水窪川
2012年08月18日 | 旅
水窪川は、池袋駅付近を水源のひとつとして
豊島丘墓地の東側を回り込んで、
鳩山会館の崖下を流れて神田川に注いでいた川。
巣鴨プリズンからの排水などもこの川に流されていた。
流域では茗荷の栽培なども行われていたようで
近年まで一部に小さな畑も残っていた。
水源地周辺には、明治天皇が行幸の際に立ち寄り
野点をした記録もあったようだが
その石碑は再開発の波に飲まれて消えてしまった。
じつは、古い地図を整理していたら
豊島岡女子高校近くの水源らしき小さな丘陵の更に上流に
水路が書かれているものを見つけた。
江戸時代から明治時代にかけての地図に記載されている水路は
直線的に書かれているものが多く
これが人工的に開削されたものなのか自然の河川なのかは不明であるが
弦巻川の水源の池のすぐ脇を通って、
現在の上り屋敷公園まで遡れる。
現在、この流路跡を辿っても
豊島岡女子の裏手の浅い谷より上流では
地形的には何もわからなくなってしまっている。
下流側では都電荒川線に乗ると向原−東池袋4丁目で
カーブしながら緩やかな勾配で谷を越える。
この谷が水窪川である。
現在、都電の軌道の両側に都道を開通させる工事が行われている。
用意買収も完全には終わっていないが
工事終了後はどんな景色になるのであろうか。
自然の地形が少しでも残ってくれればいいのだが…
豊島丘墓地の東側を回り込んで、
鳩山会館の崖下を流れて神田川に注いでいた川。
巣鴨プリズンからの排水などもこの川に流されていた。
流域では茗荷の栽培なども行われていたようで
近年まで一部に小さな畑も残っていた。
水源地周辺には、明治天皇が行幸の際に立ち寄り
野点をした記録もあったようだが
その石碑は再開発の波に飲まれて消えてしまった。
じつは、古い地図を整理していたら
豊島岡女子高校近くの水源らしき小さな丘陵の更に上流に
水路が書かれているものを見つけた。
江戸時代から明治時代にかけての地図に記載されている水路は
直線的に書かれているものが多く
これが人工的に開削されたものなのか自然の河川なのかは不明であるが
弦巻川の水源の池のすぐ脇を通って、
現在の上り屋敷公園まで遡れる。
現在、この流路跡を辿っても
豊島岡女子の裏手の浅い谷より上流では
地形的には何もわからなくなってしまっている。
下流側では都電荒川線に乗ると向原−東池袋4丁目で
カーブしながら緩やかな勾配で谷を越える。
この谷が水窪川である。
現在、都電の軌道の両側に都道を開通させる工事が行われている。
用意買収も完全には終わっていないが
工事終了後はどんな景色になるのであろうか。
自然の地形が少しでも残ってくれればいいのだが…