英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

電王戦雑感 その7「棋力」【終】

2014-05-01 22:13:17 | 将棋
 棋士が敗れた4局に共通する勝負の感触は、優位、あるいは、指しやすさを感じる序盤。中盤、読みにない手を指され指し手に小さな破綻が生じ、がんばるものの持ちこたえられなくなり、敗北。

 どうしても棋士に感情移入して将棋を見てしまうが、普段なら犯さないようなミス(見落としや疑問手)が出てしまった。
 これは、平時とは違う対局場・対局者(電王手くん)、1手も間違えられないプレッシャーによる消耗が激しかったことによるものではないだろうか。


 「棋力」=「勝利する力(勝利力)」とするなら、今回敗れた4棋士は「棋力」(勝利力)において劣っていたと言わざるを得ない。
 柔道を例にすると、技を多く出し、相手の体勢を崩すが「有効」までの技しか決めることはできない(「有効」を何本取っても「技あり」一つには及ばない)。このまま試合が終われば勝てるのだが、徐々に疲労し、体勢的にも追い込まれていく。そして、耐え切れず技を決められ、「技あり」や「一本」を取られ、敗れ去る。
 そんな試合経過を、電王戦を見て思い浮かべてしまった。屋敷九段を例にとるのは申し訳ないが、▲8一成香が敗着となったが、ここで正着を指しても、最後には敗れてしまうように思ってしまう。

 では、「棋力」=「将棋を解析する能力(解析力)」と考えるのはどうだろうか。「継盤あり、秒読み1手15分」という森下九段の提唱した案は、なりふり構わぬ提案だ。見栄えの悪い対局姿である。≪棋士のプライドとしてはどうなのか≫と思うが、≪将棋は棋士の方が理解している≫≪ミスがなければ勝てる≫という対局しての感触だったのだろう。
 今回の森下九段は対コンピュータソフトの準備や、勝負に対する必死度が足りなかったように感じるが、心に思ったことをストレートに言葉に出す方である。

 菅井五段は、提供されたソフトで持ち時間1~5時間で192局指し95勝97敗。練習ではほぼ互角だった。しかし、本番では完敗といって良い内容だった。練習では「勝利力」は互角だったが、本番ではプレッシャーに負けてしまった。
 渡辺二冠の言葉「ミスのないコンピュータ相手だと、その1回が許されない。その緊張感が夜まで続くかどうか」というプレッシャーの上、異常とも言える対局環境(だだっ広いコロシアムに対局者だけ、しかも、初見の“電脳手くん”)。その上、練習では一度も刺されたこともない手を指されては動揺しないはずはない。

 今回、コンピュータ将棋に棋士は敗れ去った。
 しかし、「解析力」云々はこの際置いておき、「棋力(勝負力)」としてコンピュータは棋士を凌駕したのだろうか。
 昨期A級の屋敷九段、通算勝率.724を誇る菅井五段が、力負けした。屋敷九段より強い棋士はそう多くない。今回の条件で、氏より強い棋士を電王戦に揃えても勝てるとは言い難い。
 が、妄想と言われるかもしれないが、まだ、棋士の方が上だと思いたい。

 (以下は、突っ込まないでほしい)
 羽生三冠はこの3年間、A級順位戦25勝2敗、.926である。相手、全員A級である。
 三浦九段(第2回電王戦大将)に直近で22勝2敗、屋敷九段に19勝2敗(14連勝中)と圧倒している。
 この羽生三冠を名人戦で連続3期しりぞけている森内竜王・名人、絶好調と思われる羽生三冠に王将戦で4勝3敗で競り勝った渡辺二冠。おいそれとは、コンピュータに名を成さしめるとは思えないのである。

 
コメント (2)
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