麻布絶口釜無村

2015年08月21日 | 東京のお散歩
古典落語「黄金餅」で、死んだケチな僧侶・西念を棺代わりの樽に入れて
その樽を金兵衛が担いで向かったのが麻布絶口釜無村の木蓮寺。

もちろん、これは架空の地名と寺ではあるけれど、
西念と金兵衛が住んでいた長屋のある下谷山崎町から木蓮寺にいたるまでの
五代目志ん生による描写を辿ればある程度の場所の特定は出来るというもの。

しかし、そんなことをしなくても、絶口という地名は絶江という地名のもじりで
どちらも読み方は「ぜっこう」。

いまでも麻布には絶江という地名がありまして、
これは曹渓寺という臨済宗寺院が、赤坂からこの地に移転してきた時の住職である
絶江紹堤という名僧に由来するものだそうで、
元禄の頃には赤穂事件の討入りメンバー唯一の生き残り寺坂吉右衛門信行が
この寺で寺男を務めていたそうでございます。



この寺に隣接して絶江児童公園という公園があります。



こちらは肢体不自由児の教育発祥の地でありまして
東京市立光明学校(現 東京都立光明特別支援学校)という、
いまで言う養護学校の第一号が昭和七(1932)年に出来たという場所であります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする