常に世界に意識を向けること。
どこかで陽が沈むと、また別のところでは陽が昇っている。
どこかで泣いている人がいれば、また別のところでは笑っている人々がいる。
飢えて死にそうな人がいれば、たらふく食べて、残りものを捨てる人がいる。
戦争のさなかに逃げ惑う人もいれば、平和の有り難さも分からずゲームに熱中する人もいる。
自分の国だけ、
自分の周囲だけ、
自分の仲間だけしか関心がないと、
特に日本では何も心配することなく生きていける気がする。
食べ物も、住むところも、着るものも、
そして、水や空気や太陽さえ自分のためにすべてが揃っている環境にある。
ある人はそれを平和ボケといったりもする。
もしも世界中が平和ボケになれるなら、それはそれでいいのかもしれないが。
いたずらにストイックになったり、危機をあおる必要はない。
ただ、少しだけ、そうではない世界があることを意識するだけでいい。
食事する時、食べられない人もたくさんいることを。
家で柔らかな布団にくるまるとき、テントや屋外で寝ることを余儀なくされている人がいることを。
素敵なファッションに身を包むとき、ぼろぼろの服しか着れない人のいることを。
湯水を使うとき、何キロも歩いて水汲みに行かなればならない人がいることを。
そうすれば、日常のどんな些細なことにも、自然と感謝の気持ちが湧いてくるだろう。
【追記】
夢がない、
そもそも好きなものがわからない、何をやったらいいのかわからないという人たちが増えている。
恵まれすぎている証拠だろう。
自分のことだけや、自分の周辺の小さな世界のことだけを考えていると、
日本のような豊かな社会では、自分ひとりの小さな世界をつくって、その日暮らしで過ごしていける。
目先の些細でどうでもいい不平不満はぶちまけても、
何不自由なく、何の心配もなく生きている。
だから自分のことだけを考えている人には、好きなことが生まれてこない。
それはそれである意味幸せなことかもしれない。
でも、心の片隅に、もしこのままではいけないという疑問がフワーッと湧いたなら、
チョッとだけ世界に目を向けてみないか。
自分を中心に考えるのではなく、
社会を中心に考える、世の中を中心に考える、世界を中心に考える、
場合によっては宇宙を中心に考える。
その結果、夢が生まれてくるし、自分のやりたいことが生まれてくる。
あるいは自分がやらなければならないと感じることが、自然に生まれてくるだろう。
どこかで陽が沈むと、また別のところでは陽が昇っている。
どこかで泣いている人がいれば、また別のところでは笑っている人々がいる。
飢えて死にそうな人がいれば、たらふく食べて、残りものを捨てる人がいる。
戦争のさなかに逃げ惑う人もいれば、平和の有り難さも分からずゲームに熱中する人もいる。
自分の国だけ、
自分の周囲だけ、
自分の仲間だけしか関心がないと、
特に日本では何も心配することなく生きていける気がする。
食べ物も、住むところも、着るものも、
そして、水や空気や太陽さえ自分のためにすべてが揃っている環境にある。
ある人はそれを平和ボケといったりもする。
もしも世界中が平和ボケになれるなら、それはそれでいいのかもしれないが。
いたずらにストイックになったり、危機をあおる必要はない。
ただ、少しだけ、そうではない世界があることを意識するだけでいい。
食事する時、食べられない人もたくさんいることを。
家で柔らかな布団にくるまるとき、テントや屋外で寝ることを余儀なくされている人がいることを。
素敵なファッションに身を包むとき、ぼろぼろの服しか着れない人のいることを。
湯水を使うとき、何キロも歩いて水汲みに行かなればならない人がいることを。
そうすれば、日常のどんな些細なことにも、自然と感謝の気持ちが湧いてくるだろう。
【追記】
夢がない、
そもそも好きなものがわからない、何をやったらいいのかわからないという人たちが増えている。
恵まれすぎている証拠だろう。
自分のことだけや、自分の周辺の小さな世界のことだけを考えていると、
日本のような豊かな社会では、自分ひとりの小さな世界をつくって、その日暮らしで過ごしていける。
目先の些細でどうでもいい不平不満はぶちまけても、
何不自由なく、何の心配もなく生きている。
だから自分のことだけを考えている人には、好きなことが生まれてこない。
それはそれである意味幸せなことかもしれない。
でも、心の片隅に、もしこのままではいけないという疑問がフワーッと湧いたなら、
チョッとだけ世界に目を向けてみないか。
自分を中心に考えるのではなく、
社会を中心に考える、世の中を中心に考える、世界を中心に考える、
場合によっては宇宙を中心に考える。
その結果、夢が生まれてくるし、自分のやりたいことが生まれてくる。
あるいは自分がやらなければならないと感じることが、自然に生まれてくるだろう。