テーマ: 瀬戸際力
瀬戸際政策( Brinkmanship )または瀬戸際戦術とは、
緊張を高めることにより交渉相手に譲歩を迫る政治手法である。
外交分野においては瀬戸際外交と称される。
中国や北朝鮮では常套手段だ。
一触即発の朝鮮半島で起きていることを見るのはある意味滑稽でもある。
これを真に受けて右往左往すると相手の術中にはまることになる。
その点は、日本人は真面目(単純)すぎるのか、思う壺にはまりやすい(play into somebody's hands)。
中国や北朝鮮の恫喝に乗り、日本の行方を誤らせようとするものは臆病で愚か者、つまり単細胞としかいようがない。
世界はポーカーゲームが主流だが、
日本は相変わらず花札で勝負しようとする。
駆け引きの仕方が根本から違うのだ。
指導者によっても国の行方は左右される。
ヒステリックな指導者が増えている。
ドナルド・トランプがアメリカの大統領になれば、とんでもない世界が生まれるだろう。
アメリカは日本を守るが、日本はアメリカを守らない。
こんなことがあっていいものか、と彼は叫ぶ。
ボクから言わせるなら、
アメリカは日本のために日本を守るのではない。
アメリカ自身のために日本を守っている。
日本を中国の盾に使っているだけだ。
原爆を落とした罪滅ぼしとしてもまだ足りないくらいだ。
欧米は、自分の利益にならないことはやらない。
日本人は、人のために自分を犠牲にする。
それが武士道の精神だから。
ただ、今は世界ではそれでは通じない。
ある意味心理戦なのだから。
世界は微妙につながっていいる。
そこを見据えて日本(人)はもっと駆け引き上手にならなければ、世界で戦えない。
政治も経済も、個人の生活もだ。
来るなら来てみろ、という開き直りが必要だ。
男も女も、世界は駆け引きで成り立ってる。
強かに、しなやかに、そしてしぶとく生きていこう。
瀬戸際政策( Brinkmanship )または瀬戸際戦術とは、
緊張を高めることにより交渉相手に譲歩を迫る政治手法である。
外交分野においては瀬戸際外交と称される。
中国や北朝鮮では常套手段だ。
一触即発の朝鮮半島で起きていることを見るのはある意味滑稽でもある。
これを真に受けて右往左往すると相手の術中にはまることになる。
その点は、日本人は真面目(単純)すぎるのか、思う壺にはまりやすい(play into somebody's hands)。
中国や北朝鮮の恫喝に乗り、日本の行方を誤らせようとするものは臆病で愚か者、つまり単細胞としかいようがない。
世界はポーカーゲームが主流だが、
日本は相変わらず花札で勝負しようとする。
駆け引きの仕方が根本から違うのだ。
指導者によっても国の行方は左右される。
ヒステリックな指導者が増えている。
ドナルド・トランプがアメリカの大統領になれば、とんでもない世界が生まれるだろう。
アメリカは日本を守るが、日本はアメリカを守らない。
こんなことがあっていいものか、と彼は叫ぶ。
ボクから言わせるなら、
アメリカは日本のために日本を守るのではない。
アメリカ自身のために日本を守っている。
日本を中国の盾に使っているだけだ。
原爆を落とした罪滅ぼしとしてもまだ足りないくらいだ。
欧米は、自分の利益にならないことはやらない。
日本人は、人のために自分を犠牲にする。
それが武士道の精神だから。
ただ、今は世界ではそれでは通じない。
ある意味心理戦なのだから。
世界は微妙につながっていいる。
そこを見据えて日本(人)はもっと駆け引き上手にならなければ、世界で戦えない。
政治も経済も、個人の生活もだ。
来るなら来てみろ、という開き直りが必要だ。
男も女も、世界は駆け引きで成り立ってる。
強かに、しなやかに、そしてしぶとく生きていこう。
テーマ: ゲストハウス力
熊本も福岡もゲストハウスを経営している。

福岡のゲストルーム(3名まで泊まれる)
世界中のお客様が利用する。
日本人の利用もあるが、圧倒的に外国人が多い。
おかげで外国人と会話する機会が圧倒的に増える。
ホームステイと違って、料金を頂けるので収入にもなる。
街中だと賄いの心配をしなくて済む。
一石何鳥にもなる。
あなたもゲストハウスを経営してみませんか。
宿泊業36年の経験で、開業、経営の仕方お教えします。
熊本も福岡もゲストハウスを経営している。

福岡のゲストルーム(3名まで泊まれる)
世界中のお客様が利用する。
日本人の利用もあるが、圧倒的に外国人が多い。
おかげで外国人と会話する機会が圧倒的に増える。
ホームステイと違って、料金を頂けるので収入にもなる。
街中だと賄いの心配をしなくて済む。
一石何鳥にもなる。
あなたもゲストハウスを経営してみませんか。
宿泊業36年の経験で、開業、経営の仕方お教えします。
テーマ: リスク力
ついにバンコクでもテロが起きた。
これを対岸の火事と見るか、明日は我が身と知るかで行動が大きく違ってくるだろう。
情報を隠蔽し、捏造が日常茶飯事で行われている中国と
一触即発の朝鮮半島を除けば、
アジアは比較的安定してた。
特に東南アジアに於いてはASEANに象徴されるように経済的には一枚岩的にさえ映る。
だが、ここにも宗教及び民族の違いが色濃く残っている。
一方日本は特殊だった。
島国であり一民族、一言語としての独立性を保ってきた。
ところが国際化に伴いその特殊性故に弊害が表れている。
ある時は軍需、そしてあるときは経済発展をいち早く実現させ、アジアの中では唯一先進国の仲間入りを果たした。
だが、今は昔。
新興国に追いつき追い越され、今や後退の一途を転げ落ちている。
そこには3つの錯誤が潜んでいる。
それは、技術錯誤、言語錯誤、そして民族錯誤である。
これまで強みだった資質が、すべからく逆転して弱みに転じてしまった。
日本人の美徳とされる武士道精神。
「武士道においては
不平不満を並べたてない不屈の勇気を訓練することが行われていた。
そして他方では、礼の教訓があった。
それは自己の悲しみ、苦しみを外面に現わして
他人の愉快や平穏をかき乱すことがないように求めていた。
サムライにとっては感情を顔に現わすことは男らしくないと考えられていた。
立派な人物を評価する時、喜怒を色に現わさずということがよく用いられた」
日本の武士道精神は、海外で、特に欧米で称賛されているが、
こと現代の外交になれば、相手により臨機応変に対応しなければならない。
自己の主義主張を持ち、相手に伝えるということにおいては、日本人は極端に劣っている。
それゆえに、日本人は誤った選択をしようとしている。
今や、日本はリスク社会の真っ只中にいて、
謝った選択によって自らテロを引きこもうとしているのだ。
リスク社会とは、
「経済や科学技術の発展による富の社会的生産や政治的変革と並行して、
多様で複雑化したリスクが社会的に生産される社会」とされる。
一つの重要な要因は
「ある水準の豊かさが社会に浸透すること」と考えられる。
物質的な豊かさや、福祉などの制度が一定程度、充実してくると、
人々は新たな価値を手に入れるよりも、
すでに持っている価値を手放したくないと思うようになるだろう。
そうなれば社会は全体として、それまでよりもリスクに敏感になる。
その結果、社会の関心がリスクに集まり、リスク社会の段階に入っていく、といわれている。
その昔は、貧困や怨恨による事件と、自然災害によるリスクが主だった。
今やそれらさえも人為的に作りだされている。
豊かさと利便性を追求した余り、原発や自然災害のリスクは高まっている。
そしてそこにテロという新たなリスクが出現した。
「失いたくない」と思うような価値を多く持っていればいるほど、
より容易にテロリストは「果実」を得ることができる。
リスク社会はテロに対して、極めて脆弱なのだ。
リスク社会のもう一つの特徴は、
「空間的、時間的、また社会的な区分が崩れていく」という性格が指摘されている。
つまり、いつどこで、どのような対象物に、どのように行われるのかが全く予想が立たない。
終わりもない。
勝ち負けもない。
現代においては、いつ終わるとも知れぬ散発的な紛争が、さまざまな場所で続くというケースが増えている。
戦闘領域は揺れ動き、明確な安全地帯は容易には見つからない。
また戦争と犯罪の区別も、自明でなくなってきている。
グローバル化の影響も大きい。
世界中のヒトやモノが分かちがたく結びつくようになり、
普通の市民も、かつてなら関係なかった遠い国の情勢を、無視できなくなっている。
そして、そのような遠方のリスク情報が、世界的なネットワークによって瞬時に共有される。
リスク社会的状況は、テロリズムと親和性が高い。
今後の安全保障上の中心的課題は、
テロ対策へとさらに重心を移していくことになるだろう。
20世紀の戦争をイメージするだけでは、もはや安全保障を議論できない時代に入っているのだ。
【追記】
九州はヤバい?
川内原発の再稼働。
桜島噴火。
朝鮮半島有事。
どこへ逃げますか?
ついにバンコクでもテロが起きた。
これを対岸の火事と見るか、明日は我が身と知るかで行動が大きく違ってくるだろう。
情報を隠蔽し、捏造が日常茶飯事で行われている中国と
一触即発の朝鮮半島を除けば、
アジアは比較的安定してた。
特に東南アジアに於いてはASEANに象徴されるように経済的には一枚岩的にさえ映る。
だが、ここにも宗教及び民族の違いが色濃く残っている。
一方日本は特殊だった。
島国であり一民族、一言語としての独立性を保ってきた。
ところが国際化に伴いその特殊性故に弊害が表れている。
ある時は軍需、そしてあるときは経済発展をいち早く実現させ、アジアの中では唯一先進国の仲間入りを果たした。
だが、今は昔。
新興国に追いつき追い越され、今や後退の一途を転げ落ちている。
そこには3つの錯誤が潜んでいる。
それは、技術錯誤、言語錯誤、そして民族錯誤である。
これまで強みだった資質が、すべからく逆転して弱みに転じてしまった。
日本人の美徳とされる武士道精神。
「武士道においては
不平不満を並べたてない不屈の勇気を訓練することが行われていた。
そして他方では、礼の教訓があった。
それは自己の悲しみ、苦しみを外面に現わして
他人の愉快や平穏をかき乱すことがないように求めていた。
サムライにとっては感情を顔に現わすことは男らしくないと考えられていた。
立派な人物を評価する時、喜怒を色に現わさずということがよく用いられた」
日本の武士道精神は、海外で、特に欧米で称賛されているが、
こと現代の外交になれば、相手により臨機応変に対応しなければならない。
自己の主義主張を持ち、相手に伝えるということにおいては、日本人は極端に劣っている。
それゆえに、日本人は誤った選択をしようとしている。
今や、日本はリスク社会の真っ只中にいて、
謝った選択によって自らテロを引きこもうとしているのだ。
リスク社会とは、
「経済や科学技術の発展による富の社会的生産や政治的変革と並行して、
多様で複雑化したリスクが社会的に生産される社会」とされる。
一つの重要な要因は
「ある水準の豊かさが社会に浸透すること」と考えられる。
物質的な豊かさや、福祉などの制度が一定程度、充実してくると、
人々は新たな価値を手に入れるよりも、
すでに持っている価値を手放したくないと思うようになるだろう。
そうなれば社会は全体として、それまでよりもリスクに敏感になる。
その結果、社会の関心がリスクに集まり、リスク社会の段階に入っていく、といわれている。
その昔は、貧困や怨恨による事件と、自然災害によるリスクが主だった。
今やそれらさえも人為的に作りだされている。
豊かさと利便性を追求した余り、原発や自然災害のリスクは高まっている。
そしてそこにテロという新たなリスクが出現した。
「失いたくない」と思うような価値を多く持っていればいるほど、
より容易にテロリストは「果実」を得ることができる。
リスク社会はテロに対して、極めて脆弱なのだ。
リスク社会のもう一つの特徴は、
「空間的、時間的、また社会的な区分が崩れていく」という性格が指摘されている。
つまり、いつどこで、どのような対象物に、どのように行われるのかが全く予想が立たない。
終わりもない。
勝ち負けもない。
現代においては、いつ終わるとも知れぬ散発的な紛争が、さまざまな場所で続くというケースが増えている。
戦闘領域は揺れ動き、明確な安全地帯は容易には見つからない。
また戦争と犯罪の区別も、自明でなくなってきている。
グローバル化の影響も大きい。
世界中のヒトやモノが分かちがたく結びつくようになり、
普通の市民も、かつてなら関係なかった遠い国の情勢を、無視できなくなっている。
そして、そのような遠方のリスク情報が、世界的なネットワークによって瞬時に共有される。
リスク社会的状況は、テロリズムと親和性が高い。
今後の安全保障上の中心的課題は、
テロ対策へとさらに重心を移していくことになるだろう。
20世紀の戦争をイメージするだけでは、もはや安全保障を議論できない時代に入っているのだ。
【追記】
九州はヤバい?
川内原発の再稼働。
桜島噴火。
朝鮮半島有事。
どこへ逃げますか?
テーマ: 居場所力
どこにで自分の居場所があることは最高に幸せなことだ。
どこにでも居場所を見出せる能力が備わっているのかもしれない。
家にいても居場所がない人もいる。
行きついた先が自分の快適な居場所。
郷に入ったら郷に従えといった義務感はない。
心地よい空間に馴染んでしまう。
居場所があるのに、自分から放棄してしまう人がいる。
自分はそぐわないと決めつけ、離れていく。
ここはお前のようなものがいる場所ではない、とでも言われたように。
誰かに言われたからと言って、おいそれと立ち退いてはどこへ行ってもその繰り返しになるだろう。
ここが居場所と決めたなら、デーンと居座ればいい。
自分には自分しかできない役割があるのだと。
リアルの世界に溶け込めず、バーチャルに逃げ込む人が増えている。
そして、ますます自分の世界を小さくしていく。
得てして被害妄想(paranoia)である。
居場所=心地良い場所 とは限らない。
隠された能力を発揮できる場所でもある。
自分の能力を過小評価している場合が多い。
それでもあなたは必要とされているのだ。
どうかそのことに気付いてほしい。
チョッと辛いからといちいち逃げ出していては、どこへ行っても同じだろう。
どうぞここに居てください。
ここがあなたの居場所なのですから。
どこにで自分の居場所があることは最高に幸せなことだ。
どこにでも居場所を見出せる能力が備わっているのかもしれない。
家にいても居場所がない人もいる。
行きついた先が自分の快適な居場所。
郷に入ったら郷に従えといった義務感はない。
心地よい空間に馴染んでしまう。
居場所があるのに、自分から放棄してしまう人がいる。
自分はそぐわないと決めつけ、離れていく。
ここはお前のようなものがいる場所ではない、とでも言われたように。
誰かに言われたからと言って、おいそれと立ち退いてはどこへ行ってもその繰り返しになるだろう。
ここが居場所と決めたなら、デーンと居座ればいい。
自分には自分しかできない役割があるのだと。
リアルの世界に溶け込めず、バーチャルに逃げ込む人が増えている。
そして、ますます自分の世界を小さくしていく。
得てして被害妄想(paranoia)である。
居場所=心地良い場所 とは限らない。
隠された能力を発揮できる場所でもある。
自分の能力を過小評価している場合が多い。
それでもあなたは必要とされているのだ。
どうかそのことに気付いてほしい。
チョッと辛いからといちいち逃げ出していては、どこへ行っても同じだろう。
どうぞここに居てください。
ここがあなたの居場所なのですから。
テーマ: 会議力、仲間力
どこへ行っても幸せを感じる。
何をやっても、喜びを感じる。
何があっても、誰に対してもありがたいナ~って感じる。
幸せだナ~、
嬉しいナ~、
ありがたいナ~
この感受性が大切なんだ。
そうすれば、
心はいつもホンワカ。
顔はいつも微笑み、笑い。
昨夜、ベトナムカフェかもんの二階で
ベトナムフェスティバル2016 in Fukuoka」の初の説明会を開いた。

手探り状態で企画書を作った。
集まってくださった全員が協力して企画を進めていこうということになった。
嬉しいことだ。
幸せなことだ。
そして何より有り難い。
一人では何もできない。
仲間がいて初めて実現できる。
昨日は、朝から福岡で行われた「地方創生フォーラム」に参加。

朝10時から夕方5時まで、みっちりいろんな人の話を聞いた。
商店街の活性化というミクロな世界と
福岡市の発展を考えるマクロな発想を学ぶ。
ひいては、
日本というミクロ、世界というマクロな視点に役立つ。
熊本ではできにくいことが、福岡では可能性を感じる。
日本では困難と思われることが、海外ではできそうな気がする。
学生のころ、
家を飛び出したかった。
熊本を抜け出したかった。
そして、日本脱出を図った。
今、それと同じ気持ちを味わい、似たような現象が起きている。
気持ちはいつも学生時代、いや子供時代。
The World as My Campus.
どこへ行っても幸せを感じる。
何をやっても、喜びを感じる。
何があっても、誰に対してもありがたいナ~って感じる。
幸せだナ~、
嬉しいナ~、
ありがたいナ~
この感受性が大切なんだ。
そうすれば、
心はいつもホンワカ。
顔はいつも微笑み、笑い。
昨夜、ベトナムカフェかもんの二階で
ベトナムフェスティバル2016 in Fukuoka」の初の説明会を開いた。

手探り状態で企画書を作った。
集まってくださった全員が協力して企画を進めていこうということになった。
嬉しいことだ。
幸せなことだ。
そして何より有り難い。
一人では何もできない。
仲間がいて初めて実現できる。
昨日は、朝から福岡で行われた「地方創生フォーラム」に参加。

朝10時から夕方5時まで、みっちりいろんな人の話を聞いた。
商店街の活性化というミクロな世界と
福岡市の発展を考えるマクロな発想を学ぶ。
ひいては、
日本というミクロ、世界というマクロな視点に役立つ。
熊本ではできにくいことが、福岡では可能性を感じる。
日本では困難と思われることが、海外ではできそうな気がする。
学生のころ、
家を飛び出したかった。
熊本を抜け出したかった。
そして、日本脱出を図った。
今、それと同じ気持ちを味わい、似たような現象が起きている。
気持ちはいつも学生時代、いや子供時代。
The World as My Campus.
テーマ: 地方力
地方創生に向けた地域間・産学官民金連携のイベントが今日から2日間福岡で開かれる。
今から福岡に向かう。
さらに、夜は来年のベトナムフェスティバルに向けた説明会を行う。
商店街のインターナショナル化に向けた無料英会話教室もいよいよスタートする。
東南アジアも、タイ、ミャンマーと何やらきな臭くなってきた。
タイ・バンコクでは昨日テロが起きた模様。
ミャンマーでは、与党「スーチー派」を粛清して党内クーデターが起きている。
特に軍事政権が蔓延る国は油断できない。
今日は一日缶詰めになるので、詳細は明日以降のブログで。
では、行ってきます。
地方創生に向けた地域間・産学官民金連携のイベントが今日から2日間福岡で開かれる。
今から福岡に向かう。
さらに、夜は来年のベトナムフェスティバルに向けた説明会を行う。
商店街のインターナショナル化に向けた無料英会話教室もいよいよスタートする。
東南アジアも、タイ、ミャンマーと何やらきな臭くなってきた。
タイ・バンコクでは昨日テロが起きた模様。
ミャンマーでは、与党「スーチー派」を粛清して党内クーデターが起きている。
特に軍事政権が蔓延る国は油断できない。
今日は一日缶詰めになるので、詳細は明日以降のブログで。
では、行ってきます。
常に世界に意識を向けること。
どこかで陽が沈むと、また別のところでは陽が昇っている。
どこかで泣いている人がいれば、また別のところでは笑っている人々がいる。
飢えて死にそうな人がいれば、たらふく食べて、残りものを捨てる人がいる。
戦争のさなかに逃げ惑う人もいれば、平和の有り難さも分からずゲームに熱中する人もいる。
自分の国だけ、
自分の周囲だけ、
自分の仲間だけしか関心がないと、
特に日本では何も心配することなく生きていける気がする。
食べ物も、住むところも、着るものも、
そして、水や空気や太陽さえ自分のためにすべてが揃っている環境にある。
ある人はそれを平和ボケといったりもする。
もしも世界中が平和ボケになれるなら、それはそれでいいのかもしれないが。
いたずらにストイックになったり、危機をあおる必要はない。
ただ、少しだけ、そうではない世界があることを意識するだけでいい。
食事する時、食べられない人もたくさんいることを。
家で柔らかな布団にくるまるとき、テントや屋外で寝ることを余儀なくされている人がいることを。
素敵なファッションに身を包むとき、ぼろぼろの服しか着れない人のいることを。
湯水を使うとき、何キロも歩いて水汲みに行かなればならない人がいることを。
そうすれば、日常のどんな些細なことにも、自然と感謝の気持ちが湧いてくるだろう。
【追記】
夢がない、
そもそも好きなものがわからない、何をやったらいいのかわからないという人たちが増えている。
恵まれすぎている証拠だろう。
自分のことだけや、自分の周辺の小さな世界のことだけを考えていると、
日本のような豊かな社会では、自分ひとりの小さな世界をつくって、その日暮らしで過ごしていける。
目先の些細でどうでもいい不平不満はぶちまけても、
何不自由なく、何の心配もなく生きている。
だから自分のことだけを考えている人には、好きなことが生まれてこない。
それはそれである意味幸せなことかもしれない。
でも、心の片隅に、もしこのままではいけないという疑問がフワーッと湧いたなら、
チョッとだけ世界に目を向けてみないか。
自分を中心に考えるのではなく、
社会を中心に考える、世の中を中心に考える、世界を中心に考える、
場合によっては宇宙を中心に考える。
その結果、夢が生まれてくるし、自分のやりたいことが生まれてくる。
あるいは自分がやらなければならないと感じることが、自然に生まれてくるだろう。
どこかで陽が沈むと、また別のところでは陽が昇っている。
どこかで泣いている人がいれば、また別のところでは笑っている人々がいる。
飢えて死にそうな人がいれば、たらふく食べて、残りものを捨てる人がいる。
戦争のさなかに逃げ惑う人もいれば、平和の有り難さも分からずゲームに熱中する人もいる。
自分の国だけ、
自分の周囲だけ、
自分の仲間だけしか関心がないと、
特に日本では何も心配することなく生きていける気がする。
食べ物も、住むところも、着るものも、
そして、水や空気や太陽さえ自分のためにすべてが揃っている環境にある。
ある人はそれを平和ボケといったりもする。
もしも世界中が平和ボケになれるなら、それはそれでいいのかもしれないが。
いたずらにストイックになったり、危機をあおる必要はない。
ただ、少しだけ、そうではない世界があることを意識するだけでいい。
食事する時、食べられない人もたくさんいることを。
家で柔らかな布団にくるまるとき、テントや屋外で寝ることを余儀なくされている人がいることを。
素敵なファッションに身を包むとき、ぼろぼろの服しか着れない人のいることを。
湯水を使うとき、何キロも歩いて水汲みに行かなればならない人がいることを。
そうすれば、日常のどんな些細なことにも、自然と感謝の気持ちが湧いてくるだろう。
【追記】
夢がない、
そもそも好きなものがわからない、何をやったらいいのかわからないという人たちが増えている。
恵まれすぎている証拠だろう。
自分のことだけや、自分の周辺の小さな世界のことだけを考えていると、
日本のような豊かな社会では、自分ひとりの小さな世界をつくって、その日暮らしで過ごしていける。
目先の些細でどうでもいい不平不満はぶちまけても、
何不自由なく、何の心配もなく生きている。
だから自分のことだけを考えている人には、好きなことが生まれてこない。
それはそれである意味幸せなことかもしれない。
でも、心の片隅に、もしこのままではいけないという疑問がフワーッと湧いたなら、
チョッとだけ世界に目を向けてみないか。
自分を中心に考えるのではなく、
社会を中心に考える、世の中を中心に考える、世界を中心に考える、
場合によっては宇宙を中心に考える。
その結果、夢が生まれてくるし、自分のやりたいことが生まれてくる。
あるいは自分がやらなければならないと感じることが、自然に生まれてくるだろう。