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+ 月の海を盥にする・・・ 信仰とは何か~ 人間としての自立要件

2010年08月02日 08時02分31秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  月の海  水遊びなど  したような 

     梅士 Baishi

 

 

 

 月の海に水があったとは思えないが、盥に水を満たして遊んでいた

子供の頃を思い出す。

 その頃、木桶の大きな盥Tarai があったのだ。

 まったくもって、楽しい夏であった。

 

 

 

 

 

信仰とは何か~ 人間としての自立要件


 たまたま、小澤利夫さんが、東京基督教大学でセミナーをしたという

記事をみつけた。

 小澤さんといえば、創価学会の理事長から幸福の科学に改宗して

理事長を務めたアグレッシブな人だったが、「あなたは菩薩ですよ」など

と、教祖的なことをやり始めたので還俗させられたと聞いている。

 

 手術などで弱気になっていた父がたまたま小澤氏の幸福の科学セ

ミナーに参加したときに父を紹介したところ、「あんたは85まで生きま

すよ。」と励ましてくれた。

 そして、父は86歳まで生きることができた。

 

 たしかに、氏は霊道を開いていたのだろう。

 しかし、その活用が行過ぎて、ざわざわとしたのも確かである。

 今は、キリスト教に改宗しているらしい。

 信仰が確立してはいなかったということである。

 霊能力と信仰とはイコールではない。

 

 神仏とは、人間が競いたって嫉妬するようなレベルではない。

 太陽に向かって鑿がジャンプするような滑稽な者たちをたくさん見て

きたが、哀れな躍動である。

 大川隆法総裁も東京大学法学部卒というの人間エリートの姿をとっ

てはいるが、人間としての努力の証明であり、誠意である。

 本質は、いわば太陽以上のエネルギーをもった存在である。

 

 信仰の基本には、そうした根源的な存在に対する畏敬の念が前提に

あり、そこに示された天意への共感と帰依が一本グーッと筋が通る感

じなのである。

 

 キリスト教の洗礼を受けたときは、仮定的なものとして、論理的なも

のとして受け入れるところから始まった。

 しかし、観察するうちに、イエスキリストが救世主であることへの確

信は深まったが、時代的な限界と教団の形骸化をみて離れたのだっ

た。

 幸福の科学に出会ったときは、電撃的な確信と感動が走った。

 それは圧倒的なパワーであり、世界観であり、魂が求めていたことで

あった。

 

 そうした感慨に打たれて多くの人が会員となったのだろうが、その後、

脱会する者がいたことが不思議である。

 信仰ではなくて何だったのか。

 再誕の仏陀であると感激しながら語っていた人も脱会した人がいる

が、その感激とは何だったのか。

 一種の栄光浴だったのか。

 

 大川隆法総裁が再誕の仏陀であり、エル・カンターレという計り知れ

ない偉大な仏としての存在感は増すばかりである。

 

 厚遇されなければ成り立たない帰依であるならば、それは信仰では

ない。

 出家者として扱われなければ納得しないものであるなら、それも信

仰ではない。

 信仰とは、在家として、竜馬のごとく野にあって呼ばわる者ともなる

覚悟でもあるのだ。

 

 信仰とは、一本深く仏からいただいた筋金が入っているのである。

 想念帯には、バシッと深く黄金のORマーク入っているのである。

 不退転、これが信仰である。

 

 キリスト教の心の平穏も良いだろうが、この時代に生まれて、幸福

の科学に縁を持ち、信仰を得ないでは、あまりに大きな悔いを残すこ

とになるであろう。

 

 信仰をこの世的な利害に翻訳してはならない。

 信仰とは自分の存在意義であり、美意識であり、生命観そのものだ

からである。

 凡人がかならず修得しなければならない課題が信仰である。

 それなくしては、ほんとうには人々を導くことも救う事もできないであ

ろう。

 人間としての自立、それこそが、信仰であるとおもう。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

  

 


 

 

 

 

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