大阪府出身。コシノ洋装店。母と姉と妹がデザイナー。新人デザイナーの登龍門といわれる装苑賞を最年少の19歳で受賞。今CMでブルゾンちえみと共演で話題。
ブルゾンチエミさんの母親役で話題。子どもたちが寄ってくる。CM始まる前に彼女を知っていた。売れる前にブルゾンちえみさんがお店に来た。私に関心を持ってくれていた。
やったことないことに挑戦するのが好き。同じことの繰り返しだとつまらない。ドキドキしない。新しいことに兆円するとやったと思う。
1曲目 ダイアナ・ロス「You are everything」
ダイアナ・ロスが海外のお店に来た。ダイアナ・ロスの曲に変えた。すごく歓迎された。その時にかけた曲。
ダイアナ・ロスにコンサートに行ったら、ステージの上に椅子を置いてくれて、「お友だち」と歓迎してくれた。
前にお姉さんが出演され、先に賞を取られて悔しかったと。
文化服装学院に入学した。高田賢三さん、松田光弘さん、金子功さんたち同期4人と歌舞伎を見に行ったりと。デザイナーがどうして認められないのかなど議論を戦わせていた。
グループサウンズの衣装を作ったのがきっかけだった。布施明さんの服を作ったら、誰が作ったとなり、タイガースの服を依頼された。
メトロポリタンミュージアムでファッションショーを行った。小さく作って大きく表現する。岸和田のだんじり祭りの提灯が原点。やはり小さな時の体験。
「対極の美」が生涯のテーマ。
グラデーションは優雅だけど、それではない印象。
丸に興味を持った。妊娠がきっかけで新しいデザインを発想。お腹が丸くなったので、丸い服を作るようになった。その後、四角に興味を持った。だんだん哲学的になった。
オリジナルを作らないと思っていた。ヨーロッパ風の服を作ってもパリコレでは勝負にならない。人マネでは世界で勝てない。同じやるなら自分もびっくりしたい。
北京飯店で当時最大のファッションショーを行った。当時人民服の時代。それを見た人々がファッションとは面白いと。北京に店を出したら、多くの人が現金を持って買いに来た。
やりたいと思ったらすぐにしないといけない。
ユニフォームをデザインするのが好き。揃いの美。
巨人のユニファームを作った。長嶋監督が「これは両表着れるジバンシーだよ」と言われた。
和太鼓の服。肉体が素晴らしい。肉体を見せる服にした。
機能的な服。動きやすい服。こんなに軽いのと驚かれる。
これからオリンピックの委員も。空港に降りたらもうオリンピックを感じるようにしたい。
日本はどこをつついても最高。それがまだ伝わっていない。やることがたくさんある。
通じる人があるなしに関係なく、感じている人がいる。
2曲目は蝶々夫人から「ある晴れた日」
オペラの衣装を担当した。
2002年、嬉しいわ。
これからもデザインは進化していく。日本的な要素があると良い。浴衣は着物のTシャツ。
感想;
多くの人は新しいことは不安ではないでしょうか?
コシノジュンコさんは、新しいことをする時のドキドキ感が好きだそうです。
これまでも新しいことにチャレンジされ、活躍の場を広げていかれたのでしょう。
聞いていて、失敗を恐れずにどんどん挑戦することなのだと思いました。
ブルゾンチエミさんの母親役で話題。子どもたちが寄ってくる。CM始まる前に彼女を知っていた。売れる前にブルゾンちえみさんがお店に来た。私に関心を持ってくれていた。
やったことないことに挑戦するのが好き。同じことの繰り返しだとつまらない。ドキドキしない。新しいことに兆円するとやったと思う。
1曲目 ダイアナ・ロス「You are everything」
ダイアナ・ロスが海外のお店に来た。ダイアナ・ロスの曲に変えた。すごく歓迎された。その時にかけた曲。
ダイアナ・ロスにコンサートに行ったら、ステージの上に椅子を置いてくれて、「お友だち」と歓迎してくれた。
前にお姉さんが出演され、先に賞を取られて悔しかったと。
文化服装学院に入学した。高田賢三さん、松田光弘さん、金子功さんたち同期4人と歌舞伎を見に行ったりと。デザイナーがどうして認められないのかなど議論を戦わせていた。
グループサウンズの衣装を作ったのがきっかけだった。布施明さんの服を作ったら、誰が作ったとなり、タイガースの服を依頼された。
メトロポリタンミュージアムでファッションショーを行った。小さく作って大きく表現する。岸和田のだんじり祭りの提灯が原点。やはり小さな時の体験。
「対極の美」が生涯のテーマ。
グラデーションは優雅だけど、それではない印象。
丸に興味を持った。妊娠がきっかけで新しいデザインを発想。お腹が丸くなったので、丸い服を作るようになった。その後、四角に興味を持った。だんだん哲学的になった。
オリジナルを作らないと思っていた。ヨーロッパ風の服を作ってもパリコレでは勝負にならない。人マネでは世界で勝てない。同じやるなら自分もびっくりしたい。
北京飯店で当時最大のファッションショーを行った。当時人民服の時代。それを見た人々がファッションとは面白いと。北京に店を出したら、多くの人が現金を持って買いに来た。
やりたいと思ったらすぐにしないといけない。
ユニフォームをデザインするのが好き。揃いの美。
巨人のユニファームを作った。長嶋監督が「これは両表着れるジバンシーだよ」と言われた。
和太鼓の服。肉体が素晴らしい。肉体を見せる服にした。
機能的な服。動きやすい服。こんなに軽いのと驚かれる。
これからオリンピックの委員も。空港に降りたらもうオリンピックを感じるようにしたい。
日本はどこをつついても最高。それがまだ伝わっていない。やることがたくさんある。
通じる人があるなしに関係なく、感じている人がいる。
2曲目は蝶々夫人から「ある晴れた日」
オペラの衣装を担当した。
2002年、嬉しいわ。
これからもデザインは進化していく。日本的な要素があると良い。浴衣は着物のTシャツ。
感想;
多くの人は新しいことは不安ではないでしょうか?
コシノジュンコさんは、新しいことをする時のドキドキ感が好きだそうです。
これまでも新しいことにチャレンジされ、活躍の場を広げていかれたのでしょう。
聞いていて、失敗を恐れずにどんどん挑戦することなのだと思いました。
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