夏至祭り 笛や太鼓で 踊りたく
中村 梅士 Baishi
今日は夏至だが、太陽が真東から上り、真西に沈むとい
うことだろうか、ともかく、一年で最も日が長いのが夏至
日である。
夏至だ、夏至だ、と思いながら一日を過ごした。
夏至祭りがあってしかるべきだが、日本では聞いたこと
がない。
しかし、今朝はついに、クマゼミが鳴いているのに気が
付いた。
大濠公園では土曜日に鳴いていたという。
もはや夏である。
さて、今日の授業は本題から飛び出して宇宙空間をさま
よった。
五感でしか理解できない学生には意味のない話である。
認識するとは、結局は信じると言うことである。
眼に見えるものであっても、結局、信じるか否かなの
である。
宇宙人やUFOを見たら信じるというが、何を信じると
いうのだろうか。
宇宙存在を認識するのに地上的な経験に翻訳しても、
所詮翻訳であって、本質ではない。
だから、UFOが見えなくても問題ない。
見えたとしても、この世の原理で説明できない存在であ
ってみれば、あまり意味がない。
高次元の霊格がなければ対話もできないというのであれ
ば、人間関係も成り立たない。
大川隆法総裁を通してに教えていただければ、それを信
じられるから、それで十分である。
スポーツと政治は、切っても切り離せない関係にある。
スポーツは、リーダー育成の教育の柱であり、国家社会
を統合する政治力を持っているからである。
スポーツは極めて密接な人間関係であるが、主体性と自
由の尊重の上に成り立つ対話関係であり、命令支配関係で
はありえない。
したがって、個人の尊厳を前提とする民主主義の性質と、
自主性を重んじる自由主義の性質を本質として持っている。
しかも、個人の尊厳とは仏性に由来するから、信仰なく
しては人権なく、スポーツもないということになる。
こうしてみると、オリンピックに中共(CCP)が関わる
などあってはならないことである。
アスリートにとって、オリンピックの価値は大舞台で競
い合うことにあるというのだろうか。
大量虐殺を行い続け、細菌兵器でひそかに戦争を仕掛け
ている国が参加する大会であっても、憧れの舞台だという
のだろうか。
そうだというなら、スポーツの本質を無視する自己中心
主義であり、恥ずべき了見である。
すでに、現代のオリンピックは、本来のオリンピズムか
ら逸脱して堕落していると言わざるを得ない。
IOCの解散を勧告したい。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party