朝一に くまぜみ鳴くを 遠く聞き
中村 梅士 Baishi
夏至の日の昨日に続いて今朝もクマゼミが鳴いているの
を遠くに聞いた。
猛暑になると厳しいが、クマゼミの蝉しぐれは心に響く。
つまり好きな季節感なのだ。
かくして、今日も速足で登城した。
汗びっしょりになるので、着替えた。
少し余裕で仕事にとりかかった。
ところが、今日使うファイルを忘れてきたことに気が付
いた。
どうしてこうなるのだろうとあきれながら、ファイルを
再現して間に合わせたが、授業は学生が持ち込んだ心霊写
真に始まった。
友達と映った写真だったが腕や足が半分消えているのだ。
そこから学生不思議体験や霊に関する質問に答える霊界
セミナー風になってしまった。
しかし、知っておくべきことでもあるし、幸福の科学的
正しい霊界観は滅多に聞けることでもないので、結構重要
な内容について語って聞かせた。
ファイルを忘れたのはこのためだったのかもしれない。
本来の講義は、科学の定義と科学の限界という、これも
重要な話しだった。
科学は利便性を提供するが、便利だということは必ずし
も良いこととは限らず、人を堕落させる弊害もある。
そもそも、科学は手段原理であって、倫理性、精神性を
内在しないという唯物論科学の限界があるという話である。
唯物論を常識としてはならない。
不思議な世界に対する不思議な疑問は科学本来の興味関
心なのであるから。
この糞暑い中、生真面目にどこにいてもマスクをしてい
る日本人を見ると、何のためにマスクをしているのだろう
と思わざるを得ない。
みんながマスクをしているから自分もマスクをしていな
いとやばいという群集心理的事なかれ主義なのだろう。
そもそも、ウィルス100%通過というかっこだけマス
クというのが大半である。
「マスクをしてください」と書かれたスーパーにもノー
マスクで買い物をする。
掲示は、ちゃんと感染防止対策をとっていますよ、とい
う挨拶か言い訳のために他ならないのだ。
しかし、名門の飲食店も含めて、閉店の掲示が目立つ。
国家権力による弾圧を「要請」として徹底するやり方の
何と卑劣であることか。
街を歩いていても、職場の中でも、ノーマスクはほぼ自
分一人である。
人を見たらコロナと思えというのが倫理であるらしいの
だが、理解に苦しむ「良識」であることよと思う。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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