世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

故郷は遠きにありて思うもの? そして悲しくうたふもの?

2015年08月10日 | 100の力
テーマ: 祖国力、故郷力、進取力


この国は一体どうなるのだろうか、と時々真剣に心配になることがある。

我が祖国、日本、

わが故郷、熊本をこよなく愛している。


だからこそ、日本を海外から見たとき、

特に東南アジア、とりわけベトナムから振り返ってみてみると、

愕然とさせられる。


日本(人)の3K,きれい、几帳面、生真面目面は大いに評価できる。

だが、老人の多さと、覇気のなさは一体何なんだろうと・・・・・・・。


いかなる国も、今や一国では成り立たない時代。

この場に及んでも、日本(人)はあまりにも内向きすぎる。

歳を取るのは人間ばかりではない。

国も年を取る。


成熟国家といえば聞こえはいいが、

老人ならぬ、老国である。

だからといって卑屈になったり、引っ込む必要は全くない。


労力ならぬ「老力」というものがある。


赤瀬川原平のベストセラー『老人力』という本があるが、

老人においてもなお力を発揮することができる。

ましてや国においては言うまでもない。


だが、日本は今だその力を発揮できないでいる。


歳をとると愚痴っぽくなる。

説教じみてくる。

自慢話をしがちだ。

つまり過去の栄華ばかりに浸って、生産性のかけらもなくなる。


日本の技術力は最高だ。

それは、過去の話。

もはや新興国といえど、肩を並べ、

今やソフトパワーの時代なのに、ハードにこだわり続ける日本。

高齢化は一段と進み、人口は減り続ける。

若者は委縮し、引きこもる。

頼みの外国人を受け入れるにも器量が小さい。


これでは、お先真っ暗、ニッポン。

そうはいっても、我が祖国。

ここは「老力」を持って立て直しにかからなければならない。

たとえ老害と罵られようと、老獪、老猾をもってしてでも一肌脱ごう。


かのマッカーサーは言った。

Old soldiers never die, but fade away.

ボクは言う。

Old soldier never dies, and stays forever (in your mind).




先月から福岡でも仕事及び生活を始め出した。

福岡と熊本のイメージの対比は、ベトナムと日本のそれに似ている。


伸びる福岡、委縮する熊本。

それでも、熊本は文化、教育、観光においては優位性を保つ。


生産、製造がダメなら観光、サービスで勝負というのが常道だ。

確かにハードよりソフトの時代。

だが、何かもどかしい。

じれったい気持ちを払しょくできない。


それは伝統に培われた保守性がそうさせるのかもしれない。

進取の気持ち(an enterprising spirit)をどこまで取り入れられるか。

Scrap and build.


がんばれニッポン!

がんばれ、くまもと!




【追記】

子供のころ家から抜け出したかった。

家出もした。

それは熊本から抜け出すことを意味した。

狭い空間の中にいることが嫌だった。


もっともっと広い、違った世界を見てみたかった。

それはいつしか旅心へと変わっていった。


再び熊本へ帰り、一旦は家庭を築いたが、

やはりその箱の中に収まりきれない自分がいた。


気がつけば、また旅の途上にいる。

形は違えど、家庭を捨て、このまま故郷から離れるのだろうか。

Where am I going?



『小景異情』 <室生犀星>


ふるさとは 遠きにありて 思ふもの

そして悲しく うたふもの

よしやうらぶれて 異土の乞食と なるとても

帰るところに あるまじや

ひとり都の ゆふぐれに ふるさとおもひ 涙ぐむ

そのこころもて

遠きみやこに かへらばや

遠きみやこに かへらばや



(解説)

ふるさとは、遠く離れてなつかしく思い出して悲しく歌うべきもので、

たとえ異郷で乞食(かたい)に落ちぶれても帰って来る べき所ではない。

ふるさとを遠く離れた都会で、夕暮れには望郷の念に涙ぐむのが常だが、

その思いを心に抱いてまた都会に帰って行こう。



けっこう今の心境に似ているかも。

8月9日(日)のつぶやき

2015年08月10日 | 100の力