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『喪失学「ロス後」をどう生きるか?』坂口幸弘著 ”喪失する前に大切なものを知り、生かす”

2024-10-22 03:31:31 | 本の紹介
・「失ってはじめて、なくしたものの大きさに気づいた」という話を耳にすることがある。失った当人は少なからぬ後悔を味わっているかもしれない。そうした他者の経験を知ることにより、私たちは自分が実際に直面しなくてもその因果関係を学び取り、対処方法を学習することができる。つまり、自分では失わずとも、他者の喪失体験から学び、成長することもできるはずである。

・人生は失うことばかり
生が始まるということは、死ぬまでの時間を失っていくことでもある。

・喪失体験は、失われた対象によって大きく、
 「人物」の喪失、「所有物」の喪失、「環境」の喪失、「身体の一部」の喪失、「目標や自己イメージ」の喪失
 の喪失の5つに分類される。

・日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団の2018年度の調査
 配偶者より先に死にたいか、後に死にたいかについても問うている。
 既婚者694人のおよそ3人に2人が、「自分が先に死にたい」と回答した。特に男性で割合が高く、男性が約8割であったのに対し、女性は約半数にとどまっていた。

・英国の精神科医ジョン・ボウビィが築いた愛着理論によると、悲嘆は本質的には「分離不安」であると捉えられる。

・悲嘆とうつ病の違い
 ①悲嘆で優勢な感情は空虚感と喪失感であり、うつ病では持続的なうつ気分と、幸福や喜びを期待することができないことである。
 ②悲嘆においては自尊心は一般的に維持される一方、うつ病では「自分は価値のない人間だ或る」などといった無価値感や自己嫌悪がよくみられる。

・カリフォルニアの夫婦1万2522組を対象とした23年間の追跡調査の結果によると、死別から7~12か月時点の死亡リスクは、配偶者が健在の人に比べ、もともと健康に問題があった男性で1.56倍、健康上の問題がほとんどなかった男性では2.12倍であった。つまり、妻の生前にいたって健康であった男性のほうが、妻を亡くしてから体調を崩し、死に至る危険性が高まることを示している。

・現在の日本では自殺者やその遺族に対して、恥や汚名を浴びせ、スティグマ化する風潮が依然として残っており、遺族みずからもこのような社会的態度を内面化し、恥辱感抱くかもしれない。

・喪失と向き合うために必要なこと
 ①落ちこむのは当然
 ②向き合い方に正解はない
 ③自然に従えばいい
 ④あせらなくていい
 ⑤自分をゆるす
 ⑥人に頼ってみる
 ⑦身体を休める
 ⑧あきらめるとみえてくる
 ⑨気持ちを言葉にする
 ⑩思い出を大切にする
 ⑪後ろ向きのままでもいい
 ⑫自分のための時間をつくる
 ⑬やるべきことリストが助けになる
 ⑭物事の良い側面に目を向ける
 ⑮体験者同士でつながる
 ⑯相談サービスを利用してみる
 ⑰求められるグリーフケア
 最後に、支える側も、自分の心と身体をいたわってもらいたい。深刻な悲嘆を抱えた人に接することは、ときに大きな精神的疲労をもたらす。話す言葉一つ一つに耳を傾けるうちに、相手の感情に巻きこまれ、気持ちが大きく揺さぶられることもある。精神的な負担を十分に認識し、みずからの心と身体と意識的にいたわることが必要である。当事者への対応を、自分ひとりで背負いこまないことが大切である。

・「これからどうやって生きていけばよいのかわからない。何もする気がしない」
「前向きにならないといけないとは思っているけど、それができない」
「誘ってくれる人はいるが、外に出かける気分でない」
 大切なものを失ったときに、このような深く落ち込み、何事にも無気力になることは自然である。身を切るような悲しみや、湧きあがる怒り、言葉にできない苦しみもあるだろう。自分の人生が終わったように感じ、先のみえない絶望感に、生きていても仕方がないと思うことさえある。自分でも驚くほど落ち込み、制御できないくらいの感情を抱くのは決しておかしなことではない。失ったものが、自分が意識していたよりもずっと大事なものであった証である。

・谷川俊太郎『そのあと』
 そのあとがある/大切なひとを失ったあと/もうあとはないと思ったあと/すべてが終わったと知ったあとにも/終わらないその後がある
 その後は一筋に/霧の中へ消えている/そのあとは限りなく/青くひろがっている
 そのあとがある/世界 そして/ひとりひとりの心に

・オランダのユトレヒト大学教授のマーガレット・S・シュトレーベらによって適された二重過程モデルでは、喪失自体への対処は「喪失志向コーピング」、喪失にともなう日常生活や人生の変化への対処は「回復志向コーピング」とよばれている。二重過程モデルは、死別に関する理論として紹介されることが多いが、死別だけでなく喪失全般に適用することができる。

旧約聖書・伝道の書3章1節に、「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある」という章句がある。人生の物語において、思いもよらぬ重大な喪失に遭遇し、今は悲しみのときかもしれないが、やがて物語には違う局面がおとずれるはずである。

・レジリエンスの要素の一つに「未来志向」がある。重大な喪失に向き合うにあたって必要なことは、物事はそのうちうまく行く由生になるとの信念である。そのうえで、自分のことをよく知り、努力によって道を切り拓いていくことが望まれる。ともすれば「自分には何もできない」との無力感に陥りがちだが、自分にできることを模索し、できることを増やしていくことが自己肯定感や生きる希望につながるであろう。

 人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなく、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。<中略>すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、我々自身が問われた者として体験されるのである。
 失ったものの大きさを前に、「人生にもう何も期待できない」と絶望の淵に沈む人もいるだろうが、フランクルによると、あなたを必要とする何か、あなたを必要とする誰かがあなたを待っているという人生が提起する問いに、私たちは答えていかなければならないという。
 喪失後の人生をどのように生きるかについて、一つの用意された答えがあるわけではない。どのような生き方をしていくのかが、私たち一人ひとりに問われているのである。

・重大な喪失に直面し、苦難の道のりを歩んできた人は、自信の喪失経験をもとに次世代のために貢献することができる。・・・こうした社会的な活動は、他者のためであると同時に、「自分が必要とされている」という自公肯定感を高めることにもなるであろう。
(喪失時の辛さは濁りで表現し、時間の経過とともに、それは底に沈むが何かのきっかけでまた濁る。喪失の辛さは消えないことを表現)
(子どもが生きていた場合は真っすぐの線、しかし実際はカーブしている人生だが、常に子どもが生きていたらを見ている。実際の人生を見ていない)

(喪失した悲しみの大きさは変わらない、欠けたままだが、他を大きくすることで、喪失の大きさを相対的に小さくする)

・作家の三浦綾子氏、著書『続 氷点』のなかで、「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」というフランスの聖職者の言葉を紹介している。

・ジョン・レノンのシングルのなかに、“What You Got”と題する楽曲がある。邦題はないが、直訳すれば、「あなたが持っていたもの」となる。そして、この曲では、“You don’t know what you got, until you lose it”というフレーズがくり返される。直訳は、「失うまで、あなたが持っていたものをあなたは知らない」である。言い換えれば、「失って初めて、自分の大切なものに気づく」である。・・・
 「失う前にその大切さをわかっていたら、失わずにすんだかもしれない」という場合もあるだろう。・・・先ほどの極も、「もう一度チャンスをおくれ」というフレーズで締めくくられている。

・ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーは、人間を「死への存在」として捉え、死という有限性を自覚したとき、人は限られた時間を有意義に過ごすことができると論じている。

・喪失体験に関する10の問い
 ①あなたは人生のなかで、これまでどのような大切なものを失ってきましたか?
 ②あなたにとって、喪失の影響が特に大きかったのは、どの喪失体験でしたか?
 ③重大な喪失体験は、あなたにどのような影響を及ぼしましたか?
 ④重大な喪失体験の影響の種類や強さは、時間の経過とともにどのように変化しましたか?
 ⑤あなたはこれまでの重大な喪失体験についてどのように対応してきましたか?
 ⑥失った対象があなたに与えてくれたものは何ですか?
 ⑦重大な喪失体験を通じて、得たことや学んだことはありますか?
 ⑧いつかは失うかもしれないけど、今はまだあなたが失っていないものはなんですか?
 ⑨あなたが今、絶対に失いたくないものは何ですか?
 ⑩将来、大切な何かを失うことを見据えて、あなたが今できることは何ですか?


感想
喪失学」という学問があることを知らなかったです。
喪失学を知ることで、これからの人生に何か役立ちそうに思いました。
 また紹介されている多くの言葉は力になるように思いました。

 坂下裕子さんの喪失に関するイメージ図は喪失を考える上で、喪失の本質をより分かりやすく理解できたように思います。
 坂下さんは娘さんを病気で亡くし、このグリーフケア活動を始められました。
 「時薬」とよく言われますが、まさに坂下裕子さんのイメージ図がそれを示しているようです。
 時間が癒してくれるのではなく、人生を一歩一歩歩むと、それが結果として「時薬」になっているのでしょう。喪失時にそれは分かりません。また一歩一歩前を向いてできることをしたからこそ、「時薬」になるように思いました。

 今あるものに感謝する気持ちを忘れないことなのでしょう。
ついないものばかり見て、愚痴をこぼしがちになりますが、それよりも今あるものを大切にして生かすことで人生が豊かにより意味あるものになって行くのでしょう。
 ないものをばかり見て、あるものを見ない。そしてあるものを失くしてその大きさを嘆きがちです。
 失くしたものも人生からの問いかけと考え、一歩一歩前を向いてやっていくと、そして振り返ると多くの人の助けになっていたりするのでしょう。それは視点を変えれば、喪失があったから生み出すことのできた価値になります。

 自分の描いた人生ではない人生かもしれませんが、この人生も良いかなと思えると良いですね。
 亡くしたことで、得た出会いを生かすと、亡くした人が命をかけて与えてくれたプレゼントなのかもしれません。
 プレゼントに出来るかどうかは、考え方と行動なのでしょう。一人で歩むのは心細いですが、仲間がいると、理解してくれる人がいると心強いですね。

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