人生を春夏秋冬、四季に例えることはよくあることだ。
五木寛之は「林住期」という著書の中で書いている。
「林住期」こそ人生のピークであるという考えは無謀だろうか。
私はそうは思わない。
前半の五十年は、世のため人のために働いた。
五十歳から七十五歳までの二十五年間、
後半生こそ人間が真に人間らしく、みずからの生き甲斐を求めて生きる季節ではないのか―。
林住期こそジャンプの季節、人生のクライマックスである。 と。
古代インドでは、
人生を学生(がくしょう)・家住(かじゅう)・林住(りんじゅう)・遊行(ゆぎょう)の四期に分けていた。
師についてヴェーダを学び、
家に住んで家族を養い、
出家して林に住み、
独りになって旅に出る――という。
――――――――――――――――――――――――――
ボクの考えは少し違う。
生涯現役とか、生涯青春とかいうように
死ぬまで勉強し、死ぬまで働き続けたい。
結果、死ぬまで成長し続けたいのだ。
人生の前半は、自分のため、家族のために脇目も振らずに働いた。
それは自分のためでもあった。
家族を連れて世界一周したのも、
ある意味自分の夢を叶えるためだった。
今一人で旅を続けるのも、見聞を広げるためなのは言うまでもないが
それは人のために尽くそうという目的が根底にある。
話を戻せば、家住期と林住期を同時にこなしたことになる。
森に棲んで家族を養った。
今、学生期に戻って遊行期に至っているう。
引退はもとより、隠居や老後といった感覚は毛頭ない。
日本経済が右肩上がりの時代はとうに終わった。
だが、自分の中では常に右肩上がりでいつづけたいと思っている。
五木寛之の言葉を借りれば、
いつ死んでも、その時点が自分の人生でピークである状態でいたいと思うことは無謀だろうか。
正直でいることは求めても
マジメであることには程遠い人生。
むしろ、不真面目人生をこのまま歩み続けるだろう。
どう転がっても「なんとかなるさ」の精神で。
【追記】
誕生日に際し、つらつら考えてみた。
沢山のおめでとうのメッセージを戴いた。
お一人おひとりに感謝の気持ちをお伝えすべきですが
この場を借りて御礼申し上げます。
本当にありがとうございます。
今後ともご教授、ご鞭撻、そして叱咤とともによろしくお願いしたします。
五木寛之は「林住期」という著書の中で書いている。
「林住期」こそ人生のピークであるという考えは無謀だろうか。
私はそうは思わない。
前半の五十年は、世のため人のために働いた。
五十歳から七十五歳までの二十五年間、
後半生こそ人間が真に人間らしく、みずからの生き甲斐を求めて生きる季節ではないのか―。
林住期こそジャンプの季節、人生のクライマックスである。 と。
古代インドでは、
人生を学生(がくしょう)・家住(かじゅう)・林住(りんじゅう)・遊行(ゆぎょう)の四期に分けていた。
師についてヴェーダを学び、
家に住んで家族を養い、
出家して林に住み、
独りになって旅に出る――という。
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ボクの考えは少し違う。
生涯現役とか、生涯青春とかいうように
死ぬまで勉強し、死ぬまで働き続けたい。
結果、死ぬまで成長し続けたいのだ。
人生の前半は、自分のため、家族のために脇目も振らずに働いた。
それは自分のためでもあった。
家族を連れて世界一周したのも、
ある意味自分の夢を叶えるためだった。
今一人で旅を続けるのも、見聞を広げるためなのは言うまでもないが
それは人のために尽くそうという目的が根底にある。
話を戻せば、家住期と林住期を同時にこなしたことになる。
森に棲んで家族を養った。
今、学生期に戻って遊行期に至っているう。
引退はもとより、隠居や老後といった感覚は毛頭ない。
日本経済が右肩上がりの時代はとうに終わった。
だが、自分の中では常に右肩上がりでいつづけたいと思っている。
五木寛之の言葉を借りれば、
いつ死んでも、その時点が自分の人生でピークである状態でいたいと思うことは無謀だろうか。
正直でいることは求めても
マジメであることには程遠い人生。
むしろ、不真面目人生をこのまま歩み続けるだろう。
どう転がっても「なんとかなるさ」の精神で。
【追記】
誕生日に際し、つらつら考えてみた。
沢山のおめでとうのメッセージを戴いた。
お一人おひとりに感謝の気持ちをお伝えすべきですが
この場を借りて御礼申し上げます。
本当にありがとうございます。
今後ともご教授、ご鞭撻、そして叱咤とともによろしくお願いしたします。