見納めし あじさい苑の 色深く
中村 梅士 Baishi
今日は登城日だったが、往復7km程度、9000歩程度
の距離である。
これでは健康運動としても少し足りない。
歩数を稼ごうと、帰りは遠回りをして筥崎宮まで足を伸
ばした。
一眼レフは持参していなかったが、折角なので、SONY
のRX100Ⅲであじさい苑とゆり苑を撮ることにした。
13000歩を稼いだが、暑さと空腹で足がふらついた。
土曜日とはいえ、結構な人出だった。
あじさいは、色あせてきたとはいえ、その色合いが絵画
的に味わい深く、来てよかったと思った。
これが見納めと思うと、なおさら去りがたかった。
そこからゆり苑にも足を伸ばした。
入った瞬間からいい香りが漂っていた。
ゆり言っても香りのない物も多い。
携帯カメラの露出とピントが悪く、思い通りの撮影はで
きなかったが、ともかく、ゆりを楽しむことができた。
桔梗も今からが見ごろである。
十分に歩き、あじさいとゆりを堪能できたよい一日だっ
た。
物事には目的概念と手段概念が区別される。
オリンピック、民主主義、コミュニケーションなど。
ところが、本来の相互理解という目的が見失われて、権
力による一方的支配の手段と成り下がっている。
IOC等の収益と選手の名誉を目的とするオリンピック、
多数派支配による利権政治の民主主義、一方的情報支配に
よる権力欲のマスコミュニケーションなど。
神仏の思いを忖度することなく、人間関係や政治の理念
を正しく理解することはできないものである。
現代の権力がいかに目的理念をごまかして不当な権力支
配の道具理念を自己目的化しているか、学者でなくても分
かることである。
目的の正当性と手段の相当性というのは人権制限立法の
合憲性判断の基準の基本だが、権力の正統性判断の基準と
しても有効である。
せめて、その程度の判断基準を持って、今の政治の在り
方を、民間権力の在り方を検証してみる必要があるのでは
ないか。
コロナ規制の合憲性判断ということが話題にもならない
が、検証するべきである。
結論的には明らかに違憲であろう。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party