幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「解決ナイナイアンサー」 リロイ太郎さんが20歳の時、ケニア人の母を訪ねてウガンダへ

2015-05-14 08:12:51 | 生き方/考え方
5月12日(火)21時から「解決ナイナイアンサー」で、放映されました。
リロイ太郎さんはハーフ芸人です。お母さんがケニア人で、父が日本人です。
アフリカで生まれ、家族三人で日本に帰って来ましたが、日本人社会では温かく迎えられなかったようです。
肌が黒いことであだ名を”クロ”と付けられたりしました。

お母さんは働きましたがそこで辛い体験もあり、お酒に逃げるようになったそうです。
リロイ太郎さんが5歳の時、離婚してお母さんはウガンダに帰りました。
リロイ太郎さんは自分がいじめられているのはお母さんの肌が黒いからだと思い、
お母さんを嫌っていたので、お母さんと一緒に帰らずにお父さんとの暮らしを選びました。

20歳の時にウガンダに行き、お母さんを捜しましたが、31歳で亡くなっていました。
おばあさん(お母さんのお母さん)とリロイ太郎さんが抱き合っていました。
お母さんは帰国後、ずっとリロイくんのことを思っていたそうです。
リロイ太郎くんの誕生日にはお母さんはおばあさんと一緒にお祝いしていたそうです・
お母さんは病気で帰国後の5年後に亡くなったそうです。
おばあさんがリロイくんと逢った時に、おばあさんはリロイくんを抱きしめて逢いたかったと。愛していると伝えました。

親族100人がリロイくんを温かく迎えてくれました。
リロイ太郎さんはお別れの挨拶で、「これまで肌が黒いことで嫌なことをたくさん経験して来た。
肌が黒いのはお母さんのせいだと思っていた。
そのためお母さんを嫌っていた。
母の里を尋ねて、母から愛されていたことを実感した。母のことが好きになった。」とお礼の言葉を述べました。

ざわちんのお母さんはフィリピン人です。
小学校の時、親しい友達が家に来て遊んでいて、その友達の母親が迎えに来たそうです。
その時、ざわちんのお母さんが出てきて挨拶した時、友達のお母さんが「あなたはどこの国の人?」と尋ねて、
「フィリピンです」と答えたそうです。その後、その友達が自分と遊ばなくなったそうです。

姜尚中さんは在日朝鮮人で、就職など含め苦労されたそうです。
その中で、姜尚中さんを支えた日本人もいました。
偏見をなくすことは難しいかもしれませんが、自分が偏見を持たずに接することはできるのだと思いました。