Ⅰ.三木城・別所氏、降伏
“村重効果”であっさり。
官兵衛との因縁が深い小寺政職の件があるので、こちらがあっさりとなるのは致し方なしか。
個人的には、長治の伯父・吉親(ベンガル)を懲らしめてほしかった。
『Wikipedia』によると
「秀吉から長治に降伏の引き換えに長治とその弟・友之、そして吉親ら3人の切腹で城兵を助けるという旨を伝えられた。しかし、吉親は反対し、あくまで城に火をつけて信長に首を渡さずに自らの体を灰にしてしまうと言い、自分の家を放火してしまった。これを見て激怒した城兵に殺されて、首は安土に運ばれてしまった」とある。
Ⅱ.御着城・小寺政職、逃亡、捕縛
“腰ぎんちゃく”その1……政職にさっさと見切りをつけ、職隆に息子助命を懇願
“腰ぎんちゃく”その2……政職に自害を勧めるが、拒否され、「斎(政職の息子)の助命を願うつもりであったのに」と漏らし、「今までよくぞこのような主君に仕えてきたものよ。生涯の不覚」と毒を吐く。
これには、多くの視聴者が「それを、お前が言うか」と突っ込んだとことだろう。
まさに、『目糞、鼻糞を笑う(見限る)』状態。
この腰ぎんちゃく二人組も、成敗してほしかった。
小寺親子は逃走したが、捕縛。
職隆に詫びるどころか、この期に及んでも主君振る。職隆が、怒り心頭、わなわなと刀に手を掛けたところで、官兵衛登場。
恥も外聞もなく命乞いする政職を斬れず、逃がしてしまう(詳しくは後述)
Ⅲ.石山本願寺と和睦、佐久間信盛は追放
佐久間信盛は、織田家内紛時も信長につかえていた古参の家臣。
しかし、「無能なものは無用」と追放する。
信長の非情さを示す出来事だが、先代から仕える古参の立場に胡坐をかき、怠慢さが目立っていたという事実もあり、氏の追放は信長の非情さだけによるものではなかったようだ。
Ⅳ.黒田官兵衛、大名に
これまでの働きが認められ、ついに1万石の大名となった。
これを機に、旗(家紋)を藤の花に、決意を語る(詳しくは、後述)
今週のテーマは
「官兵衛は、官兵衛じゃ」(by秀吉)
「我が殿は、我が殿」(by光)
先週は長きに亘る幽閉により心身ともに深手を負った官兵衛が立ち直るさまを描いたが、
今週は、官兵衛らしさの復活が主題であった
三木城攻略の際は、その手際の良さや冷静さに、「非情さ」さえ感じられた。
これは、半兵衛の分まで働かなければという、気負いからくるものであった。
命乞いする小寺政職を斬ることはできなかった。
己の甘さを反省する官兵衛だが、その甘さは「官兵衛らしくてよい」と秀吉や光に励まされる(認められる)。
あれだけの目に遭いながらも、政職を斬らないのは、主人公ゆえの立派さで、作り過ぎという気もするが、「主人公だから魅力的に」という志向は良いんじゃないかと思う。
実際に、政職は落ち延びたらしい。(捕縛され、官兵衛が許すというのはドラマならではの話だと思う)
「官兵衛は官兵衛らしく生きろ」というメッセージには、非常に共感できた。
しかし、家紋云々の話は、必要あったのかなぁ……
それより、腰ぎんちゃく二人とベンガルを………
一応、家紋(藤の花)に籠めた決意の説明
「心に刻み込まれた藤の花」
「友人、家臣、恩人の死を見てきた……
………死あればこそ、命は重く、尊い」
「命の重みを噛みしめ、ともに力強く生き抜いていくのだ!」 などなど……
【ストーリー】番組サイトより
播磨の反信長勢力は勢いを失い、残るは御着城の小寺政職と三木城の別所氏のみとなった。官兵衛は三木城を見事開城させるが、人が変わったようなその冷徹さに秀吉らは驚く。
一方、政職は城を放棄し逃げ出すが、善助ら黒田家臣団に捕らえられる。かつて官兵衛を裏切り幽閉へと追い込んだ張本人・政職に怒りをあらわにする黒田家の家臣たち。しかし官兵衛は、政職を斬ることができずに逃がしてしまう。情を捨てきれなかったことを悔いる官兵衛だが、秀吉はその姿に官兵衛らしさを感じ安堵する。
その後、ようやく播磨を平定した秀吉たち。官兵衛はこれまでの働きが認められ、ついに1万石の大名となった。
“村重効果”であっさり。
官兵衛との因縁が深い小寺政職の件があるので、こちらがあっさりとなるのは致し方なしか。
個人的には、長治の伯父・吉親(ベンガル)を懲らしめてほしかった。
『Wikipedia』によると
「秀吉から長治に降伏の引き換えに長治とその弟・友之、そして吉親ら3人の切腹で城兵を助けるという旨を伝えられた。しかし、吉親は反対し、あくまで城に火をつけて信長に首を渡さずに自らの体を灰にしてしまうと言い、自分の家を放火してしまった。これを見て激怒した城兵に殺されて、首は安土に運ばれてしまった」とある。
Ⅱ.御着城・小寺政職、逃亡、捕縛
“腰ぎんちゃく”その1……政職にさっさと見切りをつけ、職隆に息子助命を懇願
“腰ぎんちゃく”その2……政職に自害を勧めるが、拒否され、「斎(政職の息子)の助命を願うつもりであったのに」と漏らし、「今までよくぞこのような主君に仕えてきたものよ。生涯の不覚」と毒を吐く。
これには、多くの視聴者が「それを、お前が言うか」と突っ込んだとことだろう。
まさに、『目糞、鼻糞を笑う(見限る)』状態。
この腰ぎんちゃく二人組も、成敗してほしかった。
小寺親子は逃走したが、捕縛。
職隆に詫びるどころか、この期に及んでも主君振る。職隆が、怒り心頭、わなわなと刀に手を掛けたところで、官兵衛登場。
恥も外聞もなく命乞いする政職を斬れず、逃がしてしまう(詳しくは後述)
Ⅲ.石山本願寺と和睦、佐久間信盛は追放
佐久間信盛は、織田家内紛時も信長につかえていた古参の家臣。
しかし、「無能なものは無用」と追放する。
信長の非情さを示す出来事だが、先代から仕える古参の立場に胡坐をかき、怠慢さが目立っていたという事実もあり、氏の追放は信長の非情さだけによるものではなかったようだ。
Ⅳ.黒田官兵衛、大名に
これまでの働きが認められ、ついに1万石の大名となった。
これを機に、旗(家紋)を藤の花に、決意を語る(詳しくは、後述)
今週のテーマは
「官兵衛は、官兵衛じゃ」(by秀吉)
「我が殿は、我が殿」(by光)
先週は長きに亘る幽閉により心身ともに深手を負った官兵衛が立ち直るさまを描いたが、
今週は、官兵衛らしさの復活が主題であった
三木城攻略の際は、その手際の良さや冷静さに、「非情さ」さえ感じられた。
これは、半兵衛の分まで働かなければという、気負いからくるものであった。
命乞いする小寺政職を斬ることはできなかった。
己の甘さを反省する官兵衛だが、その甘さは「官兵衛らしくてよい」と秀吉や光に励まされる(認められる)。
あれだけの目に遭いながらも、政職を斬らないのは、主人公ゆえの立派さで、作り過ぎという気もするが、「主人公だから魅力的に」という志向は良いんじゃないかと思う。
実際に、政職は落ち延びたらしい。(捕縛され、官兵衛が許すというのはドラマならではの話だと思う)
「官兵衛は官兵衛らしく生きろ」というメッセージには、非常に共感できた。
しかし、家紋云々の話は、必要あったのかなぁ……
それより、腰ぎんちゃく二人とベンガルを………
一応、家紋(藤の花)に籠めた決意の説明
「心に刻み込まれた藤の花」
「友人、家臣、恩人の死を見てきた……
………死あればこそ、命は重く、尊い」
「命の重みを噛みしめ、ともに力強く生き抜いていくのだ!」 などなど……
【ストーリー】番組サイトより
播磨の反信長勢力は勢いを失い、残るは御着城の小寺政職と三木城の別所氏のみとなった。官兵衛は三木城を見事開城させるが、人が変わったようなその冷徹さに秀吉らは驚く。
一方、政職は城を放棄し逃げ出すが、善助ら黒田家臣団に捕らえられる。かつて官兵衛を裏切り幽閉へと追い込んだ張本人・政職に怒りをあらわにする黒田家の家臣たち。しかし官兵衛は、政職を斬ることができずに逃がしてしまう。情を捨てきれなかったことを悔いる官兵衛だが、秀吉はその姿に官兵衛らしさを感じ安堵する。
その後、ようやく播磨を平定した秀吉たち。官兵衛はこれまでの働きが認められ、ついに1万石の大名となった。
私は、ドラマを毎回きちんと見ているわけではないのですが、そんな私でも面白かったです。
有岡城幽閉に関してのところでは、その件に関する武将の誰かの朱塗り天衝き(天衝というのは兜の脇にたてる、ツノみたいなものかな)というのがあって、そこの解説のところに、「荒木村重に隠れて、衣食を世話してた加藤重徳(牢番?)の子ども、玉松を引き取って、わが子同様に育て、黒田姓を与え、名を一成とした」というようなことが書いてありました。
展示をずっと見ていくと、この黒田一成の名前は、石垣原の戦いの黒田勢の布陣にもあり、その解説文には「二日後の関が原の戦いに黒田一成は参加してるので、これは間違いか」みたいなことが書いてありました。
大分県から岐阜県に、あの時代、そんなに早く移動できるとも思えませんよねぇ。
私は司馬遼太郎の熱心な読者でないので、『播磨灘物語』もチラッと本屋で立ち読みしたくらいなのですが、黒田官兵衛はすごく人がよくて、世話をするのも好きな人というようなことが書いてあった気がする。自分を裏切ったり、ひどいことした人も、面倒を見てあげたり、周りの人が呆れてしまうくらいだったとか。
だから、小寺政職を斬ろうとするシーンがあったのは意外でしたが、あのくらいはしないと視聴者が納得しない(それでも納得しない人が多いでしょう)からなのかなぁ、と思いました。
官兵衛の辞世の句
思いおく 言の葉なくて ついに行く
道はまよわじ なるにまかせて
というので、展示が終わってました。
牢番の子どもを引き取ったというのは史実だときいちぇいましたが、その子供のその後もかなり詳細に判明しているのですね。
>荒木村重に隠れて、衣食を世話してた加藤重徳(牢番?)の子ども、玉松を引き取って、わが子同様に育て、黒田姓を与え、名を一成とした」というようなことが書いてありました。
なるほど、となると、ドラマのように切羽詰まった状況ではなく、しっかり子どもを託されたように推測できます(その後も判明していますし)。
>私は司馬遼太郎の熱心な読者でないので、『播磨灘物語』もチラッと本屋で立ち読みしたくらいなのですが、黒田官兵衛はすごく人がよくて、世話をするのも好きな人というようなことが書いてあった気がする。
これについては、史実というより司馬先生の解釈によるものが強いかもしれませんね。
>小寺政職を斬ろうとするシーンがあったのは意外でしたが、あのくらいはしないと視聴者が納得しない(それでも納得しない人が多いでしょう)からなのかなぁ、と思いました。
そうですよね。政職があのまま逃亡したまま、ドラマでは退場してしまっては、視聴者は納得できませんね。
官兵衛展のご紹介、ありがとうございました。