世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

今宵満月

2019年04月19日 | 100の力
瞑想は毎日欠かしませんが、

特に満月と新月には、

いつもより長めに瞑想を行います。


今日は、満月です。


『阿蘇瞑想の森』では、

恒例の「満月瞑想」を行います。




満月は、ただ見るだけでもパワーがありますが、

この「満月瞑想」を加える事で更にパワーアップします。

そして自己肯定感に包まれ、

急激にツイてきます!

(月が来ます!)


満月とは、

太陽のエネルギーを月の前面全部が浴びる事で、

地球に月のパワーと一緒に太陽エネルギーが増幅して反射したもので、

膨大なエネルギーが送られてきます。


さらに月は、太陽だけではなく、

宇宙の星や星雲、銀河の微々たるパワーまでも地球上に反射増幅しているのです。


瞑想する時は、

月を月だと思わずに、

月以上のもの(全てを完璧に反射増幅した光のエネルギー)と思って瞑想してください。



特に、満月は「感謝する日」です。


月のエネルギーがピークに達する満月の日に、

感謝の気持ち、手放したいことなどを書き出し、

自分自身を見つめ直すと、心にゆとりが生まれてきます。


また、

月は、満月をピークに欠けていき、

新月に向かって姿を消していきます。


満月から新月の間は、

不必要なものを手放すのに最適な時間です。

掃除、整理整頓、ダイエット、プチ断食をはじめるのに適しているでしょう。



このところ、瞑想をする方は確実に増えています。

しかし、

生活の中に瞑想を完全に取り込んでおられる方は

まだまだ少ないのではないでしょうか。


そして、

瞑想しているにもかかわらず、

イライラしたり、

不安を抱いたりする場合は、

瞑想の仕方が間違っている可能性があります。


せっかく瞑想をするのであれば、

正しい瞑想を行ってください。


そして、何より

環境が大事です。


どこでも、いつでもできますが、

瞑想は、より良い環境で行うのがより効果的です。


『阿蘇瞑想の森』は、

パワースポットであり、

最高の環境の中にあります。


焚火をしながら瞑想ができます。

火の揺らぎ(1/f)を見ながらの瞑想は最も効果的です。


今夜19時から「満月瞑想」を行います。

月光浴も致します。

是非、ご参加ください。



(注釈)


1/fゆらぎとは、

パワー(スペクトル密度)が周波数 f に反比例するゆらぎのこと。

ただし f は 0 より大きい、有限な範囲をとるものとする。

ピンクノイズはこの1/fゆらぎを持つノイズであり、

1/fノイズとも呼ばれる。


自然現象においても見ることができ[1]、

具体例としては

人の心拍の間隔、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、小川のせせらぐ音、目の動き方、木漏れ日、蛍の光り方などがある。


また物性的には、

金属の抵抗、ネットワーク情報流が例として挙げられる。


生物に与える効果については、

生体のニューロン(神経細胞)が 生体信号として電気パルス(電気信号)を発射しており、

細胞の発射間隔を調べたら、 その間隔が1/fゆらぎをしていることが発見されている。


そのことから、 生体のリズムは基本的には1/fゆらぎをしていると分かり、

この1/fゆらぎは 快適性と関係があることが判明している。


人間の生体は五感を通して外界から 1/f ゆらぎ を感知すると、

生体リズムと共鳴し、自律神経が整えられ、 精神が安定し、 活力が湧くと考えられている。


精神・心理的変化(Mental /Psychological transition:

鬱状態から回復へ精神・心理的状態が変化)時の人間が描いた絵画などに

1/fゆらぎが表現されたケースを科学的に示した例もある。

(以上wikipediaより)



なお、

この場合の「ゆらぎ」とは、

更年期に当たる女性特有のゆらぎ期とは全く別のものです。









いよいよ

2019年04月18日 | 100の力
今週末から宿泊のお客様がお見えになる。

紹介のお客様である。

2泊3日のご予定だ。

ここ西原村を中心に、

阿蘇をご案内する。


阿蘇の火口が噴火のため入れないのは残念だが、

それでも阿蘇の雄大さはご堪能いただけると信じている。


カフェの看板もできた。



友人の助けもあって、

周囲の整備も徐々に進んでいる。




来週からはいよいよゴールデンウィークも始まる。


宿泊業は40年もやっているが、

初心を忘れずお客様をお迎えしよう。



ただ泊まるだけでなく、

何かを感じていただきたい。


一生の思い出になるように。


暮らすように泊まっていただきたい。

そして、

また来たいと思っていただけるように。


触れ愛はもちろん、

繋がりを大切に。


さて、

お天気も続きそう。


皆様も、素晴らしい休暇を!

素晴らしい人生を!!


Bon voyage!



【追記】


これはボクにとっても

新しい船出を意味する。


世界を旅してきたタビストが

心を込めて手作りでお客様をお迎えする。


そんな初々しさを醸し出していこうと思っています。


みんな、遊びに来てね!!









連続衝撃的出来事

2019年04月17日 | 100の力
昨日、ボクはちょっとした失意の中にいた。


それに追い打ちをかけるように、

朝から衝撃的なニュースが飛び込んできた。

セーヌ川のほとりに立つ世界遺産、ノートルダム寺院の焼失だった。


3度ほど訪れたことがあるが、

尖塔が崩れ行く様は

9・11のワールドトレードセンターが崩壊するさまを彷彿とさせた。


おもえばちょうど3年前のこの日(2016年4月16日午前1時20分)、

熊本地震の本震(2度目の震度7)が起きた。


ボクの避難生活が始まった日でもある。


      (フォードのキャンパー)

快適な?車中泊を経て、

福岡の疎開先へ身を寄せ、

その後しばらく海外で過ごしたことが

昨日のことのように思い出される。


それは新緑に始まり、

帰国した時にはセミが鳴いていた。


仕事場を失い、

それ以来流浪の生活を余儀なくされた。


そんなことをつらつらと思い浮かべながら

出がけに携帯のスイッチを入れた。

ところが、何度やっても起動しない。


その足で携帯ショップに飛び込むものの

ご臨終を宣告された。

なんとしたことか。


電話も、メールも使えない。

SNSも開けない。

カメラも取れない。

これでは発信も受信もできない。


まるで手足をもぎ取られた感覚だった。

いや、参った。


修理には10日くらいかかるという。


悩んだ末、

結局バージョンアップした機種に変更することにした。


     (水中撮影もできるアウトドア仕立て)


前々からそうしたかったのだが、

思わぬ展開でそのタイミングがやってきた。

(予期せぬ出費も余儀なくされたが)


そして、夕方(6時28分)、

阿蘇山が2年半ぶりに噴火した。



阿蘇が怒っている。

何かを訴えている。

何という巡り合わせだろうか。


ボクは憔悴しきった身体と心を引きずるように

家路についた。















年に即した生き方

2019年04月16日 | 100の力
シリーズ第二弾『老人進化論』に取り組んでいる。


入稿から一か月半経つが、

第一弾の『老春時代』のゲラ刷り(初校)もまだ上がってきていないというのに。


いやいや、

それは、今、出版社の編集長が丁寧に校正作業をしてくださってるお陰である。

長ければ初校が上がるのに3か月くらい要するらしい。


刊行(発行)は、7月くらいにずれ込むかもしれない。

それもこれも、

最高の本(ベストセラー本)になるための生みの苦しみなのだろう。


編集長の類稀な才能、ほとばしる情熱、そして温かなお人柄を100%信頼してお任せしている。





で、その刊行を待たずして

すでに、次作『老人進化論(仮題)』を執筆中であるが、

『老春時代』のテーマが、

「老春は青春より楽し!」であり、


今回のテーマは、

「老いは衰えでなく、進化する」である。


多くの人は、

老いれば衰えて当然だと思っているようだ。

あらゆる面で。


だから、

歳をとればとるほど諦観が支配する。

「もう年だから」

「この年になって今さら」

「年には勝てない」

と言い訳が口をついて出る。


確かに体力的にはそうかもしれない。

だが、それも、鍛えればその速度を緩めることは確実にできる。

特に筋肉は生涯鍛えることができる。


        (76歳のスーパーロージン)


労働をいつまでも体力頼みととらえれば、

若いときのようにはいかないことが多いだろう。


ボクも、田舎暮らしをしていて、

草刈りや薪割り、掃除一つにしても

年とともに息が上がりやすくなる。

それは否定しえない。


だが、年とともに

それもカバーして余りあるものを身つけてきているはずだ。

長年の経験によって。


経験とは、

3K(好奇心、向上心、向学心)に基づく行動(冒険と挑戦)と

知識(勉学、研鑽)の累積によるものであり、

圧倒的な智慧(アイデア、創意工夫)を産む。


それは、

体力の問題ではなく、

むしろ、「氣力」の賜物です。


つまり、

いつまでも体力にものを言わせて突き進んでいくことは難しくなっても、

氣力を充実させることで

何倍もの力と才能を発揮させることができる。


才能とは、衰えることなく

年々歳々伸ばすことができるのです。


仕事(仕える)を志事(志す)という意識にに変えるのです。

そして、

使命感ではなく、

志命感を持つことです。


使命は外に向かって誓いをたてるが、

志命は、内なる自分に対して志を立てる。



身体が思うように言うことをきかなくても

頭(脳)は死ぬまで成長し続けます。

使えば使うほど発達する。

認知症にもアルツハイマーにもなることはないでしょう。


そして、

心(精神)豊かになることです。


年甲斐もなく、とか

いい年してなどと揶揄られても気にすることはない。


悔しかったらやってみろ!

という気持ちで何事にも果敢に挑戦すればいい。


老いの恥はかき捨て、くらいの気概を持って。


人は、

挑戦を続けている限り

決して衰えることを知らないのだから。


死ぬまで情熱の灯を消してはならない。


老いてますます盛ん!!なれ。






もう3年?まだ3年?

2019年04月15日 | 100の力
あれからボクの生活は大きく変わった。


2転、3転、4転…。

手がけていた事業が全部だめになった。

自宅もなくなった。


不思議と、

震度7の震源地であったここだけが残った。



築120年の古民家が凛として耐えたのだ。


だが、ついこの前まで、

ここも手放そうと思っていた。




海外を転々とする流浪の旅を目指した。



だが、今、

またそこに新たな息吹を吹き込んでいる。

腰を据えて。

愛する人と。


いつも、最終的には

落ち着くところに落ち着く。


人生がどう転ぼうと、

今まで、そしてこれからも悪い結果は決してもたらさないことを身をもって知っている。


なぜなら、

すべての事象は、

心の持ちようでどうにでも解釈できるからである。

(良いように解釈すればいい)


基本的に、

ボクはついている。


だから、

何が起ころうと、絶対に悪いことは起きない。


起きるのは、

人生を軌道修正するのに必要なことだけ。

意味のあることだけ。

それも最も適した時期に、

最も適した状態で起きる。


ここには、きっと、

ボクを留める計り知れないエネルギーが渦巻いている。


心身のエネルギーである「氣」は、

宇宙エネルギーから得られる。


だから、

ここに降り注ぐ宇宙のエネルギーを集め、

心にエネルギーを補充する。



ボクは、ここで生かされている。

そして、活かされている。


ここで戴く宇宙からのエネルギーを

この地にまた惜しみなく注ぎ込む。


まるで呼吸をするかのように。

吸っては吐き、

吐いては吸う。


心地よく、

いい波動の循環が生まれている。



【追記】

いつも言っているが、

一旦「覚悟」を決めたものは、強い。

揺がない。

動じない。


その具体的訓練は

肩の力を抜き、

丹田に「氣」を込め、

お尻を絞めることである。


これは、

『クンバハカ』という

インドヨガの秘技である。


人間を瞬間に「もっとも神聖な状態に保つ手法」である。


お尻締めを行うと

交感神経の緊張から、副交感神経優位にスイッチが切り替わり、

自律神経のバランスが良くなる。


その結果、

プラス思考になり、

心には冷静沈着や泰然自若の世界が広がってくる。


この世に怖いものがなくなる。












4月14日(日)のつぶやき

2019年04月15日 | ライフスタイル

撮影

2019年04月14日 | 100の力
たまにここは撮影場所として使われる。

嬉しいし、有り難いことだ。


建物の内外、

森を背景にと、

ショットポイントは豊富だ。


アオザイが春の日差しには良く似合う。


        アオザイ美人が突如出現!


ゲート横のメイン看板も出来上がった。




少しづつだが、

着々と再オープンの準備は整っている。




漠然としすぎる老後不安

2019年04月13日 | 100の力
年齢に関係なく

ほとんどの人が老後に対する不安を抱えていることだろう。




だが、その不安は、

あまりにも漠然としすぎている。


その対策を考えている人も、

なんとなく老後のための預金をしているに過ぎない。

(やるべきことは貯金ではなく、貯筋なのだが)


特に、現在50歳以下の人は

年金もおぼつかない。

(ほとんどない可能性もある)


日本は、男女とも世界一クラスの平均寿命を誇る(?)。

そして、それは年々伸びている。

だが、その現実は、

世界一の寝たきり老人に支えられている。


そして、

高齢社会はますますその度合いを深めている。


それが、医療費、介護費と言った財政を圧迫する。


それに拍車をかけるように、

高齢者の生活保護も急増の一途だ。

これでは、どんなに消費税を上げても追いつかない。


さらに、

少子高齢化より深刻な問題が潜んでいる。


それは、

未婚率の増加である。

実は、その高齢者人口より独身者人口のほうが多いという事実を知る人は少ない。


2015年時点で、

65歳以上の高齢者人口約3280万人に対して、

15歳以上の独身者人口(離別死別含む)は約4440万人。

独身者のほうが高齢者より1200万人近くも多い。


つまり、

日本は、高齢者の割合が高い「超高齢国家」である以上に、

独身者が多い国「超ソロ国家」にすでになっているのだ。


生涯未婚率(一度も結婚しない人)の割合は、

男性20%、女性10%だ。


そして、なんと、

20年後の2040年には

ソロ率は47%に達し、

人口の5割が独身となり、一人暮らしが4割の国になるといわれている。

(いったいどんな国になるのだろうか?)


さらに、30年後の2050年には

65歳以上の高齢者が40%を占める。

(現在35歳以上の人はこの範疇に入る)


しかも、

平均寿命も90歳に迫ろうとしている。

もはや、

人生100年が当たり前になってる。


恐らく、

AIがこれを加速させるだろう。

長寿を通り越して、

死ねない時代がもうそこまで来ている。


技術的には

人間を150歳まで生きさせることができるという。

どういう状態でかはわからないが。


問題は、「健康寿命」のはずだ。

現在、平均寿命と健康寿命とでは

10~15歳の開きがある。

寝たきりを増やすだけでは意味がない。


さらに悲観的なことには、

中高年のひきこもりが増加している。

中年フリーター(非正規社員を含む)が

高齢化すればとんでもない世界が生まれる。


彼らの多くは、

早々と人生に諦観を持ち込んでしまって

やる気(生きる気さえ)を失ってしまっているのだ。


まさに、

ゾンビが横行(徘徊)する光景が目の当たりに浮かぶ。


もっとも問題なのは、

多くの人が、老後に対して漠然とした不安は持っているものの、

まだまだその対策に関して

無関心かつ無智であるということだ。


いったい、老後の30年間をどう生きようというのか。

考えて行動している人はほとんどいない。

(ただただ目先の生活、享楽にうつつを抜かしているだけ?)


3Kと言われる老後問題。

健康、経済、孤独にどう対処するのか?


最悪、

心身を患い、

わずかばかりの年金か、生活保護だけで、

頼れる人もいない。


そうならないためにやるべきことは、

心身を鍛え、

収入(権利収入)を確保し、

人付き合い(人間関係)を円滑にすることだ。




【追記】


一昨日、

東大入学式で、

同大名誉教授の上野千鶴子さんが祝辞を述べた。


「がんばっても報われない社会が待っている」と。


「あなた方を待ち受けているのは、

これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。

これまであなた方は正解のある知を求めてきました。

これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。


学内に多様性がなぜ必要かと言えば、

新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。


学内にとどまる必要はありません。

未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。

異文化を怖れる必要はありません。

人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。


あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、

たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。


大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、

これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。


知を生み出す知を、メタ知識といいます。

そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です」

(以上抜粋)



彼女は、

日本人が難民なることを予知している。


これはなにも、

東大生に限ったことではない。

すべての日本人に当てはまることだとなのだ。


要は、

どんな状況においても

この世に生まれてきた以上、

生き抜いていかなければならない。


それには、生き抜く「サバイバル力」を身につけることだ。


サバイバル力とは、

体力と氣力(精神力)、

そして語学(特に英語)とコミュニケーション能力である。


残念ながら、これらは

今の日本人に欠落している能力なのだが。










無駄な生き方

2019年04月12日 | 100の力
ここまでの我が人生を振り返ると

何と無駄の多い生き方だな、と

つくづく感じる。


受験に失敗し、

亡命を図り、

会社を追われ、

二度も結婚に失敗し、

田舎暮らしも3か所目。

事業も起こしては潰し、

海外を流々転々としてきた。


ずいぶん遠回りをして生きてきたものだ。


こうしてみると、

無駄 = 失敗 

と言えるかもしれない。


だが、

同時に、

その無駄(失敗)こそが

自分の人生に味わいを持たせてくれていることにも気づく。


誰しもすんなりいく人生を歩む者はいない。

みんな、悩み苦しみ、もがきながら生きている。


それこそ無駄の権化ではないだろうか。


いや、

人間は悩み、苦しみの中から

様々なアイデアを生み出してきた。


ちなみに(余談だが)

究極のアイデアは、

「愛」と「出逢」いから生まれる。


ただ悩んだだけ、苦しんだだけでは

それこそ無駄の極みである。

鬱になったり、自殺までする人がいるくらいだから。


悩みを苦しみを、

考え、創意工夫に昇華した時にこそ、

その無駄が活かされる。


悩むんじゃない、

考えるんだ。

そして、感じろ。




特に新しいことを始めるときは

不安を伴う。


不安は人を慎重にもするが

無駄な不安は人を臆病にしてしまう。

そして、尻込みさせる。


未知の世界に、

最初から安心感なんて持てやしない。

だが、同時にトキメキ(期待)を感じるはずだ。


だから、未知の世界に敢えて飛び込もうとするのだ。

でなければ、

一生コンフォートゾーンに身を置いておけばいい。


挑戦者や冒険家は、

常に不安を抱くが

それ以上に魅力を感じるものがあるから

命を懸けてでも挑む。


そして、

無駄に無駄を重ねては

飽くなき挑戦を続ける。


その底辺に流れるものは何か。


それは、

信念であり、

勇気であり、

覚悟である。


そして、

なにより、

「愛」である。


最後は、

開き直ればいいんです。


そこに美学を感じるのです。


そう思った時、

あー、

無駄とは究極の美学なのだと知りました。