世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

旅して暮らす

2015年03月22日 | ライフスタイル
旅するように日常を送り、

日常のように旅をする。

つまり、暮らしの中に旅が溶け込み、旅が暮らしになる。

これがボクの究極のライフスタイルだ。


だが、この場合の旅とは何ぞや。

WIKIPEDIAには、

旅とは・・・住む土地を離れて、ひととき他の土地(場所)へゆくことである..とある。


旅の歴史を遡ってみれば、

人類は狩猟採集時代から食糧を得るために旅をしていた。

農耕が行われる時代になった後も、すべての人々が定住していたわけではなく、

猟人、山人、漁師などは食糧採集のための旅を行っていた。

その後、宗教的な目的の旅がさかんに行われていた時代があり、ヨーロッパでは4世紀ころには巡礼が始まっていた。



だが、現代の旅は、多様であり、目的もさまざまである。


一般に観光地に出かけ、物見雄山や食事を楽しむほか、

保養、休養、あるいは帰省といった形態も盛んになっている。

いわゆる出張という商用も多い。



ボクの場合、もはや観光は主目的ではなくなった。

現地の人との触れ合いの中で、何かお役に立てることはないものかと考えるようになった。

それも、海外が中心だ。


しかも、放浪に近い。

放浪とは、行き先は成行き(旅先での偶然や必然)に任せてゆくことを意味する。


まだ、ビザや国内の仕事の都合で期間を決めて、帰国せざるを得ない。


これを、期間を決めず放浪の旅を死ながら世界を巡る(一周する)ことが最終目標である。

必要ならば、長期間一所に留まることあるだろう。


帰るところのない旅。

住めば都ならぬ、行けば都。

いわゆる、行き当たりバッ旅、だ。


目的も、人助け。

平和と幸せの種を撒きながら、

歩いた後に、一輪の花を咲かせよう。




これがボクの目指す旅なのだ。



【追記】

こんな言葉がある。

残していいのは足跡だけ。

取っていいのは、写真だけ。