三田界隈

2015年08月13日 | 東京のお散歩
慶應義塾のお膝元、三田は古川の谷と、月の岬と呼ばれた三田台という
風光明媚な場所として江戸時代から知られていました。

(慶應義塾大学)

大名屋敷や御家人の屋敷が建ち並んでいたこの辺りは
明治以降も徳川、松方、蜂須賀、澁澤、三井といった名士の屋敷地となり
徳川邸は慶應女子、松方邸はイタリア大使館、蜂須賀邸はオーストラリア大使館
澁澤邸は三田会議所、三井邸はそのまま三井倶楽部となり
現在に至っています。

(桜田通りから三田演説館を望む)
*高台の上、樹々の間に見える海鼠壁が演説館。手前の黄色い看板は、ご存知「ラーメン二郎 三田本店」

イタリア大使館は松方邸になる以前、つまり江戸時代には久松松平家の屋敷で
忠臣蔵の大石主税良金は、この地で切腹しています。

三田二丁目付近は平安時代の武将、渡辺綱(源綱)の出生地とされ
かつては三田綱町と呼ばれていました。

(綱町の風景)

現在でもイタリア大使館と三井倶楽部の間の坂は綱坂と呼ばれ
旧来の風情を残した坂道となっています。

(綱坂)
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