こぶとり爺さん
この話は「宇治拾遺物語」巻1ノ三に“鬼に瘤とらるる事”に出てくる。
「これも今は昔、右の顔に大なる瘤ある翁ありけり。大かうじの程なり。人にまじるに及ばねば、薪をとりて世をすぐるほどに山へ行ぬ」 “大かうじ”とは大きな蜜柑のこと。「隣にある翁、左のかほに大なる瘤ありけりが・・・」 と知って嬉しくなって酒場でホステスさんたちに「こぶとり爺さんのこぶは、どちらについていたか知ってるか?」と尋ねたら、その話を知らなかった。そこで話をしたら、「こぶとり爺さんではなく、こぶ取られ爺さんでは?」と言われた。で、ホステスにはクイズにならなかった。
右こぶ爺さんは、鬼の前で踊って、それがとても上手だったので、鬼たちはあしたも来て踊れと、その爺さんに宝物を与え、右のこぶを取った。
その話を聞いた左こぶ爺さんは自分のこぶを取って欲しくて山に出かけ鬼の前で踊ったがあまりにも下手だったので、鬼はきのうの爺さんと違うことに気付き、左こぶじいさんに担保のこぶをくっつけた。それで左こぶ爺さんは両こぶになってしまった。
左こぶじいさんが鬼の前に来た時になぜ鬼は気が付かなかったのか?昨日のじいさんならこぶがなくなっている。しかし、左こぶ爺さんにはこぶが付いている。なぜ気が付かなかったのか?
右こぶじいさんには両方にこぶがあったと考えたらどうだろうか?それなら右こぶ爺さんは右こぶを取られたので左こぶが残っていた。それなら鬼も気が付かなかったと思われる。
浦島太郎
何故、乙姫さんは玉手箱を与えたのか?浦島太郎が郷里に戻ったら700年が経過していて、知っている人は皆亡くなっていなかった。玉手箱を開けたらお爺さんになってしまった。亀を助けた浦島太郎に何故お爺さんにさせてしまうような玉手箱を与えたのか?
浦島太郎の物語は、「御伽草子」にある。
「昔丹後の国に、浦嶋というもの侍りしに、その子に浦嶋太郎と申して、年の齢二十四五の男有けり」
そして、浦嶋は亀を助けた。その翌日、小舟に美しい女性がただ一人乗ってやってくる。乗っていた船が沈み、自分はこの小舟に乗って流されてきた。自分を本国まで送ってくれと。その女性に頼まれて浦嶋太郎は「はるか十日あまりの航路を送って」行く。竜宮城で、浦嶋太郎はその女性を妻として三年を送った。浦嶋太郎は妻に一時休暇を願い出る。国帰って、父母にこのことを報告してくるというのだ。それで女は夫に一つの箱を持たせて帰らせた。ふるさとは一変している。浦嶋はびっくりして老人に尋ねた。「その浦嶋とやらは、はや七百年以前の事と申し伝へ候」と言う。
「御伽草子」では「中より紫の雲三すぢ上りけり。さて浦嶋は鶴になりて、虚空に飛び上りけり」と記している。お爺さんではなく鶴になったのである。お爺さんなら、七百歳である。人間はそこまで生きられない。しかし、鶴であれば七百歳まで生きられる。何故なら「鶴は千年、亀は万年」である。
竜宮城の乙姫さんは浦嶋太郎に三百年も寿命をプレゼントしたのだ。
蟻とキリギリス
元々の話は「蟻と蝉」です。蝉がいない国で、蝉の代わりにキリギリスになった。
冬に蟻を訪ねたキリギリスに「夏には笛を吹いていたのだから、冬には踊ればいいんじゃない?!」と言っている。
昨今の子ども向けでは、「まあ、キリギリスさん、そんなにお痩せになって!お気の毒に・・・。外は寒いでしょう。どうぞ、おはいりください」とアリはあたたかくキリギリスを迎える。ご馳走をいただきながら、キリギリスはぽろりと涙を流して言う。「アリさん、ありがとう。このご恩は一生忘れません。わたしも来年からは、一生懸命に働きます・・・。」
パロディ版は「キリギリスがアリを尋ねたら、アリは過労死で死んでいた。キリギリスさんはアリさんの残してくれた食べものを食べて冬を過ごした」
アリは働き過ぎで自業自得だと言っても子どもたちは納得してくれない。
「新版・アリとキリギリス」では、やがて冬になった。キリギリスは夏の間にしっかり練習しておいた音楽でもって、コンサートを開き、アリにチケットを買って貰った」。めでたし、めでたし。キリギリスはミュージシャンなんだ。エコノミック・アニマルのアリも、冬になって働けないときは、芸術鑑賞をすればいい。
つまりアリはアリの生き方を、キリギリスはキリギリスの生き方をすればいい。そして、アリとキリギリスが仲良くこの世界を生きればいい。若者たちはそう主張している。若者たちのつくりだしたことばに、「アリギリス」がある。アリとキリギリスの「共生」の思想を謳ったことばである。
この話は「宇治拾遺物語」巻1ノ三に“鬼に瘤とらるる事”に出てくる。
「これも今は昔、右の顔に大なる瘤ある翁ありけり。大かうじの程なり。人にまじるに及ばねば、薪をとりて世をすぐるほどに山へ行ぬ」 “大かうじ”とは大きな蜜柑のこと。「隣にある翁、左のかほに大なる瘤ありけりが・・・」 と知って嬉しくなって酒場でホステスさんたちに「こぶとり爺さんのこぶは、どちらについていたか知ってるか?」と尋ねたら、その話を知らなかった。そこで話をしたら、「こぶとり爺さんではなく、こぶ取られ爺さんでは?」と言われた。で、ホステスにはクイズにならなかった。
右こぶ爺さんは、鬼の前で踊って、それがとても上手だったので、鬼たちはあしたも来て踊れと、その爺さんに宝物を与え、右のこぶを取った。
その話を聞いた左こぶ爺さんは自分のこぶを取って欲しくて山に出かけ鬼の前で踊ったがあまりにも下手だったので、鬼はきのうの爺さんと違うことに気付き、左こぶじいさんに担保のこぶをくっつけた。それで左こぶ爺さんは両こぶになってしまった。
左こぶじいさんが鬼の前に来た時になぜ鬼は気が付かなかったのか?昨日のじいさんならこぶがなくなっている。しかし、左こぶ爺さんにはこぶが付いている。なぜ気が付かなかったのか?
右こぶじいさんには両方にこぶがあったと考えたらどうだろうか?それなら右こぶ爺さんは右こぶを取られたので左こぶが残っていた。それなら鬼も気が付かなかったと思われる。
浦島太郎
何故、乙姫さんは玉手箱を与えたのか?浦島太郎が郷里に戻ったら700年が経過していて、知っている人は皆亡くなっていなかった。玉手箱を開けたらお爺さんになってしまった。亀を助けた浦島太郎に何故お爺さんにさせてしまうような玉手箱を与えたのか?
浦島太郎の物語は、「御伽草子」にある。
「昔丹後の国に、浦嶋というもの侍りしに、その子に浦嶋太郎と申して、年の齢二十四五の男有けり」
そして、浦嶋は亀を助けた。その翌日、小舟に美しい女性がただ一人乗ってやってくる。乗っていた船が沈み、自分はこの小舟に乗って流されてきた。自分を本国まで送ってくれと。その女性に頼まれて浦嶋太郎は「はるか十日あまりの航路を送って」行く。竜宮城で、浦嶋太郎はその女性を妻として三年を送った。浦嶋太郎は妻に一時休暇を願い出る。国帰って、父母にこのことを報告してくるというのだ。それで女は夫に一つの箱を持たせて帰らせた。ふるさとは一変している。浦嶋はびっくりして老人に尋ねた。「その浦嶋とやらは、はや七百年以前の事と申し伝へ候」と言う。
「御伽草子」では「中より紫の雲三すぢ上りけり。さて浦嶋は鶴になりて、虚空に飛び上りけり」と記している。お爺さんではなく鶴になったのである。お爺さんなら、七百歳である。人間はそこまで生きられない。しかし、鶴であれば七百歳まで生きられる。何故なら「鶴は千年、亀は万年」である。
竜宮城の乙姫さんは浦嶋太郎に三百年も寿命をプレゼントしたのだ。
蟻とキリギリス
元々の話は「蟻と蝉」です。蝉がいない国で、蝉の代わりにキリギリスになった。
冬に蟻を訪ねたキリギリスに「夏には笛を吹いていたのだから、冬には踊ればいいんじゃない?!」と言っている。
昨今の子ども向けでは、「まあ、キリギリスさん、そんなにお痩せになって!お気の毒に・・・。外は寒いでしょう。どうぞ、おはいりください」とアリはあたたかくキリギリスを迎える。ご馳走をいただきながら、キリギリスはぽろりと涙を流して言う。「アリさん、ありがとう。このご恩は一生忘れません。わたしも来年からは、一生懸命に働きます・・・。」
パロディ版は「キリギリスがアリを尋ねたら、アリは過労死で死んでいた。キリギリスさんはアリさんの残してくれた食べものを食べて冬を過ごした」
アリは働き過ぎで自業自得だと言っても子どもたちは納得してくれない。
「新版・アリとキリギリス」では、やがて冬になった。キリギリスは夏の間にしっかり練習しておいた音楽でもって、コンサートを開き、アリにチケットを買って貰った」。めでたし、めでたし。キリギリスはミュージシャンなんだ。エコノミック・アニマルのアリも、冬になって働けないときは、芸術鑑賞をすればいい。
つまりアリはアリの生き方を、キリギリスはキリギリスの生き方をすればいい。そして、アリとキリギリスが仲良くこの世界を生きればいい。若者たちはそう主張している。若者たちのつくりだしたことばに、「アリギリス」がある。アリとキリギリスの「共生」の思想を謳ったことばである。