三田台から芝・品川の海へ降りてゆく坂が、伊皿子坂です。
(伊皿子坂)
麻布から魚藍坂を登りきると、狭い三田台(月の岬)の尾根道を挟んで、
すぐに伊皿子坂で海岸へ向けて降りてゆく格好になります。
(伊皿子交差点)
伊皿子の名の由来は、この地に住んでいた明国人の伊皿子(イン ベイス yi mintzu)
とされる説が有力で、伊皿子の墓も、坂の南にある正源寺に遺されています。
(正源寺への下り坂)
伊皿子交差点付近には東京歯科大の前身である高山歯科医学院が
高山紀齋によって明治二十三(1890)年に設立された事から
歯科医学教育発祥之地碑が東歯大によって設置されています。
(東歯による記念碑)
高山紀齋は、豊前中津出身の小幡英之助や、その弟子の伊澤道盛、
野口英世がまだ清作の名だった頃からの支援者であった血脇守之助らとともに
日本歯科医会を設立した日本の歯科医の父として知られています。
(伊皿子坂)
麻布から魚藍坂を登りきると、狭い三田台(月の岬)の尾根道を挟んで、
すぐに伊皿子坂で海岸へ向けて降りてゆく格好になります。
(伊皿子交差点)
伊皿子の名の由来は、この地に住んでいた明国人の伊皿子(イン ベイス yi mintzu)
とされる説が有力で、伊皿子の墓も、坂の南にある正源寺に遺されています。
(正源寺への下り坂)
伊皿子交差点付近には東京歯科大の前身である高山歯科医学院が
高山紀齋によって明治二十三(1890)年に設立された事から
歯科医学教育発祥之地碑が東歯大によって設置されています。
(東歯による記念碑)
高山紀齋は、豊前中津出身の小幡英之助や、その弟子の伊澤道盛、
野口英世がまだ清作の名だった頃からの支援者であった血脇守之助らとともに
日本歯科医会を設立した日本の歯科医の父として知られています。