テーマ: 外交力、交渉力
集団的自衛権は戦争につながるのではなく、
テロを引き起こす。
これは必至だ。
テロは戦争より厄介であることはアメリカが証明している。
戦争には、終戦があり、勝ち負けがあるが、テロにはない。
終テロなんて聞いたことがない。
一度起きるとそれは執拗に続く。
日本はテロのない安心、安全の国なのだ。
それは、われわれ日本人が平和憲法の下、
70年間戦争に加担することなく人を殺さず、
死ぬこともない歴史を脈々と築き上げてきたからに他ならない。
その稀に見る平和の歴史を法案一発で壊そうというのか。
そしてそこにテロを引きづり込もうとするのか。
安易で無能な短絡的安保法案賛成派は、それをどう言い訳するつもりか。
中国脅威論を振りかざし、
ありもしない中国が攻めてくるというデマを流す。
小心で臆病で愚か者の論理以外の何ものでもない。
安倍はその筆頭。
表情、態度のそこかしこに見て取れる。
勇気のかけらもない。
それに踊らされる一部の愚かな国民。
文字通り、みんなで渡れば怖くない的、群れをなすか弱き者たちなのだ。
考え、工夫し、交渉する力も能力もない無能集団。
集団的自衛権賛成派は口をそろえてこういう。
中国が攻めてきたらどうするのだ、と。
中国は攻めてこない。
断言する。
ビビる日本にちょっかいを出して弄んでいるだけだ。
中国は話して分かる国ではない、とも言う。
外交戦略では埒(らち)が開かないと。
それは日本が外交下手なだけなのだ。
中国との接し方を知らない。
中国の取説はベトナムを通してみればよく分かる。
日本は、三顧の礼を持ってベトナムから取説を取り寄せるべきだ。
対中戦略会議にベトナムからその道のプロを招聘してもいい。
ベトナムは中国のことをよく理解している。
日本は本当の中国を知らなさすぎる。
中国は全く脅威ではない。
それは中国の歴史をひも解けば明白だ。
では、尖閣はどうする?
南沙はどうする?
心配しなさんな。
南沙はベトナムに任せておけばいい。
もちろん、今まで通り、ベトナムとの密接な関係を続けながらだが。
尖閣で踊らせれる臆病者の日本。
中国が尖閣を乗っ取ることはない。
中国にそこまでの度胸はないのに、必要以上にビビりまくる日本。
中国の空威張りを見抜かなければならない。
日本人は裏にアメリカの工作があることを知る由もない。
もう一つ、集団的自衛権の推進派は言う。
他国が協力して、戦おうとするときに日本だけ無関係でいていいのか?と。
表層的現象しか見ていないと軽薄にもそういう。
なぜ、戦うの?
アメリカさん、武器で人を殺すのは辞めなさい、となぜ言えないのか。
安倍はアメリカの議会の演説でこういうべきだった。
日本はあなた方が作った平和憲法を守り抜き、一切の戦争には加担しません、と。
愚かな戦争は辞めるべきだ、と。
その勇気もない。
ただこびへつらうだけ。
戦争に正しいも正義もない。
ましてや、聖戦などでっちあげの何ものでもない。
ただ殺し合うだけだ。
日本の外交は、まさに朝貢外交であり、お願い外交であり、媚び諂(へつら use flattery)い外交なのである。
これでは世界から甘く見られても仕方がない。
必要以上に忖度しすぎて、逆に関係国との関係を悪化させ、日本の利益を損ねているのだ。
いわゆるオウンゴールをしてしまう。
AIIB加盟に関しても、日本だけが突っぱねている。
(アメリカはまだ迷っている)
内弁慶だから、殻に閉じこもって意固地になっているだけに見える。
ベトナムを始め加盟国のほとんどは面従腹背を決め込んでいるというのに。
こういう強かさが日本には欠けている。
前例主義、教条主義のなせる技なのだろう。
融通無碍(a free and easy way of thinking)的思考ができない。
とどのつまり、楽観主義のベトナムに対し、日本は悲観論が支配する。
武士道精神を引っ提げ、正論をぶちまけて、正面突破を図ることしか知らない。
外交とは、国家間の駆け引きであり、謂わば狐とタヌキの騙し合いなのだ。
正々堂々など箸にも棒にも掛からない(good for nothing)。
策略、計略、知略と機略に長けないと負ける。
ベトナム人は、絶対にあきらめないし、謝らない。
我慢強さ、忍耐強さは天下一品だ。
日本は、すいません文化が先行し、
桜に象徴されるように儚さや散り際を美徳とする。
ベトナム人は面子より実利を取る(名を捨てて身を取る)。
外交において日本の美徳(言わずもがななどgoes without saying.You know what it is.)は何の役にも立たない。
むしろ、その弱みに付け込まれるのが関の山だ。
卑怯者の論理がまかり通るのが外交においては世界の常識なのだ。
それに、言語の意味合いは大きい。
日本人が苦手とする語学(英語)力は当然であるが、
言語学的に、ベトナム語と中国語は孤立語というものに分類される。
孤立語とは、
英語に代表される屈折語と違い、
時制や格・数によって言語の形が変わらない。
語形の変化ではなく、文脈・語順、接置詞などの機能語によって表現する言語である。
一方、日本語は膠着語といって、語尾をいろいろ変化させてくっつけていく言葉だ。
したがって、話を最後まで聞かないと結論が分からない。
時に複雑な言い回しを好み、時間がかかりすぎるきらいがある。
だから、言語学的にも日本人はベトナムや中国人と発想からして全く異なるのだ。
逆に、ベトナム人と中国人は発想の根源がが同じだから相手の考えややり方が理解しえるといえるだろう。
日本は、もっとベトナム人に習い、「戦わずして勝つ」、の大人の外交術を身につけなければならない。
取り返しがつかなくなる前に。
【追記】
ベトナム人は、交渉においてはもっとも難しい国民だと言われている。
中国を手玉に取るのだから。
それを敢えてボクは臨んでいる。
世界最強の策士、ベトナム人。
自分の能力を試すにはもってこいの相手だ。
【追記2】
ご意見、ご異見、反論等のコメントは歓迎いたします。
ただし、ここでの議論は差し控えさせて頂きますのでご了承ください。
直接お会いいての意見交換、議論は望むところです。
集団的自衛権は戦争につながるのではなく、
テロを引き起こす。
これは必至だ。
テロは戦争より厄介であることはアメリカが証明している。
戦争には、終戦があり、勝ち負けがあるが、テロにはない。
終テロなんて聞いたことがない。
一度起きるとそれは執拗に続く。
日本はテロのない安心、安全の国なのだ。
それは、われわれ日本人が平和憲法の下、
70年間戦争に加担することなく人を殺さず、
死ぬこともない歴史を脈々と築き上げてきたからに他ならない。
その稀に見る平和の歴史を法案一発で壊そうというのか。
そしてそこにテロを引きづり込もうとするのか。
安易で無能な短絡的安保法案賛成派は、それをどう言い訳するつもりか。
中国脅威論を振りかざし、
ありもしない中国が攻めてくるというデマを流す。
小心で臆病で愚か者の論理以外の何ものでもない。
安倍はその筆頭。
表情、態度のそこかしこに見て取れる。
勇気のかけらもない。
それに踊らされる一部の愚かな国民。
文字通り、みんなで渡れば怖くない的、群れをなすか弱き者たちなのだ。
考え、工夫し、交渉する力も能力もない無能集団。
集団的自衛権賛成派は口をそろえてこういう。
中国が攻めてきたらどうするのだ、と。
中国は攻めてこない。
断言する。
ビビる日本にちょっかいを出して弄んでいるだけだ。
中国は話して分かる国ではない、とも言う。
外交戦略では埒(らち)が開かないと。
それは日本が外交下手なだけなのだ。
中国との接し方を知らない。
中国の取説はベトナムを通してみればよく分かる。
日本は、三顧の礼を持ってベトナムから取説を取り寄せるべきだ。
対中戦略会議にベトナムからその道のプロを招聘してもいい。
ベトナムは中国のことをよく理解している。
日本は本当の中国を知らなさすぎる。
中国は全く脅威ではない。
それは中国の歴史をひも解けば明白だ。
では、尖閣はどうする?
南沙はどうする?
心配しなさんな。
南沙はベトナムに任せておけばいい。
もちろん、今まで通り、ベトナムとの密接な関係を続けながらだが。
尖閣で踊らせれる臆病者の日本。
中国が尖閣を乗っ取ることはない。
中国にそこまでの度胸はないのに、必要以上にビビりまくる日本。
中国の空威張りを見抜かなければならない。
日本人は裏にアメリカの工作があることを知る由もない。
もう一つ、集団的自衛権の推進派は言う。
他国が協力して、戦おうとするときに日本だけ無関係でいていいのか?と。
表層的現象しか見ていないと軽薄にもそういう。
なぜ、戦うの?
アメリカさん、武器で人を殺すのは辞めなさい、となぜ言えないのか。
安倍はアメリカの議会の演説でこういうべきだった。
日本はあなた方が作った平和憲法を守り抜き、一切の戦争には加担しません、と。
愚かな戦争は辞めるべきだ、と。
その勇気もない。
ただこびへつらうだけ。
戦争に正しいも正義もない。
ましてや、聖戦などでっちあげの何ものでもない。
ただ殺し合うだけだ。
日本の外交は、まさに朝貢外交であり、お願い外交であり、媚び諂(へつら use flattery)い外交なのである。
これでは世界から甘く見られても仕方がない。
必要以上に忖度しすぎて、逆に関係国との関係を悪化させ、日本の利益を損ねているのだ。
いわゆるオウンゴールをしてしまう。
AIIB加盟に関しても、日本だけが突っぱねている。
(アメリカはまだ迷っている)
内弁慶だから、殻に閉じこもって意固地になっているだけに見える。
ベトナムを始め加盟国のほとんどは面従腹背を決め込んでいるというのに。
こういう強かさが日本には欠けている。
前例主義、教条主義のなせる技なのだろう。
融通無碍(a free and easy way of thinking)的思考ができない。
とどのつまり、楽観主義のベトナムに対し、日本は悲観論が支配する。
武士道精神を引っ提げ、正論をぶちまけて、正面突破を図ることしか知らない。
外交とは、国家間の駆け引きであり、謂わば狐とタヌキの騙し合いなのだ。
正々堂々など箸にも棒にも掛からない(good for nothing)。
策略、計略、知略と機略に長けないと負ける。
ベトナム人は、絶対にあきらめないし、謝らない。
我慢強さ、忍耐強さは天下一品だ。
日本は、すいません文化が先行し、
桜に象徴されるように儚さや散り際を美徳とする。
ベトナム人は面子より実利を取る(名を捨てて身を取る)。
外交において日本の美徳(言わずもがななどgoes without saying.You know what it is.)は何の役にも立たない。
むしろ、その弱みに付け込まれるのが関の山だ。
卑怯者の論理がまかり通るのが外交においては世界の常識なのだ。
それに、言語の意味合いは大きい。
日本人が苦手とする語学(英語)力は当然であるが、
言語学的に、ベトナム語と中国語は孤立語というものに分類される。
孤立語とは、
英語に代表される屈折語と違い、
時制や格・数によって言語の形が変わらない。
語形の変化ではなく、文脈・語順、接置詞などの機能語によって表現する言語である。
一方、日本語は膠着語といって、語尾をいろいろ変化させてくっつけていく言葉だ。
したがって、話を最後まで聞かないと結論が分からない。
時に複雑な言い回しを好み、時間がかかりすぎるきらいがある。
だから、言語学的にも日本人はベトナムや中国人と発想からして全く異なるのだ。
逆に、ベトナム人と中国人は発想の根源がが同じだから相手の考えややり方が理解しえるといえるだろう。
日本は、もっとベトナム人に習い、「戦わずして勝つ」、の大人の外交術を身につけなければならない。
取り返しがつかなくなる前に。
【追記】
ベトナム人は、交渉においてはもっとも難しい国民だと言われている。
中国を手玉に取るのだから。
それを敢えてボクは臨んでいる。
世界最強の策士、ベトナム人。
自分の能力を試すにはもってこいの相手だ。
【追記2】
ご意見、ご異見、反論等のコメントは歓迎いたします。
ただし、ここでの議論は差し控えさせて頂きますのでご了承ください。
直接お会いいての意見交換、議論は望むところです。