世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

右肩上がりの人生

2012年12月18日 | 人生
人生を春夏秋冬、四季に例えることはよくあることだ。


五木寛之は「林住期」という著書の中で書いている。

「林住期」こそ人生のピークであるという考えは無謀だろうか。

私はそうは思わない。

前半の五十年は、世のため人のために働いた。

五十歳から七十五歳までの二十五年間、

後半生こそ人間が真に人間らしく、みずからの生き甲斐を求めて生きる季節ではないのか―。

林住期こそジャンプの季節、人生のクライマックスである。 と。




古代インドでは、

人生を学生(がくしょう)・家住(かじゅう)・林住(りんじゅう)・遊行(ゆぎょう)の四期に分けていた。


師についてヴェーダを学び、

家に住んで家族を養い、

出家して林に住み、

独りになって旅に出る――という。



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ボクの考えは少し違う。

生涯現役とか、生涯青春とかいうように

死ぬまで勉強し、死ぬまで働き続けたい。


結果、死ぬまで成長し続けたいのだ。


人生の前半は、自分のため、家族のために脇目も振らずに働いた。

それは自分のためでもあった。


家族を連れて世界一周したのも、

ある意味自分の夢を叶えるためだった。


今一人で旅を続けるのも、見聞を広げるためなのは言うまでもないが

それは人のために尽くそうという目的が根底にある。



話を戻せば、家住期と林住期を同時にこなしたことになる。

森に棲んで家族を養った。

今、学生期に戻って遊行期に至っているう。


引退はもとより、隠居や老後といった感覚は毛頭ない。



日本経済が右肩上がりの時代はとうに終わった。

だが、自分の中では常に右肩上がりでいつづけたいと思っている。


五木寛之の言葉を借りれば、

いつ死んでも、その時点が自分の人生でピークである状態でいたいと思うことは無謀だろうか。


正直でいることは求めても

マジメであることには程遠い人生。


むしろ、不真面目人生をこのまま歩み続けるだろう。

どう転がっても「なんとかなるさ」の精神で。



【追記】

誕生日に際し、つらつら考えてみた。


沢山のおめでとうのメッセージを戴いた。

お一人おひとりに感謝の気持ちをお伝えすべきですが

この場を借りて御礼申し上げます。

本当にありがとうございます。


今後ともご教授、ご鞭撻、そして叱咤とともによろしくお願いしたします。