英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

NHK杯将棋トーナメント 松尾七段×丸山九段戦 その2

2014-11-24 11:38:56 | 将棋
本日、既に「畠山鎮七段×熊坂五段」が放映され、旬を過ぎてしまいましたが(一週間が早過ぎます)
「NHK杯将棋トーナメント 松尾七段×丸山九段戦 その1」の続きです。


 第5図は後手の丸山九段が2三に馬を引いたところ。先手の松尾七段の▲6六歩~▲6七銀の動きに呼応した指し手と思われたが、ある狙いを秘めていた。
 第5図より▲6七銀に△6二金寄!(第6図)

 そう、次に△5一飛と引いて馬を追い詰めるのである。馬を助けるには▲1二香しかないが、全く働きのない香を打つのは耐えられない。
 なので、飛車を引かれる前に▲2二香と打つ手が考えられるが、歩を打っても同じ効果なので、香を打つのは抵抗が大きい。
 実戦も、▲2五歩△同歩▲4五歩とアヤを付けておいて、△5一飛に

▲3三馬と馬を切った。しかし、駒損の代償がほとんどない……というより、飛車も捌けず、玉の堅さも劣り、5筋の歩も謝らされているなどマイナス点の方が多く、この後は、丸山九段の着実な指し回しに、勝機をまったく見出せなかった。


 しかし、実は第5図の2手前の△7四歩が問題の一手で、この手自体は先手の桂頭を攻めを見た急所の手だが、馬の捕獲と関連がないうえ、玉のコビンを開けるマイナスもあり、疑問に感じた。実際、丸山九段も感想戦で、「一貫性がなかった」と△7四歩を後悔していた。
 実際、第5図から▲2二香と打つ手は有力だったようだ。
 あらかじめ香を打たれると、飛車を一段目に引いても▲2一香成で馬取りは受かるうえ、成香や馬を2二に引く手も生じるので、△5二飛と二段目に引いておき、△5三銀と飛車を二段目に利かせて馬の動きを抑制する方が有効である。
 ところが、▲2二香△5二飛▲2一香成△5三銀に▲3五歩(変化図2)と突いておかれると

▲2二香と暴れる手が成立しそうだ。玉のコビンが開いているのと、2二で清算した後に▲3四歩と突く手が厳しいので、完全に受けきることはできない。馬を苛めるのなら、△7四歩は不要だったのだ。
 松尾七段は、△6二金寄とされて狙いに気づき、NHK杯としては長考に沈んだのだが、▲2二香も見えなかったようだ。この日の松尾七段は冴えなかった。対して、丸山九段の慎重さ(感想戦でいろいろな筋に気を配っていいることが分かった)を改めて感じた。


 さて、ここからが本題。
★解説者・高橋九段の“えへえへ”、“あはあは”笑い
 高橋九段の将棋は、読みの踏み込み深いが、慎重。まず玉の安全度を重視し、戦いながら玉を固めるのが得意。“固める”と表記したが、相対的に玉の安全度を高めるのに長けていると表現したほうが良いのかもしれない。思い出すのは2010年度A級順位戦最終局の対藤井九段戦。

 角交換四間飛車の後手藤井九段に仕掛けの周辺でやや誤算があり、△1五歩と飛車の捌きの▲1六飛を防ぐ辛抱をした局面。やや先手の高橋九段が良いようだが、まだまだこれからと思われていた。しかし、ここからの3手が渋かった。
 ▲1九歩△同馬▲2八歩!

 ▲1九歩の角取りに是非もない△1九同馬。
 馬を呼び込んでおいて▲2八歩!……これで後手の馬と角を封じ込めてしまった。
 以下、藤井九段は△3四桂と飛車を取りに行ったが、高橋九段は見向きもせず後手玉に迫り

 いくばくもなく藤井九段を投了に追い込んだ。

 最終局に敗れた藤井九段は無念の降級。上図の後手の馬角桂桂の“置き去り感”が痛々しかった。
 高橋九段は5勝4敗で3位を確保。前期の2位に続いて堂々たる成績。高橋九段は当時“新人類”と言われた『55年組』の一人。(中村九段、南九段、島九段、塚田九段らとともに、タイトルを奪取して、谷川名人を筆頭として新時代突入を思わせていた)
 高橋九段はどちらかというと、敗局後や対局前にはピリピリとしたものを感じさせる前世代の趣があったが、私生活ではテニス愛好者でプレー姿も将棋誌で紹介されたこともあり、漫画・アニメなども好きという現代性も見せていた。
(私の主観、偏見かもしれないが、聞き手の女流棋士が可愛いと機嫌が良いように感じる)
 それはともかく、解説者の立場だと対局者としての勝ちやすさ優先がなくなるので、さらに正確な形勢判断や読みが生かされ、解説の質は高い。
 しかし、“照れ”があるのか、解説の度に「えへえへ」「あはあは」などの照れ笑いが頻発。せっかくの解説が、非常に聞き苦しい。残念である。


★丸山九段について
 解説中の高橋九段が丸山九段について
「プロですよね、ふぇっはは、ほぉほ…もう、すべての行動が」
「行動すべてが、徹底していますよね。………学ばなくてはいけないプロも多い後輩と…ふぉほほ…」
(「たとえば、どういうところに?」清水女流の問いに)
「彼ね、意外と対局以外の仕事って受けないです。あまり解説とか少ないんですよね。イベントとはね」
「ファンの方に聞いたら、“もうちょっと姿、見たい”と言う人がいたんですけど」
「本人が断っている姿、見たことあるんですけど…おぅほほ」
「対局最重点主義、他のことはやらない。徹底しているんですよ」
「(普段は)明るくてね、よくしゃべってね…」
 “見習わないと”と言いつつ、批判のニュアンスである。

 こういった丸山九段の対局重点主義については、観戦記者も記していた。
 観戦記を書くに当たって、分からない変化があったので後日、丸山九段に尋ねたところ、「その手は指さないから、(解説しても)意味がない」(←大意)と、語らなかったと記していた。
 本人にとって意味がない変化でも、観戦記としては重要だと判断して聞いているのだから、対局者としてそれにこたえるのは義務に近いと思うのだが、どうなのだろう?(序盤の作戦的なことなら極秘事項もあるかもしれないが、確か、終盤だったと思う。ちょっと、記憶があいまい)

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