00、格闘すること7時間で、稜線の一般登山道に
出ることができた。メンバー全員で喜び合い、健闘を称えあった。



こういう瞬間が好きで、仲間との登山はやめられないし、
こういう瞬間を共有するごとに、仲間は、よりかけがえのない存在になっていく。

元々、今日は一の越山荘まで頑張る計画であったが、既に予定時間を2時間も
オーバーしており、体力の余裕もない。
ゴールとは逆方向ではあるが、このまま最寄りの五色ヶ原山荘に転がり込んだ。

予約をしていなかったことで、小屋の兄ちゃんはかなり迷惑そうだったが、
「山小屋ですから」と言い放って部屋割りを決めてくれた。
一の越山荘にキャンセルをしたいと言うと、大雨の中、立山カルデラが見える
所まで戻り、ドコモのケータイで勝手に連絡してくれという。
小屋の衛星電話で連絡をお願いできないかとお願いするが、
「非常事態以外はダメです」とすげない。
おまけに濡れ鼠なのに、乾燥室には雨具とザックカバーしか入れてはいけないと言う。
さらには、風呂に入るなら10分以内で済ませろと、なかなか手厳しい。

しかし、これはこれで、一昔前の山小屋にタイムスリップしたようで、
懐かしい思いがした。
我々としては、風呂にも入れて、屋根のあるところで布団で寝られることだけで
幸せなのであった。この日は、夕食の後、酒も飲まずに泥のように眠った。

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