太陽が 太線一字 夏と描き
梅士 Baishi
夏というのは、太陽が太線で直射する季節であることよと感心する。
しかし、今夜は涼しい。
31℃である。
二日間33℃をやり過ごしたが、動脈冷却法と子を宿した女のように
梅干を求めて汗を流したのだった。
その暑さも、博多祇園山笠のように、盆の15日までのことであろう。
その頃には、大観衆のようなクマゼミの威勢も急速に衰えるのである。
それにしても、熱射病でろうにゃくにゃんにょが亡くなっているが、梅
干を食べるのを忘れているのだ。
梅梅わするべからず。
【幸福の科学の信仰とは何か】
信仰とは、霊的人生観と人生の理想を指導する世界最高の師への
帰依である。
エル・カンターレへの帰依である。
イエスキリストがわが父と呼んだ存在である。
信仰なきも者は、自分の上なる存在を認めない。
優れた者もいるであろうが、競争者である。
師というべき者がいても、根源的存在への帰依ではない。
先生への尊敬はあっても、それは帰依ではない。
超偉大なる存在への帰依、それが信仰である。
その結果として、人生の目的観、正義の観念、霊界や宇宙を含む認
識力、心の統御能力、他人との調和力、救世の危機感と情熱や勇気
という「悟り」が得られてゆくのである。
悟りとは、科学が遠く及ばない真理の霊的認識力である。
信仰と悟りによって、悩みの中に停滞していた凡人が、正しさへのベ
クトルをもち、大きな力を発揮することができるのである。
迷いの中にあったものが、はっきりと見えるようになり、確信を持つ
ことができるようになる。
人類史ということからえいば、現代史というべき百万年の歴史を学
んでいることだけでも奇跡である。
ゴンドアナ文明、ミュートラム文明、ラムディア文明、ムー文明、アトラ
ンティス文明、そして現代の文明と新しいエル・カンターレ文明への進
化という挑戦の現場にいるという認識、これだけでも、幸福の科学を
知らない者とは比較にならないどっしりとした世界観で物事を考えるこ
とができるのである。
われわれが悟るべき最高の真理は、日本に始まっている新文明建
設への情熱であり、救世への情熱であろう。
これを直感的に受け取ることができる凡人の悟りが信仰であり、そ
こに凡人の非凡さがあるというべきであろう。
信仰による、凡人の非凡の境地を求めるべきである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi