世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

夢実現への軌跡 Ⅶ ー LIVE -

2006年12月05日 | 
出版と映画化。目下の大きな夢の一つであることに揺るぎはない。
一通り作品を書き上げて、日の目を見るための活動を続けている。

作品は一度書き上げたからといって、そこで完成するものではない。作品は自分の中で常に進化と退化を繰り返しながら変化する。時には新しい視点にときめき、一転行き詰まりを感じて滅入る。

自分だけで悦にいっていても客観的な評価が欲しい。数人の人に助言を求める。プロの書評をもらえればさらに良い。
           continuing

受胎告知

2006年12月04日 | 
ダビンチの「受胎告知」が来春日本にやってくる。
約140年前ダビンチが最初に製作した記念碑的作品だ。
フィレンツエのウフィツイ美術館に収められて以来門外不出だった。
僕はこの絵の前で、数十分間じっとみつめていた。
僕はダビンチに限らず、なぜか「受胎告知」という絵に引かれてしまう。

ご存知、天使のガブリエルが聖母マリアに『イエスを身ごもる』ことを告げる場面だ。
同じフィレンツエのサン・マルコ美術館にあるアンジェリコや大原美術館に収められているエル・グレコの「受胎告知」などが有名だ。
世界には数多くの「受胎告知」がある。特にヨーロッパの美術館や教会を訪れるとその宗教画の暗さに驚かされ、同時にいささかうんざりもする。
その中で不思議と「受胎告知」に遭遇すると何故かしらほっとさせられる。
子供を授かる女性の驚きと喜び、幸せがマリアの表情から窺えるからかもしれない。

メル・ギブソンの監督作品「パッション」を見た人は分かるだろうが(残酷な映画だったが)、イエスが十字架に磔になるときのマリアの気持ちは計り知れないものがある。
スペインのセビリアの教会には「涙のマリア様」がある。そのときの涙なのだろうか。あらためて思う。

「マリア」という名前にも僕は惹かれる。ウエストサイドのマリアも好きだが、マリア・シャラポアも大好きだ(これは蛇足?)。
なにはともあれ、もうすぐクリスマス。

実は、先日僕にとってショッキングな出来事があった。
僕の愛する30代の独身女性が身ごもったと言うのだ。「俺の子か?」と聞きたかったが、悲しいかな身に覚えがない。幸か不幸か結果は流産に終わったらしいのだが・・・。

ダビンチの「受胎告知」は来年3月20日から東京国立博物館で展示される。
是非ご覧あれ。

もう一度世界一周

2006年12月02日 | 
世界一周をして10年が経つ。
またもや放浪の虫が蠢き出した。いや常に蠢いているが単発的に旅することでガス抜きしてきた。だがそれでは間に合わなくなってきつつある。
僕は、O型、射手座、ねずみ年、おまけに金星(+)ときている。狩猟民族的血が流れているのだろうか。これじゃ死ぬまで落ち着くわけがない。いや、死んでも成仏できずに彷徨うんだろうな、そんな気がする。
一所にじっと住み続けると、いろんなしがらみや責任とか義務感みたいな煩わしさが生じてしまう。行動がパターン化しちゃうんだろうな。いつも同じ人間とばかり接する。同じ学校、同じ会社、同じ地域。それでいい人は良い。僕なんか酸欠状態に陥る。
旅人になると、そういった煩わしさから開放されてすこぶる自由になれる。フレッシュエアーをおもいっきり吸い込める。っていうか、ぶっちゃけよそ者は無責任でいられる。気が楽だ。
気に入らなければ他へ移ればいい。逃げるといってもいい。逃げれることはいいことだと思う。逃げれる場所を見付けられる人は幸せだと思う。
だって今の世の中、追い詰められることが多くない? なんだかんだと、いろんな意味で。で、逃げるとこないとどうなる? 逆切れして爆発する。とことん追い詰められて「窮鼠猫を噛む」状態になるか、自決する。

だから僕はたびたび旅をする。
そうすると今度は酸欠から金欠に陥るけど・・・。まっ、いいか!