ごろごろと 夕立ころげ さわがしく
梅士 Baishi
来た~っ!
一転にわかに掻き曇り、ごろごろと空が転げ始めた。
ザ~ッと降るかと思いきや、降るのか降らんのか歯切れが悪い。
降れっ!
いや~、今日も暑かったとですよ。
夕立がきても33℃ですけんね~。
みんながエアコンば入れたら風が暑かですもんね~。
みんなが団扇と氷ぐらいで生きのびよったら、ちったあ涼しゅうなる
ですたい。
そのほうが、すいかもうまかでしょうが。
ほんとに暑か~。
冬から思えばうらやましかごとあるですばってんねえ。
そげん思たら、ありがたかとですかねぇ?
うらやましか事は、たいがい、そげなもんでしょたいね~。
「人から見ればうらやましかごつ見えるでしょばんてん、そいなりに
きつかととのあるとですばい。その点、貧乏人は気楽でよかですたい。」
「たしかに気楽は気楽たい。ばってんあんた、貧乏なほんなごてきつ
かばい。食う寝るところ住むところがあれば貧乏じゃなかけん。ただ、
そげんなるとじゃなかかって、心配する苦労がいやたいね。」
「ばってん、苦労がなからな、なんごてつまらんもんたい。」
「そげんたいねぇ。」
「苦労すっことが幸せ作りやけん、し甲斐のある苦労かどうかちゅう
ことが問題ばい。」
「そいなら、貧乏の苦労が幸せ作りになるためには、家族のため、国
のため働いてこそたいね。」
「金持ちの苦労も、その分、社員や国のために背負うた苦労たい。そ
げんことも知らんで、うちのバカ息子は・・・。」
夕立にふ~っ、とレプタリアン談義。
夏はやっぱり、シュメールビール!
ちょっと電通さん、勝手に使っちゃだめよ。
幸福の科学に私の分のお賽銭いれてちょうだい。
まずは、5000万円。
新世界建設はレプタリアンがしとるとですけん、そんくらいしても罰ちゃ
あたらんでしょもん。
どげんでしょか、シュメールビールの開発は三菱にやらせてみては・・・。
【 「貧富の格差がよくない」という貧乏神のトリック 】
幸福の科学は、資源集中型の発展をめざしており、貧富の格差を作
るばかりだからよろしくないというつぶやきがあった。
マスコミ型洗脳と不勉強によるつぶやきであろうと推察される。
幸福の科学に対する批判の中でも、もはや主流には無い。
世の中が豊かになるというのは、世の中の富の体積が膨らむという
ことである。
中から体積を膨らまそうとしたら、世の中の分子のそれぞれの体積
を膨らませるということも考えられる。
しかし、個人事業の力は微力で、組織的発展には叶わない。
しかも、全員が同等の発展力を持っているわけではない。
結局は、ごく少数の企業家が出て、リスクを背負って果敢に挑戦す
ることで、世の中は豊かになってきたのである。
体積が少ない貧乏社会とは、平べったい「平等社会」である。
ところが、自由を与えて、やる気のある企業家に頑張ってもらうと、
高さが生まれ、体積が膨らむ。
嫉妬型の人間から見れば、自分はリスクを背負ってチャレンジし、成
功しているわけでも無いのに、高く成長した個人がいかにも悪いかの
ように「貧富の格差は悪い」と言うのである。
貧富の格差が広がる社会とは発展している社会であることを意味し
ているではないか。
そのために、貧乏がもっとひどい貧乏に落ちたというのか。
世界の貧乏をよくよく観察するが良い。
発展のためには資源の集中こそが不可欠である。
すなわち、未来産業への先行投資である。
これに対して、資源の分散とは、ばら撒き政策である。
そこからは、産業は生まれない。
しかも、ばら撒く資源はだれが生産したのか。
経営から生まれたものであろう。
先行投資型の財政であれば、やがては黒字に転じるはずである。
ところが、万年赤字累積型の財政とは、ただ、ばら撒いて票集めをし
てきたということに他ならない。
それを一層進めようとしているのが、売国奴政権・民主党である。
もちろん、自民党政権もそれまでの大きい政府による福祉優先のば
ら撒き財政政策の咎がある。
少し人気を集めた「みんなの党」にも、そうした先見性も気概もない。
いわば、反自民の人気を掬い取ろうとする第二民主党のようなもの
であろう。
だまされてはいけない。
日本の危機を救い、世界から尊敬される国に転じることのできる唯一
のリーダー団体が、救世主による幸福実現党と世界宗教・幸福の科学
以外には無いといっているのである。
次々に出版される大川隆法著 幸福の科学出版刊の書物を買い込
んで、よくよく学習されるが良い。
幸福の科学の特定組織に所属しないペーパー会員にすぎない者に
とっても、このレベルの議論はじつにつまらない。
ましてや、普通の会員レベルはもっと高いはずである。
職員レベルとなると、きっと、神の知性領域にいるのではないかと思
う。
それほどに、知性・悟性を鍛えられているものと思われる。
もっとも、ペーパーとはいってもゴールドライセンスではあるが・・・。
しかし、こうした入門的レベルの議論を丁寧にすることが、啓蒙活動
というものかもしれない。
向上心のある者であれば、幸福の科学に学ぶべきである。
その人生は、栄光に包まれることであろう。
すくなくとも、地獄には堕ちにくくなるに違いない。
もちろん、落ちる人はいるであろうが・・・。
それが、個人の努力による格差ではある。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi