世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

これが宿命なのか 二人の娘との巡り合わせ

2012年07月16日 | 家族
これがボクに課せられた宿命なのだろうか。

娘たちに悲しい思いをさせてしまうという。



自分の皮肉な運命を罵りたくなる。



             ◇


ボクには3人の子供がいる。

娘(38)、息子(27)、娘(21)の順だ。



長女と次女は生まれも育ちもまったく違う。


前妻との子と、今の妻との子。

つまり腹違い。


事実上、未だ二人に面識はない。



            ◇


状況は違うが、二人の娘に関して期しくも同じような場面を経験した。

公の席上で悲しい思いをさせてしまったのだ。



今回は、これまでブログで述べてきたように

NYにおける娘(次女)の結婚式で悲しい思いをさせてしまったが



長女には

ボクの父親(子供たちのおじいちゃん)の通夜の時冷たく当たって泣かせてしまった経緯がある。





            ◇


11年前のちょうど今頃、ボクの父が76才で他界した。

脳梗塞で倒れ、次の日にあっけなく逝ってしまった。


前日まで元気に税理士の仕事をこなしていて

いわゆるピンコロで、ある意味いい死に方だったのかもしれない。



皮肉なことに

4歳で分かれた長女が同じ年、

ボクを探して23年ぶりに会いたいと言ってきていた。


おじいちゃん、おばあちゃんたちにも。




それを、今の妻は拒否した。

「会ってはいけない」 といったのだ。


「その娘と会うなら私と離婚してから会って」 とも。


ボクは唖然とした。

「なぜだ!?」






その最中のオヤジの急死。


大阪に住むその長女に、

「おじいちゃんが亡くなった。

だが、申し訳ないが通夜には来ないでくれ」 ととりあえず伝えた。



ところが

ボクの言葉を無視して長女は通夜の席に大阪から駆けつけて現れた。

「おじいちゃんに会いたかった。せめてお葬式には」


という気持ちで来たという。


23年ぶりの再会、ボクは嬉しかった。

ずっと会えるこの日を待ち望んでいた。




妻もボクがずっと別れた娘と会いたがっていることを100も承知していた。

隠し子でもなんでもない。


逆に妻はボクと結婚する前から

その娘の存在は知っていた。




だが、なぜかその娘に会うことを拒絶した。


そして会うことを頑なに拒んでいた妻の前に

突如その娘が現れたのだ。



それがいみじくも親父の通夜の席上であった。




その場で妻は逆上した。

泣き叫んだ。


「あの娘(こ)を追い返して!」 と。

そうでなければこの席上にはいられないし、

葬式にも参列しないという。



ボクは長男だ。

この場を取り仕切らなければならない。



ボクは妻を取るか、別れた娘を取るか迷った。

この親父の通夜という席上で、この瞬間に決めなければならなかった。


席上には親戚縁者、父の死を悼む人々が集まっていた。



そこでボクは苦渋の決断を迫られたのだ。

妻を取るか、夢にまで見てやっと再会できた娘を取るか。



しかもこの状況で、このタイミングで

あまりに酷な選択だった。


そして


ボクは、


ボクは






敢えて妻を選んだ。



23年間、娘との再会を待ち望んでいて

今やっとそれが実現したというのにだ。


本来、二者択一する事柄ではないはずなのに。





ボクは、静かに娘に言った。


「悪いが、帰ってくれ」 と。



「お父さん」 と呼んでくれた娘は

信じられないといった顔をした。




「エッ!何いってんの、お父さん。

どうして?

私のおじいちゃんが亡くなったのよ。

元気な時に一度会いたかったのに。

お父さんにもやっと会えた。


いやよ、お父さん、私は帰りたくない、せっかく会えたのに」


そういって娘は泣きだした。



妻も部屋の傍らで泣きじゃくっている。



「いいから帰れ!」

ボクは怒鳴ってしまった。


23年ぶりにやっと再会できたばかりだというのに。



通夜の宴席は、凍りついた。

そこにはオヤジの棺を前に場にそぐわない情景が広がった。



みるみる間に娘の目から大粒の涙が零れ落ちた。


「どうしてお父さん、

どうして私が帰らなきゃいけないの。

お父さんと、おじいちゃんおばあちゃんに会いに来たのよ。

ここに居させて、お願い!」


彼女も泣きわめく。

部屋の隅では相変わらず妻が泣きじゃくっている。


その情景をボクの目は捉えていた。




ボクはもう一度怒鳴った。

「帰れッ!

つべこべ言わずに、いいから今すぐここから出て行け!」



娘は恨めしそうな目でボクを見ながら言った。

「私はお父さんに、二度捨てられた」



「違う、違うんだ」

ボクは心の中で叫んでいた。


「許してくれ、許してくれ」

喉の奥から振り絞るように言った。


「お父さんを許してくれ」




やがて娘はボクの前から姿を消した。

娘を抱きしめることすらできなかった。




ボクはオヤジの棺の前でうっ伏して泣いた。


オヤジの死を悼む気持ちと

娘との再度の別れを嘆く気持ちが激しく交錯していた。





            ◇


その時、息子は16歳、

今回NYで結婚式を挙げた娘はまだ10歳だった。


彼らは一部始終を見ていた。



その時初めてボクの3人の子が同じ空間にいたことになる。


ボクはそのこともずっと夢見ていた。

しかし彼ら姉兄妹が言葉を交わすことは一切なかった。




こうして23年間再会を待ち続けた父娘は

一瞬のうちにまた切り裂かれてしまった。






それから何事もなかったかのように月日は流れた。


そして約3年後、

皮肉な運命の歯車がまた回り始める。



(続く)



【お断り】

これは事実を基にはしているが

フィクションである。

NYのホテル事情

2012年07月15日 | 
NYが特徴的なのは、一見セレブの町といったイメージがあるが、

人種と貧富の差の激しさは例を見ないだろう。


特に人種においては棲み分けができていいる。

チャイナタウンやリトルイタリー、そしてハーレムなどが特徴的だろう。


チャイナタウン


     リトルイタリー


     ハーレム



セントラルパークの東西がアッパーサイドと呼ばれいわば高級住宅地だ。

ただ高級といっても、ビバリーヒルズのような敷地のある一軒家ではなく、

マンション群といったところ。




写真のように大体数段の階段があり、

部屋のナンバーを押してそれぞれの部屋からあけてもらわなければ建物の中には入れない。

これは日本のマンションでもセキュリティがしっかりしているところは取り入れられている。



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今回ボクはロウアーイーストに位置するチャイナタウンの中に宿をとった。

これがまったく笑わせる。



ホテルといってもピンからキリまであることは誰でも知っている。

星の数でグレイドを決めることも。


ここは確か2つ星だったっけ。


    外観はまずまずだった



今までどんなボロ宿にも泊まってきた。

雑魚寝も、野宿も厭わなかった。



それは、お金を節約するためだった。

安けりゃ仕方がない。


たった一晩か二晩、辛抱しようという気にもなる。



今回は8日間、移動はしたくなかった。

インターネットで予約した。


一番安いドミトリーに部屋を取った。

それでも税込一泊55ドルもする。


ボクにとっては贅沢中の贅沢な値段だ。

大体、10~30ドルまでで収めるようにしているから。



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早朝6時半い空港につき、

朝9時にホテルに着いた。


チェックインは2時からだ。

もちろん待つのは一向に構わない。


当然チャイニーズ経営だ。

無愛想だが(これも当たり前)荷物を置かせてもらって


最近入ったらしいWiFiのパスワードを聞いて、

レセプション脇で早速メール確認。


     レセプション


久しぶりのNYチャイナタウンを散策した。




NYのチャイナタウンは、

サンフランシスコと並ぶ世界最大のチャイナタウンだ。


中国人たちの生活がにじみ出ている。



だからそこは完全に中国にいるのと同じ気分になる。


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さて、2時、チェックインする。

オッとその前に部屋を見せてもらうことを忘れてはならない。


モーテルや安宿は必ずそうしなければ

お金を払って(当然前払い)一旦部屋に入ると


気に食わないとき交渉するのが面倒になる。


先に見て、気に食わなければほかの部屋を要求することができる。


5階の部屋のキーを渡された。

エレベーターはない。


階段からフロアに入るのにドアがあって鍵を開けなければならない。

セキュリティーのためだ。


    なんと殺風景なドアだ。


    内側


開けると、ん?????


    なんか極端に廊下が狭い。

その狭い廊下を挟んで個室がずらりと並ぶ。

何かの収容所といった印象。



ボクに渡された部屋は532号室。


    一番奥のコーナーの部屋だ。


ドアを開けてビックリ!

狭いベッドと小さなロッカーだけの部屋。


     天井は金網で、空いている状態。


相部屋でないだけでも救われる。

ただ隣とはベニヤ板一枚の仕切りだし、


天井はあいているので、

咳払いはもちろん、荷物を動かす音までしっかり聞こえる。




もちろん、トイレと洗面所、シャワーは共同。


一瞬マジかよと思ったが、

覚悟を決めてここで8日間過ごすことにした。



しかもWiFiはここまで届かない。

レセプションのフロアのみだ。


   レセプション前のスナック用自販機。
   隣のドアがトイレとシャワー
   給湯器だけがポツンと置かれている
    (みんなカップラーメンのお湯をここで調達していた)

   2日後に壊れて使用不可。
   修理業者が来るまでには一週間を要するという。
   まるで発展途上国



そのため、部屋よりレセプションに傍らにいることが多くなった。

お蔭で、いろんなお客さんと知り合いになった。


まるでここの従業員のように慕われた。

スタッフは無愛想で、中国語しか話せないのも多かったからだ。



パナマの彼女とはすぐ打ち解けて仲良くなった。


    大柄だがとってもチャーミングで陽気な子だ。


後は、インド人、フランス人、ドイツ人、ミャンマー人、フィリピン人などなど





も一つ驚いたのは、

3階と4階が異様な雰囲気なことに気付いた時だった。


     常時占めておくように書かれたドアはいつも開けっ放し
     セキュリティが全くない

それもそのはず

なんとホームレス収容所になっているのだ。



収容所のイメージは本当だった。


     ブラックピ-プルが多く猫も飼っている。



     ついでにゴキブリも飼われているのか、懐っこい。


この階にはエアコンもないので40度を超す室内も開けっ放し、

住民(?)はいつも裸だった。


そのホームレスたちとも何人か言葉を交わすようになった。



ニューヨークはまさに多面都市だ。

街々でその表情が全く違う。



だから飽きない。


I NY

まさかのJFK国際空港

2012年07月14日 | 
羽田に到着した。


NYのJFKエアポートで

いつもの時間にブログ更新しようと思っていたら、

WiFiが使えない。



信じられないが、

Free WiFiがロックされているようだ。



ハッカーによる警戒のためか詳しくは分からない。


MasterCard Loungeが利用できたので

そこで聞いても答えは一緒だった。




という訳で、

羽田に無事帰ってきて今到着ロビーで更新している。




今夜もここのベンチで夜を明かす。


明日夕方、熊本に帰る予定。



水害の被害を見ることになるだろう。

覚悟して帰ろう。



ニューヨーク情報は今後も続けます。


今日はこの辺で。

バカでも分かるNYの歩き方

2012年07月13日 | 
ニューヨークほどわかりやすい大都会は世界でも数少ないだろう。

この場合ニューヨークと一口に言っても、マンハッタンを指すのだが。


なんせ、碁盤の目になっていて、数字と東西南北で示されているので、

馬鹿でも分かる仕組みになっている。



それに、大きく3つに分けられ、アッパーとミッドトロウアーと名付けられている。

そしてそれぞれにイーストとウエストに分けられる。



つまり、街が上中下、東西南北の別れて表示されているわけだ。

これ以上分かりやすく表示できないくらいだ。



これは、移民社会での苦肉の策ではないだろう。


いろんな言語が入り乱れ、

英語がまだよくわからなくても数字とアルファベットの頭文字なら理解できるだろう。




交差点には通り名が示されているので、

どこどこの交差点といえば必ずわかるのだ。


それに地下鉄はUPとDOWNで示され間違いようがない。



それでも時々間違うのは路線だ。


これも数字化アルファベットなのだが、

同じ路線に複数の路線が入り混じっているで行先は確認しておかなければならない。





いきなり東京で地下鉄を乗り回すには

時間と慣れがかなり必要だが


NYでは比較的簡単に把握できる仕組みになっている。


       チケットブース


       自動販売機


       改札口



ただし、

一旦地下鉄に乗り込むとプラットフォームの駅名をよく確認しておかないと


車内アナウンスも聞き取りにくいし、

次の駅名の表示もない(一部路線には取り入れらてきている)ので分かりにくい。


     車内風景 つり革はない


      ごたーを持ち込み、歌ってお金を稼いでいる




南北の移動は地下鉄が結び

東西はバス路線が結んでいる。


バスは少しややこしいが

それでも地下鉄とバスを使いこなせば


格安でマンハッタンを縦横無尽に動き回れる。



それでも時々間違うボクは


バカ以下なのか?







7月12日(木)のつぶやき

2012年07月13日 | 人間関係
00:31 from Tweet Button
新党名は「国民の生活が第一」 小沢代表ら役員を選出 t.asahi.com/768l「自分の生活が第一」 の方が分かりやすかったのに。

11:15 from gooBlog production
バージンロードを歩かなかった blog.goo.ne.jp/dreamincountry…

by asaykaji on Twitter

バージンロードを歩けませんでした

2012年07月12日 | 結婚



警察を呼ぶ、と言われました。





疲れました。


でも


スッキリしました。


これでよかったのだと思います。

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娘は望み通り結婚したし、


ボクは、

言いたいことをはっきり言った。




結局、式の当日まで親族と会うことはなかった。


しかも

相手のオヤジはこの日も来なかった。

臆病者としか言いようがない。




母親も気の強い女性だった。


いい訳ばかりで

謝ることをまったく知らない。



一方的に自分の主張を吐くだけで、

話に応じようともしない。



こんな家族に娘を入れるわけにはいかない。


何が悪いのか?

と開き直る始末。



相手の気持ちを微塵も考えようとしない。



そう、これがアメリカなのだ。




日本人はその場を取り繕うことにばかり気を配る。


まあいいじゃないか、

仕方がない、


せっかくのおめでたい日だ、

ここは丸く収めよう、と。



争いごとを避けたがるのは日本人のすごくいいところだ。


だが、事なかれ主義とは違う。


口角泡を飛ばすという言葉があるように、

喧々諤々議論を戦わせることは


グローバル社会には必須なのである。



ただにやにや笑ってNOと言えない日本人を

バカにしてる節があることは事実だ。



外交下手、交渉下手。


国際結婚はまさに外交と同じである。




どちらか一方が押し付けるのではなく

話し合いのもとで

フィフティフィフティに落としどころを持っていく努力をしなければならない。




その話し合いの席にすら出てこようとしなければ

先には進めない。






だが、

最初から妨害しようとか、

取りやめさせようとかいう気は毛頭なかった。



ただ、

挨拶もまともにできない連中に


素直に、はいそうですか、

娘を差し上げます、とはどうしても言えなかった。



誓いの言葉を交わしているときに、

I don't agree! (認めない!)


とボクは叫んだ。






一つだけ救いがあった。


それは、そこのガーデンのセキュリティーのおばさんだ。


「警察を呼ぶ」といったセキュリティ・ウーマンだ。


ボクは、「警官を呼べば」、と答えた。


だが彼女は首を横に振った。

そして言った。



「あなたの気持ちとてもよくわかるわ。

私も子供が5人いるから。


You are sad and pain.

(悲しくて心が痛いでしょ)」



思わず泣いてしまった。

優しい言葉にめっぽう弱いから。




そして、もう一人は息子。

ずっとボクの傍にいてくれた。


「お前も式に出なさい。

お父さんは大丈夫だから」



そう言っても、ボクの傍から離れなかった。



出来た息子だ。



何といっても

ボクは最高に幸せ者だ。



これで父親としての責任は果たせたと思う。


一時的に娘を悲しませたが、

先は長い。


30年後、50年後、

父親であるボクが取った行動の意味が分かる日が必ず来る。



そう信じている。


どんなにグローバル世界になろうとも

日本人としての誇りは失いたくない。



もう少し詳しく書きたいが

疲れた。



夜10時を回ったところだが、

もう寝よう。

ソーホーで露店を開いた

2012年07月11日 | 仕事
今回のNY行きは

もう一つ目的があった。


熊本(失礼、全国)で有名な書画家のI先生の作品を売り込むことだ。


日本のカリグラフィとしてこのNYで販売先を探すというもの。



サンプル作品を預かってきている。




それを携えての飛び込み営業だ。




日本でも、紹介もなく見ず知らずのところへ飛び込んで売り込むのは

それなりの度胸がいる。


ボクにはいままで余り経験がないことだ。




それをいきなりNYでやった。


ここでも当然英語力が試される。



SOHO や トライベッカ、ノリータ、チェルシーといったところの

露天商も含めてギャラリーを10軒ほど回った。









何処も取り合ってくれない。


これではI先生に申し訳ない。



五番街の紀伊国屋に行けばとも言われた。

それではあまりに能がない。



スーベニアショップも然り。


これは日本が誇る素晴らしいアートなのだ。





やはりアーティストの街で

現地の人や観光客に買ってもらいたいという思いがあった。





一枚も売らずに手ぶらで日本に帰るわけにはいかない。


本来は、昔ながらの建物が残り、

現在最も数多くギャラリーが集まるチェルシーを攻めればいいのだが


今日のところはその時間がない。





よし、

と覚悟を決めた。




ここで露天商をやろう。


芸術家の街、ソーホーで露店を開こう。



勝手に段差のあるビルの前に作品を並べた。



たぶん許可がいるのかもしれなかった。



構うものか、

怒られたらしまえばいい。


罰金や逮捕されることはないだろう。



するとすかさず一人の男性が足を止めた。




オー、なんだか脈がありそう。


「日本の有名なカリグラフィの先生がお書きになったものだ」


「それを日本から販売しに来た」


「今日は特別格安にしておく。

どうか一枚買ってくれ」



ボクは祈るような気持ちで彼に語りかけた。


彼もいろいろと質問を浴びせてきた。



「あなたが書いたのか」

「いや、I先生というボクの友達だ」


「彼は日本で売れて忙しいから

ボクが代理でNYに売りに来たのだ」



「本来彼の作品は日本では数万円から数十万円はする」


「それを今日は特価だ、5ドルでいいよ」と。



I先生には安くて申し訳なかったが、

何としてでも売りたかった。



売れることを実証してみたかった。



「この辺に住んでいるのか」、と彼に聞いた。


「ああ」、と頷く。



「君もアーティストか?」


「まあ、そんな感じだね(kind of)。

まだ駆け出しだけどね」という。



そして約10分、

一枚の作品を手に取った。



そしてポケットから5ドル紙幣をおもむろに取り出した。



やったー、売れた―!。

妙に感激してしまった。



日本でもやったことのないことを

いきなりNYの、しかもソーホーでやった!









初めての経験。

売れるという手ごたえを得た。


すごくうれしかった。



安くてI先生には本当に申し訳なかったが

それ以上の達成感を覚えた。



もっと時間があるなら

必ず売れるという自信を感じた。


チェルシーへ行けば絶対売れる。


I先生直々にお出ましを願おうか。



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どんなことでも新しいことにチャレンジするのは

凄く勇気がいるし大変なことだ。



が、それ以上の充実感

どんな小さくても達成感が生まれる。



何だが大袈裟かもしれないが

こんなことでも生きてるって、感じる。



やればできるんだって思える。



英語もこうして生の現場で、

実践を積みながら鍛えられる。



英会話は机の上で起こっているのでなはい。

路上で、現場で激しくぶつかり合うものだ。



それが一番の上達の道。




ニューヨークで

ソーホーで


地元のアーティストと差しで英語で渡り合える。


ビジネスができ商談が成立する。



アー、生きてるって、

こういうことなんだ、きっとネ。

娘の結婚相手とのバトル

2012年07月10日 | 国際
(かなりの長文です)

ニューヨーク3日目にしてやっと娘とその結婚相手と会うことができた。

今回の目的は、その娘の結婚式への出席だったはずだが、花嫁の父親としてはその前に相手の男Davidに言わなければならないことがあった。
そして、彼の家族とも会わなければならない。


そのために、Davidには渡米前から会って話をしたいと再三言っていたにもかかわらず、本人は結婚の準備で忙しく、親も仕事が忙しく時間が取れないの一点張りだった。


このままでは結婚そのものを認めるわけにはいかないし、ボイコットも辞さない覚悟で単身ニューヨークに乗り込んだのだ。


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着いたその日にボクは彼の勤め先である5番街のユニクロを訪ねた。それは、機関店としての風格とセンスを兼ね備えるユニクロらしからぬゴージャスさを醸し出していた。
彼の働き具合をこっそり見てやろうという意地悪な魂胆が潜んでいた。

入口を入ると黒いユニフォームに身をまとった女性スタッフが、店内用のショッピングバッグを手渡している。ボクはそれを拒否して吹き抜の正面にあるエスカレーターで3階まで一気に上がった。広い店内には同じ黒のユニフォームを着た若いスタッフたちが働いている。一通り全フロアを見回ったが彼の姿が見当たらない。

スタッフの一人に彼の所在を聞いてみた。
「Davidはどこにいるのか」
ところが、そんな名前のスタッフは知らないという。
フロアが違うと分からないのかもというので各フロアで聞く。誰も知らないという。
ふと思い立ってマンハッタンにはほかにユニクロがあるのか聞いた。あるという。あと二か所。
「じゃあ、悪いが各店にDavidというスタッフがいないか聞いてくれ」
と男性スタッフに頼んだ。

しばらくすると彼が戻ってきて言うには
「Davidは確かにこの店で働いている。だが彼は今日はオフで来ていない」という。
「明日は出てくるのか、出てくるなら何時に来るのかを調べてくれ」と頼んだ。
またしばらく待つと、今度は店長らしい女性と一緒にやってきた。彼女が曰くに、
「Davidは結婚のため今日から休暇を取っている」という。そんなことも彼は教えてくれなかったのだ。


業を煮やして僕は電話を彼に入れてみた。3回ほどかけるとやっと彼が電話口に出た。明日会う時間が取れるか聞くと忙しいとまた言う。休みを取って何をするのだと突っ込むと、式場のあるセントラルパークでの打ち合わせがあるという。
「何時に終わるのか」
「6時ごろには終わるだろうと思う」、と心もとない返答。
「OK分かった。じゃあ、6時半、このユニクロで待っているから会おう」といった。
もし遅れそうなら電話をくれとも念を押した。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー――――――――――――

そして2日目、約束の6時半ボクは再びユニクロにいた。
彼は来ない。電話もない。こちらから掛けてみた。1回、2回、3回、4回とかけても出ない。

どんなに辛抱強い僕でも、切れた。もう我慢ができない。
近くにいた女性のスタッフに声をかける。
「責任者を話がしたいのだが」
やがてスーパーバイザーだと名乗る黒人の男性がやってきた。
「私はDavidが結婚する相手の父親だ」と名乗った。
そうすると、
「オー、ちえりのファザーですか」と相好を崩して彼は答えた。
どうやら娘のことも知っているらしい。ボクはにこりともせず彼に言った。
「実はここで彼と6時半に合う約束をしたが来ないし、電話をしても出ない」
そうすると、
「たぶん遅れているのだろう、もう少しここで待ったいてください」と言って姿を消した。


しばらくすると、別の黒人のスタッフがにこやかな顔で寄ってきた。すきっ歯でエディマーフィにそっくりだ。
「ちえりのパパですね。ぼくはDavidの友人で、水曜日の結婚式に参加するんですよ」

嬉しそうに求める彼との握手を拒み、ボクはにこりともせずに彼にこれまでのいきさつを話した。
「きっと打ち合わせが長引いているのでしょう」とスーパーバイザーと同じようなことをいう。
「じゃあなぜDavidは電話に出ない。彼からの電話もない。悪いが君から彼にかけてみてくれないか」
彼は、僕の権幕にびっくりしたような顔つきでOKと言ってダイヤルした。出ない。
「きっとこちらへ向かう電車の中かもしれない」とかばう。
「もう少しここで待っていてもらえませんか」と気の毒そうな顔をしていった。

すでに約束の時間から小一時間が経過している。それから待つことさらに30分。
その間何度か電話を入れてみた。スタッフの彼も電話をするがDavidは出ない。

ボクはエディに言った。
「もう帰る。彼と連絡が取れたら伝えてほしい。私は非常に怒っている。今夜中に彼から連絡がなければ、Davidが私の娘と結婚することは許さないと」

彼は、真顔を装いながら分かったといった。ただ事ではないことを悟ったようだ。エディの顔からは笑顔が完全に消えていた。

別れ際、彼の名前を聞いた。オマールといった。エディではなかった。彼は僕に再度握手を求め、「水曜日に式場でまたお会いしましょう」と顔をひきつらせながら言う。
「水曜日に式場だって、君に会うことはもう二度とないかもしれないよ」ッと返すと、
「I hope」 とまたひきつった顔でオマールは付け加えた。
ボクも言った。「I hope too」 と。



ホテルへ帰ると、Davidからfacebookを通じてメッセージが入っていた。さすがに慌てたらしい。
相変わらずbusyだと言い訳が並びたてられている。
「ビジー、ビジーとセミみたいに鳴くな。誰だって忙しいんだ。俺だって忙しいのにこうやってニューヨークくんだりまで来てんだ。
それなのに会わないとは何事だ。明日も会わないつもりなら覚悟しとけ!」
とうとうブチ切れた。

「結婚式の準備でストレスがたまっているから」とまた言い訳を言う。
アメリカ人はなかなか謝ろうとしない人種らしい。
「言い訳は二度と言うな。結婚の準備でストレスだと。甘ったれるんじゃない、結婚したらもっとストレスがたまるぞ」
ボクは皮肉っぽく、事実を言った。
そう、男にとって結婚は墓場以外の何物でもないのだ。
彼はまだそれを知らない。いや彼に限らず男はみんな知る由もない。なぜなら、やることしか頭にないからだ。
結婚して初めて、その過ちに気付くのが大半だろう。(例外も稀にあるが)


彼は明日4時だったら時間が取れそうだという。
「OK4時だな、で場所はどこだ」
Davidは42丁目のスタバを指定する。
「よしわかった、明日4時、42丁目のスタバで会おう。遅れるなよ、もうサードチャンスはないぞ」



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そして、当日娘を伴ってDavidがやってきた。やっと来やがった。娘ともやっと会えた。
3年ぶりだ。少し顔色が良くないようだ。
「スッピンだし、あまり寝てないし」、と娘はいう。



この男のせいだと怒りがこみ上げるのを押さえて彼に言った。
「お前に話がある。もし娘と結婚するのなら父親としてお前にいくつか言っておきたいことがある。
いいかよく聞け」
彼は素直に頷いた。

悪い奴ではない。ただ煮え切らにだけなのだ。今風の草食系なのだ。アメリカ人も草食男子が確実に増えている。



ボクが彼に言いたいことは、言い洩らさないように前もってノートに箇条書きにしていた。



一つ一つ、噛んで諭すようにボクはDavidに語った。

「君は結婚すれば嫌でもボクの息子になるんだ。分かるな」
「娘も僕も日本人だ。日本には日本のしきたりがある。まず男は、お嬢さんをくださいと娘の父親に土下座して頼まなければならない。そうしたうえで、親御さんも挨拶に来るのが常識なのだ。そのどちらも未だない」

「だから、君に早く会いたかったし、君のご両親にも事前に会って挨拶と話をきちんとしなければならないのだ。結婚したら、娘は君の家族の一員となるのだから」
「君は空手5段だから武士道は分かるな。日本人は礼節を重んじ、目上を敬うのだ。
おもてなしの精神もきわめて深い。そのどちらも君や君の家族は欠けている。きちんと手順を踏まなければならない」
ボクは一気に彼に話して聞かせた。

今、離婚が増えていること、数多く目の当たりにしていることなどを加えて伝える。
そのうえで「娘をシングルマザーなんかにしたら承知しないぞ」と脅した。
もちろん自分のことは棚に上げた状態だ。

「今、給料はいくらか」と突っ込んだことも聞いた。
彼は正直に答える。
「結構もらってるな。俺より多いじゃないか(この野郎)」

ニューヨークのユニクロはかなり人件費に費やしている。お客はそこそこ入っていたるが膨大なテナント代や人件費で赤字だということが推測できる。維持するのに採算度外視でかなり無理しているように感じる。


あとは、宗教問題、人種問題にまで言及した。
延々一時間余り。それでも言い足りなさは否めない。


Davidは、結婚式前に彼の家族とも会食をすることを約束してくれた。
ぎりぎりセーフというところか。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー――――――

もちろん、娘とも話した。思ったよりしっかりしていた。
この3年、ニューヨークでもまれればしっかりせざるを得ないだろう。



日本人としての矜持を示しておきたかった。
一方的だが、これで結婚式にもすっきりした気持ちで出席できる。
エディ、いやオマールにもまた会えそうだ。

娘とバージンロードを歩くことになる。

花嫁の父の心境はまるで乙女心のように複雑だ。
嬉しくもあり、寂しくもあり、心配でもある。



サンフランシスコから息子も駆けつける。こちらも久しぶりの再会となる。
息子は彼女はできたのだろうか。青い目のブロンズの嫁さんを期待する。
男の方は気楽なものよ。



7月9日(月)のつぶやき

2012年07月10日 | 人間関係
08:53 from gooBlog production
3日で落とせる NYは恋の街 blog.goo.ne.jp/dreamincountry…

12:41 from Google
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by asaykaji on Twitter

3日間で彼女を作る方法

2012年07月09日 | 
ニューヨークは恋の街


3日いれば確実に彼女が出来ちゃう。


この日も朝からパソコンコーナーでこそこそやっていると

いろんな国の人が横を通っていく。



目が合うとどちらからでもなく軽く頷く。

Hi

Good morning
.



と声をかける。



横のPCの前に座ったグラマーで色っぽい30代の女性。


定番の「どこから来たの」からまずはいる。


パナマだって。



しめたもの。

スペイン語であいさつする。


それだけでもう、意気投合。



彼女はきれいな英語をしゃべるが

トコトンスペイン語で攻めまくる。


何しに来たの?

ひとり?


今日の予定は?


ビジネスマネージャーのセミナーでNYに来ているという。



オー、キャリアウーマンなのだ。


んでもって、あと3日このホテルにいるという。



今夜、ディナーでもどう?


Sure.



当然のようにOKが出る。


ここまで来たら、ほぼ最後までOKかァ!?


あとは想像にお任せします。


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”Sex and The City” をずっと観ている。


     アッパーウエストはまさにその世界

月曜から木曜まで毎日夜11時から30分間BSのFOXで放映している。


英会話の勉強になる。


そして、そのほかもろもろの勉強にもなる、いろんな意味で。



特に、今NYでは、もろ使える。


      タイムズスクエア



で、使っている。

英会話は実践、応用に限る。


      セントラルパークで


     同じくセントラルパークのパフォーマンサー



     5番街で。ホームレスですって。