暑きかな マスクの鬼に 塞がれて
中村 梅士 Baishi
今日は登城日だったが、完全ノーマスクデーだった。
しかし、今日が最後の抵抗となった。
マスクをしろと口頭注意が下った。
強制かと問うと、強制だという。
もちろん、裁判で争うこともできるし、街頭活動で糾弾
することもできる。
しかし、ほぼ全員がマスクをしている横並び社会で共感
を得られるはずはなく、単純に仕事を失うだけのことであ
る。
日本は同質性陰圧社会であり、個性の尊重と言う自由主
義社会ではないのである。
無念ながら、職場ではマスクが強制されることになった。
しかし、マスクをするならド派手なマスクにしたい。
探しているうちに、西陣織を使ったド派手な竜虎模様の
ものが見つかった。
防塵マスクをしようかと思ったが、おしゃれではない。
どうせ、法的根拠もなく人権弾圧的に強制されるマスク
なのだから、ド派手なマスクで遊んでやるしかない。
勿論、職場を一歩出たら、ノーマスクである。
もっと遊べるデザインのマスクを作ってほしい。
かっこだけのマスクだから、カッコいいマスクがよい。
まあ、そこにビジネスチャンスがあるなあ。
恰好だけマスク制作販売である。
マスク強制社会はあと十年は続くのだから、十分だ。
日本社会は個性的であることが嫌がられる。
個性的な子供は発達障害に分類されるかいじめにあう。
個性が尊重される社会とは自由が尊重される社会である。
日本は明らかに自由主義社会ではなく、むしろ、全体主
義社会と言うべきであろう。
競争社会は個性を生かして競い合う社会である。
これを教育的に象徴しているのがスポーツ文化である。
個性の尊重、自主性の尊重、突出する努力の称賛、これ
が自由な社会であり、スポーツ文化の前提にある精神であ
る。
ところが、日本のスポーツ社会は、頑張って突出するこ
とや、みんなと違うことを創意工夫してやることが、調和
を乱すとして村八分にされかねないと悩んだことを、スポ
ーツ庁長官だった鈴木氏が述懐していた。
同質性社会の競争原理は、集団指導体制である。
集団的に強くするために命令支配的指導で地獄の特訓を
し、選手にはそうした特訓に耐える根性が求められたので
ある。
結果、ある程度は強くなったが、弊害も大きかった。
選手のスポーツ障害やバーンアウト、健康障害が相次い
だ。
しかも、欧米の自由主義的で科学合理主義を活用した臨
機応変の競技力にはかなわなくなったのである。
横並び意識で、武士道精神を見失った現代の日本社会に
世界の窮地を救う使命があるとは到底思えない。
幸福の科学会員とそれに準じる人々だけのことであろう。
実に嫌な日本社会だと思う。
因みに、三密禁止だのマスク強制だのぬかしていた東京
都知事が仕事を放り出しているそうだが、コロナに感染し
たんじゃないんかねえ。
嘘はドロボーの始まりと言うだでねえ。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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