――『クローズアップ現代』(7月20日放送)の中での3つ目の案件 ――
諸外国ではマスク着用義務が解除、観戦後の隔離期間の短縮 など制限の緩和が進んでいるが、亡くなる人も多いという状態も続いている
日本の方向性は?(新型コロナウイルスを“一疾病”扱いにするのか?)
番組では、各分野の専門家が意見を述べていた
大竹文雄氏(大阪大学 特任教授)
①隔離期間の短縮(感染者、濃厚接触者)
・これだけ感染者が増えてきているので、短縮しないと社会経済活動や医療機関も維持できない
・重症化リスクが低いのであれば、できる限り、隔離を短く、行動制限を小さくする
②全数把握をやめる
・かなり多くの人が軽症あるいは無症状なので、そういう人たちまで国が管理するのは大変である
坂本史衣氏(聖路加国際病院 感染管理室マネージャー)
法律上の分類を変えても病気の性質は変わらない。
オミクロンはそれ以前の変異株より軽症だが、第6波の3か月間で一万人以上が亡くなったというのも、また事実。
《新型コロナウイルスが引き起こす症状の辛さ》《広がりやすさ》《合併症、後遺症といった長期的な影響》《それを治療したり予防したりする手段の手軽さとか選択枝》、こういったものを考えると、今現在は風邪やインフルエンザと同等とは言えない段階である
もし今、対策を緩和するということであれば、それによってどれくらいの人が重症化して亡くなるのか、また、医療体制が維持できるのか?そういった結果(予測)をまず示すこと、そして、それを受け入れるのか否か、方針を国が明確にするのが大事
冷静に論理的に施行する人のように感じる。尾身氏に代わって分科会の会長を引き受けていただきたい。
藤谷茂樹氏(聖マリアンナ医科大学病院 医師)
医療体制の構築
①医療体制をひっ迫させない
医療体制がうまく回れば、経済活動を活性化させることもでき、それが“一疾病”に繋がる
具体的には、ベッドコントロールをどのようにしてベッドを回転させていくか、また病床の確保をきちんと体系的に行っていくこと
高齢者をいかに守っていくか?…高齢者や基礎疾患のある患者に接する時は、家族を含めて感染予防をしっかり守っていけば、一疾病に繋がっていく
②ベッドコントロール
病棟単位でゾーニングしていたが、病床単位で行う。よりインフルエンザ等と近い形に徐々に対応をしていく
(分科会でも議論され、それが明記された。厚労省からも通達。あとは医療機関の対応
【私見】藤谷氏の主張は机上の空論で、すでに医療はひっ迫している。病床ごとのゾーニングも、「BA.5」の感染力の強さを考えると無理であろう。
(最後に、尾身会長の説明を挙げておく)
「コロナを“一疾病”に」の意味は?
【尾身会長】
オミクロン株になって、感染の伝ぱの速度は非常に速いですが、感染しても多くの人が軽症であることもわかってきた。
感染がどのようにして起こるかも含めて、この病気に対する理解が深まりました。完璧ではないけれどもワクチン接種率も上がってきた。当初、情報が限られていたので、人々の生命を守るために厳格にやる方向になってきましたが、いろんなことがわかってきて少し弾力的にやる必要が出てきた。
今のオミクロン株の実態と、求められる対応が少しかい離してきているので、そこを埋める必要がある。社会経済のいろんなところに無理がきて、人々に不必要な負担をかけることもあるので、少しそのギャップを埋めるということで、普通の疾患になる方向に少しずつ変化したほうがいいのではないかということです。
「コロナを5類に」ありきではない(「感染症法上の扱いを「2類相当」から「5類」に変えていくということか?」に対する説明)
【尾身会長】
本来厳格な対応をしていたけど、これまでやってきた対応と、オミクロン株の実情に合わせて求められる対策とのあいだにかい離があると申し上げました。
私は、そのかい離を少しずつ埋めるために、どんな変更が必要か、どんな新たな対応が求められるか、十分議論する必要があると思います。どのようなギャップの埋め方をすれば、いちばん適切な対応になるかという議論をしっかりすべきです。
「2類相当か5類か」を最初に決めるのではなくて、どのようなギャップの埋め方をすれば、いちばん適切な対応になるかという議論をしっかりすべきです。全数報告するかどうか、健康観察をするかどうかなど、法律の実態的な運用という意味では徐々に5類に少しずつ近づいていることは現実にあると思います。
今ただちに、5類にすると断定的に決めた場合、「すべて個人の責任で対処してくださいよ」ということになる。たとえば、いま、感染してもいろんな費用は個人負担はないわけですね。
しかし、5類になると、自分で費用を捻出することになる。そういうこともあるので、しっかりと、法律はどういうことか、何がそのギャップを埋めるために求められるかの議論をみんなでしっかりすることが大事だと思います。
コロナを“一疾病”として扱うために必要な条件は?
【尾身会長】
“一疾病”になるためには、医療体制も少しずつアジャスト(調整)しなければいけないので急にはできません。きょう決めて、あすできるわけではない。
やや中・長期のスパンで見ると、文字どおり本当の意味で“普通の疾患”になるために必要なのは、インフルエンザと同じように、ワクチンがあるだけではなくて、感染した場合、すぐにでも一般の人がアクセスできる治療薬、安価で、簡単にアクセスできる治療薬が出てくることが重要な条件の1つだと私は思います。
※番組上では、尾身氏の言葉は文脈がおかしく、意味不明(分かりにくい)のモノが多かった。
上記の3氏と同じ論旨のようだが、番組での氏の言葉は、文脈がブレるというか…分かりにくかった。あくまで、個人的な印象だが、分科会などで、3氏あるいは3氏と同機関・同団体に所属する専門家の意見を聞き、それを参考にして説明していたように感じた。
分かりにくい尾身氏のコメントの例(番組での尾身氏の言葉)
「社会経済、マスクのことも含めて、急激に開放した国は、ワクチンの接種率なんか日本と同じようにかなり高いんですけど、死亡者だとか入院者の数が今まで日本より少なかったのが、日本よりもぐうっと多くて、対策はしっかりやりながら社会を少しずつ動かすというそのバランスの取れた1か0かというんじゃなくて、そういう方法が日本は求められているのではないか」
その場で質問に答えるという状況なので、きちんと主語述語が合致しないとか、1文が長くなるのは仕方がないと思うが、後半部分は、言葉を抜かしたり、説明が飛んだり、抽象的な表現になったりして、何を言っているのか分からない。
諸外国ではマスク着用義務が解除、観戦後の隔離期間の短縮 など制限の緩和が進んでいるが、亡くなる人も多いという状態も続いている
日本の方向性は?(新型コロナウイルスを“一疾病”扱いにするのか?)
番組では、各分野の専門家が意見を述べていた
大竹文雄氏(大阪大学 特任教授)
①隔離期間の短縮(感染者、濃厚接触者)
・これだけ感染者が増えてきているので、短縮しないと社会経済活動や医療機関も維持できない
・重症化リスクが低いのであれば、できる限り、隔離を短く、行動制限を小さくする
②全数把握をやめる
・かなり多くの人が軽症あるいは無症状なので、そういう人たちまで国が管理するのは大変である
坂本史衣氏(聖路加国際病院 感染管理室マネージャー)
法律上の分類を変えても病気の性質は変わらない。
オミクロンはそれ以前の変異株より軽症だが、第6波の3か月間で一万人以上が亡くなったというのも、また事実。
《新型コロナウイルスが引き起こす症状の辛さ》《広がりやすさ》《合併症、後遺症といった長期的な影響》《それを治療したり予防したりする手段の手軽さとか選択枝》、こういったものを考えると、今現在は風邪やインフルエンザと同等とは言えない段階である
もし今、対策を緩和するということであれば、それによってどれくらいの人が重症化して亡くなるのか、また、医療体制が維持できるのか?そういった結果(予測)をまず示すこと、そして、それを受け入れるのか否か、方針を国が明確にするのが大事
冷静に論理的に施行する人のように感じる。尾身氏に代わって分科会の会長を引き受けていただきたい。
藤谷茂樹氏(聖マリアンナ医科大学病院 医師)
医療体制の構築
①医療体制をひっ迫させない
医療体制がうまく回れば、経済活動を活性化させることもでき、それが“一疾病”に繋がる
具体的には、ベッドコントロールをどのようにしてベッドを回転させていくか、また病床の確保をきちんと体系的に行っていくこと
高齢者をいかに守っていくか?…高齢者や基礎疾患のある患者に接する時は、家族を含めて感染予防をしっかり守っていけば、一疾病に繋がっていく
②ベッドコントロール
病棟単位でゾーニングしていたが、病床単位で行う。よりインフルエンザ等と近い形に徐々に対応をしていく
(分科会でも議論され、それが明記された。厚労省からも通達。あとは医療機関の対応
【私見】藤谷氏の主張は机上の空論で、すでに医療はひっ迫している。病床ごとのゾーニングも、「BA.5」の感染力の強さを考えると無理であろう。
(最後に、尾身会長の説明を挙げておく)
「コロナを“一疾病”に」の意味は?
【尾身会長】
オミクロン株になって、感染の伝ぱの速度は非常に速いですが、感染しても多くの人が軽症であることもわかってきた。
感染がどのようにして起こるかも含めて、この病気に対する理解が深まりました。完璧ではないけれどもワクチン接種率も上がってきた。当初、情報が限られていたので、人々の生命を守るために厳格にやる方向になってきましたが、いろんなことがわかってきて少し弾力的にやる必要が出てきた。
今のオミクロン株の実態と、求められる対応が少しかい離してきているので、そこを埋める必要がある。社会経済のいろんなところに無理がきて、人々に不必要な負担をかけることもあるので、少しそのギャップを埋めるということで、普通の疾患になる方向に少しずつ変化したほうがいいのではないかということです。
「コロナを5類に」ありきではない(「感染症法上の扱いを「2類相当」から「5類」に変えていくということか?」に対する説明)
【尾身会長】
本来厳格な対応をしていたけど、これまでやってきた対応と、オミクロン株の実情に合わせて求められる対策とのあいだにかい離があると申し上げました。
私は、そのかい離を少しずつ埋めるために、どんな変更が必要か、どんな新たな対応が求められるか、十分議論する必要があると思います。どのようなギャップの埋め方をすれば、いちばん適切な対応になるかという議論をしっかりすべきです。
「2類相当か5類か」を最初に決めるのではなくて、どのようなギャップの埋め方をすれば、いちばん適切な対応になるかという議論をしっかりすべきです。全数報告するかどうか、健康観察をするかどうかなど、法律の実態的な運用という意味では徐々に5類に少しずつ近づいていることは現実にあると思います。
今ただちに、5類にすると断定的に決めた場合、「すべて個人の責任で対処してくださいよ」ということになる。たとえば、いま、感染してもいろんな費用は個人負担はないわけですね。
しかし、5類になると、自分で費用を捻出することになる。そういうこともあるので、しっかりと、法律はどういうことか、何がそのギャップを埋めるために求められるかの議論をみんなでしっかりすることが大事だと思います。
コロナを“一疾病”として扱うために必要な条件は?
【尾身会長】
“一疾病”になるためには、医療体制も少しずつアジャスト(調整)しなければいけないので急にはできません。きょう決めて、あすできるわけではない。
やや中・長期のスパンで見ると、文字どおり本当の意味で“普通の疾患”になるために必要なのは、インフルエンザと同じように、ワクチンがあるだけではなくて、感染した場合、すぐにでも一般の人がアクセスできる治療薬、安価で、簡単にアクセスできる治療薬が出てくることが重要な条件の1つだと私は思います。
※番組上では、尾身氏の言葉は文脈がおかしく、意味不明(分かりにくい)のモノが多かった。
上記の3氏と同じ論旨のようだが、番組での氏の言葉は、文脈がブレるというか…分かりにくかった。あくまで、個人的な印象だが、分科会などで、3氏あるいは3氏と同機関・同団体に所属する専門家の意見を聞き、それを参考にして説明していたように感じた。
分かりにくい尾身氏のコメントの例(番組での尾身氏の言葉)
「社会経済、マスクのことも含めて、急激に開放した国は、ワクチンの接種率なんか日本と同じようにかなり高いんですけど、死亡者だとか入院者の数が今まで日本より少なかったのが、日本よりもぐうっと多くて、対策はしっかりやりながら社会を少しずつ動かすというそのバランスの取れた1か0かというんじゃなくて、そういう方法が日本は求められているのではないか」
その場で質問に答えるという状況なので、きちんと主語述語が合致しないとか、1文が長くなるのは仕方がないと思うが、後半部分は、言葉を抜かしたり、説明が飛んだり、抽象的な表現になったりして、何を言っているのか分からない。
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