着物でアオザイを作るという発想がないことはなかった。
日本人が日本で作られたものは見たことがある。
当然だが、べらぼうに高い。
アオザイを作るのなら、ヤッパリベトナムだろう、と考えた。
知り合いのベトナム人何人かに声をかけた。
あっさり断られた。
笑われた。
わざわざ着物から作らなくても、生地はいくらでもある。
なんで日本の着物からアオザイを作るのか、と。
そんなの創っても、ベトナム人は誰も買わないよ、とも。
―――――――――――――――――――――――――――
日本の着物の柄はアオザイにあっていると思った。
単純に、着物でアオザイを創ったら素敵だろうなと思った。
今、日本には着物が有り余っている。
着物のリサイクルショップに行けば、
山積みになった着物が二束三文で売っている。
あるいは、タンスの肥やしになっている着物も多かろう。
それらを活用しない手はないだろう。
京都に行った時にも、露店で中古の着物が廉価で売られていた。
もったいない話だ。
着物が安く手に入ることは分かった。
着物のリサイクル店のオヤジさんも協力的だった。
だが、問題は二つあった。
何処で誰がこれをアオザイにしてくれるか。
そして着物アオザイは売れるのか、ということだ。
最早誰も頼りにできなかった。
一人で、ハノイのアオザイ屋を飛び込みで回った。
一軒、二軒、案の定断られた。
その前に、ベトナム語しか通じない。
だが、着物を見せて手振り身振りで訴えればそこは分かる。
現物があって「着物」と「アオザイ」は通じるからだ。
5軒、6軒、7軒、8軒と足を棒にしてアオザイ屋を回った。
そして9軒目。
それは英語ができるおばちゃんだった。
いいわよ、やってあげてもいいわよ。
難しいのよ。
だから高くつくわよ。
この生地で作った方が安くできるのに。
と言いながら着物を広げて自分の身体に当てていた。
それは、ベトナムで着物アオザイが生まれる瞬間だった。
――――――――――――――――――――
最初は一着だけ試作のつもりで作ってもらった。
それは思った以上の出来だった。
自分が想像していたよりも、ボクの心を打った。
よし、これならいける、と。
2回目は2着持ちこんだ。
3度目の今回は、6着頼んだ。
そのうちの2着がこれだ。
それはもう定着したようだ。
アオザイ屋のおばちゃんも心待ちにしてくれるようになった。
値段はなかなか下げてくれないしっかり者だが、気のいいおばちゃんだ。
残された課題は、いかに売るかだ。
日本で売る。
ベトナムで売る。
今回より親しくなったアオザイ屋のおばちゃんに恐る恐る言ってみた。
この店で売ってもらえないだろうか、と。
おばちゃんは、そうねーと言って嬉しそうに笑った。
今度またあんたが着物を持ってくれるまでに考えとくわ。
ボクが持ち込んだ着物で作ったアオザイが
ハノイのアオザイ屋の店頭に並ぶ?
それを想像するだけでもボクの心は高鳴った。
だからといって、売れると決まったわけではない。
だが、足掛かりは出来つつある。
この手応えがたまらない。
―――――――――――――――――――――――――――――
昨日、街中の通りの結婚式で見たアオザイの女性たち。
新郎のお母さん。たぶん。
この色っぽさはたまらない。
スリットの上から見えるわき腹の素肌がなんともそそるのだ。
アートがそもそもエロであるように、
所詮夢もエロなのだ。
夢の実現へ一歩一歩進む。
それは牛歩の歩みかもしれない。
だが一歩ずつ、少しずつ、着実に進み続ける。
今、その瞬間瞬間に達成感とエロスを感じながら。
そして、その心地よさを身に纏って今日帰国の途に就く。
日本人が日本で作られたものは見たことがある。
当然だが、べらぼうに高い。
アオザイを作るのなら、ヤッパリベトナムだろう、と考えた。
知り合いのベトナム人何人かに声をかけた。
あっさり断られた。
笑われた。
わざわざ着物から作らなくても、生地はいくらでもある。
なんで日本の着物からアオザイを作るのか、と。
そんなの創っても、ベトナム人は誰も買わないよ、とも。
―――――――――――――――――――――――――――
日本の着物の柄はアオザイにあっていると思った。
単純に、着物でアオザイを創ったら素敵だろうなと思った。
今、日本には着物が有り余っている。
着物のリサイクルショップに行けば、
山積みになった着物が二束三文で売っている。
あるいは、タンスの肥やしになっている着物も多かろう。
それらを活用しない手はないだろう。
京都に行った時にも、露店で中古の着物が廉価で売られていた。
もったいない話だ。
着物が安く手に入ることは分かった。
着物のリサイクル店のオヤジさんも協力的だった。
だが、問題は二つあった。
何処で誰がこれをアオザイにしてくれるか。
そして着物アオザイは売れるのか、ということだ。
最早誰も頼りにできなかった。
一人で、ハノイのアオザイ屋を飛び込みで回った。
一軒、二軒、案の定断られた。
その前に、ベトナム語しか通じない。
だが、着物を見せて手振り身振りで訴えればそこは分かる。
現物があって「着物」と「アオザイ」は通じるからだ。
5軒、6軒、7軒、8軒と足を棒にしてアオザイ屋を回った。
そして9軒目。
それは英語ができるおばちゃんだった。
いいわよ、やってあげてもいいわよ。
難しいのよ。
だから高くつくわよ。
この生地で作った方が安くできるのに。
と言いながら着物を広げて自分の身体に当てていた。
それは、ベトナムで着物アオザイが生まれる瞬間だった。
――――――――――――――――――――
最初は一着だけ試作のつもりで作ってもらった。
それは思った以上の出来だった。
自分が想像していたよりも、ボクの心を打った。
よし、これならいける、と。
2回目は2着持ちこんだ。
3度目の今回は、6着頼んだ。
そのうちの2着がこれだ。
それはもう定着したようだ。
アオザイ屋のおばちゃんも心待ちにしてくれるようになった。
値段はなかなか下げてくれないしっかり者だが、気のいいおばちゃんだ。
残された課題は、いかに売るかだ。
日本で売る。
ベトナムで売る。
今回より親しくなったアオザイ屋のおばちゃんに恐る恐る言ってみた。
この店で売ってもらえないだろうか、と。
おばちゃんは、そうねーと言って嬉しそうに笑った。
今度またあんたが着物を持ってくれるまでに考えとくわ。
ボクが持ち込んだ着物で作ったアオザイが
ハノイのアオザイ屋の店頭に並ぶ?
それを想像するだけでもボクの心は高鳴った。
だからといって、売れると決まったわけではない。
だが、足掛かりは出来つつある。
この手応えがたまらない。
―――――――――――――――――――――――――――――
昨日、街中の通りの結婚式で見たアオザイの女性たち。
新郎のお母さん。たぶん。
この色っぽさはたまらない。
スリットの上から見えるわき腹の素肌がなんともそそるのだ。
アートがそもそもエロであるように、
所詮夢もエロなのだ。
夢の実現へ一歩一歩進む。
それは牛歩の歩みかもしれない。
だが一歩ずつ、少しずつ、着実に進み続ける。
今、その瞬間瞬間に達成感とエロスを感じながら。
そして、その心地よさを身に纏って今日帰国の途に就く。